5月1日から5月5日 最初はチョキ

ジャンケンする時、まず「最初はグー」から始まる。小さい頃からずっと。
これは志村けんさんが言い始めというのは有名な話だ。

小学生くらいになると負けたくないジャンケンがいくつかあった気がする。
たとえば席替えや給食のとき。その時に「最初はグー」ではなくて、「最初はパー」と言って一人勝ちしようとしたことがみんなあるのではないか。小学生でもさすがにそれは不公平であることがわかるため、結局仕切り直しになるが。

ところで「最初はパー」という言葉を最後に発したのはいつだっただろうか。
おそらく中一の頃ですら言ってないのではないか。
なぜなのか予想すると冗談であることには変わりないが年齢が上がってくるにつれて笑えない冗談になってくるからだ。もちろんアンケート調査をして検証した訳ではないが、するほどでもないだろう。「笑えない」って言葉にはシュチュエーションによって多様な捉え方ができるが、ここではオチがありきたりすぎてつまらないという意味が当てはまる。

では、あなたの小学生の頃をもう一度思い出してもらいたい。
「最初はチョキ」と言ってわざと負けたことはあるだろうか?

給食のデザートのじゃんけんが好きな子だった時。譲ってあげたくてあからさまに負けたことはあるだろうか。いや、ジャンケンは人によっては「くせ」があるため、それを知っていればわざと負けてあげることはあるだろうが。

もしあなたがそうやってわざとじゃんけんに負けてあげた少年・少女と出会った時になんて声をかけるのか。おそらく「大人だね。」というだろう。

そう。「最初はチョキ」のようにあからさまに自分の負けを強調することも相手の自尊心を傷つけることがあるため、進んでやる人はいないが、高校、大学、社会人になっていくにつれてわざと負けることをするようになる。それもあたかもそのジャンケンが公平であり、相手の勝ちが3分の1の確率で起こったかのような演出を自然にやりながらである。

「わかりました。」「さすがですね。」「それいいですね。」とか
社会人になってから、僕もちゃんと負けるようにしてる。心では「えーーーーー」って思いながらいうこともある。というか割と頻繁に。その反対の心理は反応の速さの違いで見分けられる人も中にはいる。反応の速さということを詳しく説明すると、気持ちのいいコミュニケーションにはちょうどいい返事のタイミングがあり、僕の経験上では同意していないことに共感の返事を無理にしようとする時に、迷いや遠慮がどうしてもあるため、通常よりも返事のタイミングが遅くなる。そのズレに気づかれると本心を見破られてることがある。ちなみに返事が早すぎると「話聞いてないだろ」とツッコミが入る。

食い違う時はいつも僕が先に折れたね
わがままな性格がなおさら愛しくさせた

「One More Time, One More Chance 山崎まさよし」

失恋ソングの代名詞とも言えるこの曲。一度は聴いたことがあるだろう。
これも「最初はチョキ」だ。

この文章の中で最初に出した「チョキ」の例も相手が愛しい人だった時の例だ。
愛しい人のために負けることは自分が勝つこと以上に嬉しいからそうするのだ。

その意味において「最初はパー」から派生したものという見方もできる。

友達でも恋人でもない同僚に負けてあげることって全然自分の喜びでもなんでもなく、一言でいうとストレスである。

一概には言えないが、それでも9割はストレスといっても過言ではない。

では、会社というゲームで一体誰が勝ち続けているのだろうか。
社長とかの偉い人??それもわからないし、負けるのもストレスだが勝つことにも興味はない。

青春をもう一度感じる近道は新しい恋人だろう。そうでない場合の例は自分の店に来てくれる常連さんのような大切な人。でもやっぱり他人のため以外で自分が頑張る(負ける)理由って簡単には見つからない。

なんでこんなことを思ったのか。つい最近ダイエットしていた時の話だ。

痩せるためにはただ歩くだけではなく足を上げて歩かないといけないとネットで見た。というわけで階段の長い神社に軽装で来て、何往復か登っていた時のことだ。

当然ずっと登っていると足がだるくなってくる。そのとき自分を追い込むとより痩せていくはずだが、自分一人で登っていると辛くなってくると速度を緩めたり休憩したりしてしまう。おまけに何のために痩せて肌綺麗になりたかったんだっけ??とか思い始めて家に帰る。

帰り道、田中みなみとかストイックですごいよな。とか考える。
あ、でもテレビという無数の匿名による監視のせいもあるか。あ、あの人はやっぱり白湯飲んでるんじゃなくて国民に白湯飲まされてるのか。

とか極端なことを考えたりもする。

つまり、僕はジャンケンに負ける喜びをもう一度味わいたいということだ。
心にピースサイン。

話は変わって、黄金週間には鳥取に帰省することにした。
新生活はいいこともあるが、はじめてのことで疲れることも多かった。

説明すると、僕は鳥取育ち。3年ほど地元とかの職場を転職しながら過ごし、家族を含めいろんな人の支えもなり、今年の4月から岡山県で働いている。

それから一ヶ月経ったということだ。
普通電車を乗り継いで2640円で4時間かけて帰ってきた。

鳥取駅に降りると、鳥取にいた時のことをやっぱり思い出した。

数ヶ月前まで契約職員としていた職場。僕の隣の職員さん。
お世話になりました。TEEもびっくりの100万回のアイラブユーならぬ、僕も100万回のお世話になりました。を伝えたいとか。

その人は繊細なところもあったけど、とても優しくて説明も丁寧でわかりやすくて仕事も正確で、みんなから信頼されていて、もういいところを挙げるとキリがないほどいい人だった。僕は批判的で人の悪いところを見てしまう方だが、その人に関してはない。というか悪く言うとバチでも当たるのではないかとすら思う。


年上だけどそこまで年齢は離れていない。その人は昼休憩になるといつも一度帰っていたのかな??一度家に帰ってアツアツの奥さんの手料理を食べているとか聞いたことがある。

どんな人がその人の帰りを待ってるんだろうか。それってどんな幸せなんだろう。

休日は奥さんと公園を散歩してるのかな。

鳥取って何にもない。岡山はそこまで都会というわけではないが、比べると本当に何にもない。駅前の規模感も体感で岡山駅の7分の1くらい。

鳥取で働いている時、ここにもしずっと住むなら必要なものってなんだろうと考えたとき、恋しかありえないと思っていた。

隣の職員さんも同じなのかな。

「さすがです。」とか「星さんのおかげです」ってなんの取り柄もない僕にたくさん言ってくれた。僕は「あーーー」とかしか言わなかったけど、その人が褒めてくれるのがすごく嬉しかった。ジャンケンすごく強かったな。

5月4日。髪を切りに行った。50代の女性の方が切ってくれる。綺麗な人だ。
散髪中こっちが話かけない限り一言も話さない。それがいい。

顔も剃ってもらった。床屋を出て3時間ほど経った頃に鏡を見ると、顎のところが若干出血してカサブタになっていた。不思議と怒る気にはならなかった。

正直、美容室に行った方が髪は整うし、安いわけでもない。
でも美容室行くよりも好きだ。何も話すわけではないのけど。

また行くか。ってなった。

5月5日。父がスシローに連れて行ってくれるということだ。今から行ってくる。

鳥取のスシローって美味いんだよな。魚が新鮮で。











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