MiKiT|人がアートと出会う場を整える

美術館で展覧会をつくり、広報の仕事もする、ベースは教育畑の人。異色の美術館×ダンス企画…

MiKiT|人がアートと出会う場を整える

美術館で展覧会をつくり、広報の仕事もする、ベースは教育畑の人。異色の美術館×ダンス企画も17年やりました。職種的には「学芸員」。実態は「アート系何でも屋」として、場を整える人。人生後半、どこでどう働くかをうろうろと考えつつ、のnoteです。旅好き。次に行きたいのはアフリカ。

マガジン

  • 1000の日々 逆算の発想で世界をみてみる

    自分の「当たり前」がいつか当たり前でなくなるであろう、1000回先の未来からカウントダウンする写真日記。終わりから見つめると、灰色の日常も鮮やかになるのか?を検証してみる。

  • 今日も手さぐり!美術館の広報

    学芸員として雇われている自分が、思いがけず勤め先の美術館の広報統括を兼務することに。右往左往。でも幸い小さなチームで手探りできています。たまに書く広報関係の記事をまとめておきます。きっと困っている人ほかにもいるはず。お役に立てば。

  • 展覧会づくりの舞台裏で、お客様の声をきく。

    コロナ禍どさくさ企画「器と絵筆ー魯山人、ルソー、ボーシャンほか」展(2021年1月〜2月)が開いて閉じるまで。そしてお客様の声が届いた時のことも。

  • 美術館の新しい開きかた。「作品のない展示室」の個人的記録

    コロナ禍の2020年3月〜9月の記録。「作品のない展示室」で妙に注目されてしまった東京・世田谷美術館の中から見えていたこと。こんなふうに新しく開くこともできる、という発見の日々。

  • ラテンアメリカ、あれこれ

    ラテンアメリカつながりの記事を書いたら、まとめることにしました。展覧会、映画、などなど。

最近の記事

  • 固定された記事

【近況報告】5年ぶりのがっつりな展覧会のために、しみじみ淡々と準備していることなど。

皆さん大変ご無沙汰です。ふと思い立って、2年前に書いた「卒論」と「残り時間」についての投稿を久々に読み返したついでに、2年分の振り返りと近況メモを。長文noteは4ヶ月ぶりです。冬眠明け記念です。 美術館で学芸員として雇用され、展覧会を企画・担当する部署にいると、何年かに1回は「卒論」を書くことになります。主担当の展覧会のカタログに20,000字レベルの論考を寄稿する、というパターンが多いですが、上の記事で話題にした「卒論」は学芸員としてはかなり変わった類いの、パフォーマン

    • 【1000の日々】872/1000

      素直さは最大の武器になる、と、そのむかし校閲の師匠が言っていました、と、何度もいっしょに苦労を重ねてくださっている校閲の方がしみじみとつぶやいたことがある。 意固地になるほど損をする。30年くらい前の自分もそうだった。自信満々でいて肝は座っていない、ことをごまかすためにそうなる。そんなことは大人にはバレバレだっただろう。めんどくさい若造だと呆れ果てながらも付き合ってくれた30年前の大人たちに頭が上がらない。黙って苦笑を浮かべた方、君それはおかしいよと諭して下さった方。そうい

      • 【1000の日々】873/1000

        まったくもうやれやれとため息をつきながらカタログの校正を続ける。もはや、スリリングな綱渡りという自分が想定していた手に汗握る状況はとっくの昔に過ぎ去り、どう着地するのかねえとむしろ今は他人事のようになっている。これはこれで悪くない。やるべきことをやり、それを示し、それに対し誰がどのような応答をするかを観察し、記憶しておく、それにはこれくらいがちょうどいいかもしれない。 何度か書いていることだが、このカタログづくりのお手伝いは、自分にとってはゴールではなく始まり。どんなことも

        • 【1000の日々】874/1000

          今日は大荒れ、の間にウソみたいに陽がさす日。 未来の企画に関する重めのミーティングがひとつ急にキャンセルになったので、終日、喫緊の課題山積みのカタログ校正に没頭する。最後の最後でサポートに入っている年譜はやはりなかなか手強い。どうしたものか。 校閲の方にも相談してみる。あちこちに爆弾があるとわかる。まあそんなものだ。ミーティングに行くはずだった時間を使って某美術館図書室に再度資料を確認しにいく。ギリギリまでやれることをやる。それにしても今回は本当にギリギリで、もはや余裕の

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        【近況報告】5年ぶりのがっつりな展覧会のために、しみじみ淡々と準備していることなど。

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        • ラテンアメリカ、あれこれ
          2本

        記事

          【1000の日々】875/1000

          人手不足の時代。今や完全に就活市場は売り手優位、面接で選ばれているのは企業の側、という昨今の状況を報じる新聞記事の末尾に、とある証券会社のエコノミストの言葉があった。 「今は、働く意思があれば大方の人が別の企業に雇用される状況だ。社員に『奉仕』を求めるような昭和の発想で企業経営をやっていたら、若手だけでなく、30代、40代の社員も逃げてしまう。過去との決別が必要だ」。 美術館も他人事ではない。去年、部下の転職を機に思いがけず転職市場のダイナミックさを肌身で感じることができた

          【1000の日々】876/1000

          ここのところ後輩の疲弊と苦悩が目立つ。気遣いの達人の同僚の提案により、久々にちょっと贅沢なランチのために数人で出かける。後輩の話にふたりして耳を傾けつつ、驚いたり同情したり呆れたり爆笑したりして2時間。 周囲の人やものごとを薄目で観察しつつ上手に距離を保つ。そんなことはよほどのお坊さんみたいな人じゃないとできないのだけど、できないにしても目指すだけでも、凡人は楽になる。そして変われる。結局は「自分のことをやれ」となる。 人一倍賢くて繊細な同僚は、心身共に傷つき果てた数年を

          【1000の日々】877/1000

          展覧会カタログのカラーページのレイアウトがなんとか山を越えた。 展覧会のカタログというのは一般の書籍とはずいぶん違う流儀でつくる必要があり、扱う情報の量も種類もものすごく複雑だ。エディトリアルをかなりやったことがあるデザイナーであっても、良いカタログをすんなり組めるわけではない。 今回デザインに入ってくださっている方はものすごく素晴らしい。初めてご一緒しているのだが、最初のラフなレイアウトを見ただけですぐにわかった。入り組んだ構造で情報量もやたらに多くて、収拾がつかずに脳

          【1000の日々】878/1000

          あるプロジェクトのチーム内で、ついつい余計なおせっかいをしがちな立ち位置にいると、冷静な同僚が隣でちょっと引きの目線でアドバイスをくれるのがとてもありがたい。 自分のやることをやったので、おせっかいも心配もやめて明るいうちに帰る。肩代わりできることにも限りがあり、人にはそれぞれやり方がある。お手伝いにすぎないなら他人のやり方を尊重する。 家の近くにできた地産地消マーケットで美味しそうな食材を買って、ゆったり晩ごはんをつくる。たまたまの巡り合わせで学芸員という仕事をできてい

          【1000の日々】879/1000

          今日からカウントダウン870番台。8と7の違いはけっこう大きく感じる。静かな日。もちろん嵐の前の静けさ、というより台風の目に入っているだけのことなのだが。 展覧会のカタログづくりという高地フルマラソンも、残すところあと2週間ちょうどで終わる。はずなのだが、本当にそこをゴールにし続けるなら、明日からの2週間は相当な修羅場になるはずで、でもそのへんどうなるのかが今まだ全く見えず、ただ静か。お手伝いの身としては、こういうのはいちばんこわいやつです。 火事場の馬鹿力、というものは

          【1000の日々】880/1000

          昨日は新しい出会いと素晴らしいお料理と心に染みる瞬間のある対話を楽しみ、今朝はもうピークを過ぎたけれどまだまだ美しいバラ園をぶらついてから出勤する。 先日から、大好物の「年譜」作成作業に最後の最後で少々関わることができている。昨日は校閲の方が、もう何十年も誰ひとり疑って来なかった、画家に関するとあるトピックについて、誰もがアクセスできるシンプルな資料を組み合わせながら、驚異的な疑義を提出してきた。今まで流通してきた年譜のその部分の記述は、9割の確率で間違っている。これぞ校閲

          【1000の日々】881/1000

          チームで仕事を進める時におもしろいのはじっくり人間観察できること。人ってそれぞれいろんなエゴ、というか執着ポイントがあるんだなあといつも感心する。そして年齢やジェンダーに関係なく、ひゃーどうやったらそんなに偉そうに振る舞えるんだろうとか、うわーどうしてそんなに腰が低いんだろうとか、毎日ネタは尽きない。渦中にいると火の粉がモロに飛んでくるのであっちっちではあるのだが、それでも人間観察はおもしろい。 私自身はお坊さんのような人のもとで20年ばかり働いてきたのだが、その人の教えは

          【1000の日々】882/1000

          100年前の日本のことを書くのも大変なのに、100年前のとある外国のことを書くのは恐ろしく難しい。しかもその国の政治や文化がとても強力な紋切り型のイメージで「こんな感じなんでしょ」と語られがちな場合には、その文化に敬意と興味を持って接している自分ですら、気づかないところで「こんな感じ」に囚われて文章を書いたりしてしまうこともある。過去に書いたものを読み返して愕然とすることももちろんある。経験が多少積み重なると見えているものの解像度が上がって、やっと異文化について語る恐ろしさが

          【1000の日々】883/1000

          高地マラソン状態の直近の展覧会準備をいったん離れ、来年の展覧会絡みのミッションに終日集中する。 作家が描き溜めた作品をアトリエから倉庫に移動させる。美術輸送業者さんの仕事は完全に肉体労働だ。そこに伴走するこちらも、頭というより身体でその時間を使っている。作品移動は要するに引越しと同じ。木枠に張られた布に油性の顔料があれこれ乗っかっていてサイズも違う平たいブツたちをいかに手際よく安全に移動させるか。それが全てである。積み込みが終わったらトラックに同乗して空のやたらに広い湾岸エ

          【1000の日々】884/1000

          1週間、いや10日ほどか、緩みきっていた脳みそをぎゅうぎゅう締めて異次元に入って展覧会カタログ用のエッセイ完成。といってもこれから鬼の、ではなく神レベルの校閲者の手に渡ってズダボロに厳しいファクト&論理チェックが入って返却されてそれを直して生まれ変わらせる、というところで本当の完成…ではなくてそれすら一応の完成に過ぎないのだが。 つくづく執筆とは共同作業だと思う。今回校閲に入ってくださっている方とは15年来のお付き合い。本当によく鍛えていただいた。 先ほどその方から、校閲

          【1000の日々】885/1000

          今日で4月が終わる。2024年もまる4ヶ月が、ということは3分の1が過ぎた。残り3分の2を大事にしないと。 いま準備に忙殺されている展覧会。5年ぶりの企画展なのだが5年前と全く違うのは、自分が餓鬼のごとくあれもこれも食い散らかしたいという野望がないということ。幹事館じゃないから、というだけの理由でそうなっているわけでもない。 この展覧会は集大成じゃない。作家の30年ぶりの回顧展ではあるので何かとてんこ盛りになりがちだが、始まりにすぎない。30年のあいだにその作家が生きた状

          【1000の日々】886/1000

          最後は結局日々どれだけおいしくごはんを食べられるかが人生の幸福度を決めると思っている。午前中4時間お茶も飲まずに一心不乱に展覧会カタログのページレイアウトをよりよくする提案のための作業をして、遅めのランチをカフェでゆっくり食べるのはものすごく幸福度をあげる。その後その作業がほぼ報われなかったことを知ることになりごはんの幸福度のことも頭からすっ飛んでも、おいしいおいしいと味わった時間はちゃんと自分の血となり肉となる。幸福を一瞬忘れてしまうのは脳みそだけで、からだはちゃんと知って