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ワードレスイマーシブシアターって?最近思う事。ムケイチョウコク『Find me in LIT-Crow-Club』。

ボクがコアメンバーを務めますイマーシブシアタークリエーションチーム“ムケイチョウコク“の新作『Find me in LIT-Crow-Club』。

ムケイチョウコクは、近年注目を集めているイマーシブシアターの創作及び公開を中心に、パフォーミングアーツに関する活動(事業)を通して、社会や個人が抱える問題を表出し向き合うことを目的とし、2022年3月1日に発足されたクリエーションチームです。

​メンバーに、美木マサオ、今井夢子、内山智絵、制作の野元綾希子、クリエイティブメンバーのAGATA/奥村そらの6名で構成されます。

ムケイチョウコクではイマーシブ=没入体験を、人間と人間との交流を通して作り上げることをコンセプトにしています。

​作品では、観客ひとりひとりに物語の登場人物として役割が与えられる、という新しいスタイルに挑戦しています。俳優は、同じ物語の中の人物として、観客に話しかけ、お互いの交流の中で物語は進んでいくのです。

​その中で観客は、登場人物すなわち他者の心情を自分事として想像・体験しながら観劇することができます。

​自分ではない者の視点を持って世界を見つめることは、現代社会が抱える生身のコミュニケーションに関する問題に対して、有効であると私たちは考えます。

物語への没入体験を通して「他者を想像することの優しさ」ひいては「世界の美しさ」を再発見させること。ムケイチョウコクは演劇の力で社会が優しく明るくなることを信じ、クリエーションを精力的に行っています。

今年の2月から上演を続けておりまして、5月は今週末5/18(土)19(日)に上演されます。

この作品はムケイチョウコク初の“ワードレスイマーシブシアター“という風に銘打っております。

果たしてワードレスイマーシブシアターとは?
言語を減らした表現とはどういう事かな?
と少し考えた事をちょっと文字にしてみたいと思います。



我々の認識は何を基準にしているか

言葉は世界を切り取るもの、という評論文があります。(今井むつみ先生著)
いわく、言葉は点で理解するものではなく面で理解するものとのこと。

“赤“と言う言葉の中に、我々はりんごの赤もポストの赤も血の赤も含むことができる。
しかし、英語の“blue“の中には限りなく灰色に近いものも含まれる。
また、明らかに緑であっても信号を青と言ったりする。
つまり我々は一つの言葉の中に、「ここからここまで」という範囲を決めている。

逆にいうと言葉によって、人間の認識や意識の仕方は決められている、とも言える。

きっと昭和の時代までボケ老人として言われていた人と、現代で認知症として言われている人の、
症状が仮に同じであったとしても、扱われ方はガラリと違う。

“エモい“という感情は昔からあったはずなのに、その言葉が生まれたことでそれが価値判断の一つになるようになった。

そんな言葉と人間の意識の関係事例はまだまだたくさんありそう。


身体表現と言葉

ボクは、大学でどーしても!演劇がやりたくて、18歳でSALAD JELLYという演劇サークルに入りました。

そこはミュージカル研究会から出た先輩方が「歌いらなくね?」
と演劇とダンスの融合を謳っていた団体で、
ボクが新歓見学に行った2週間後には、その右も左もわからない新入生を本番公演のダンスシーンだけ出してしまうというすごい団体でした。

まんまとそこで楽しくなってしまい、ずるずるとその団体に居続けていて、
→学年が上がって先輩になる。先輩として振付や演出をするようになる。
→サークル活動が楽しすぎて授業に行かなくなる。
→別の演劇サークルや劇団の知り合いから「うちでも振付をしてほしい」と言われる。
→と同時に、ダンスだけで多様な表現をするコンテンポラリーダンスという世界があるのだと知る。
→気が付けば大学は中退。なんとか仕事にしなければとダンス系のCM出たり、ダンスの先生やったり。舞台の振付やったり。
→それらを並行していたら、現在“演劇の振付家“というのが活動のメインに。

という風に生きてきました。

もともとは演劇が好きで、
たまたま流れでダンスの世界に足を突っ込んで、
また演劇を中心に活動している、という流れ。

そんなボクなもんで、自分でマサオプションというユニットもやっているのですが、
そこで作品を作る時には、ダンスや身体表現の中に、コトバ(とモノ)を使った作品になる事が多いです。

そこでいつも感じるのは言葉はとても魅力的で、そしてとても意味が強いという事。
どんだけ一生懸命踊ったとしても、その踊りがいろんな深い意味を持っていたとしても、
たとえば「ボクは君を愛している!」というセリフ一発でそれまでの身体表現を全てを吹き飛ばしてしまうほどの威力があります。

それは絵画を見て、その絵本来から受ける視覚的なインスピレーションより、
タイトルや解説に頭を持っていかれてしまうのと同じように。

だからボクは“言葉“というものに、ある一定の畏怖を抱いています。


ワードレス、言葉を減らした世界って

現代は言うまでもなく、SNSによって言葉が溢れていますね。
誰もが気軽に、世界に向けて言葉を発することができるようになった結果、
発達した物事もたくさんあると思います。
加速度的には人類の認識する世界も広がっていると思います。

しかしその一方、人間の醜悪な部分も露呈しています。
人はこんなにも簡単に無責任に、言葉で人を傷つけることができるのか。

この『Find me in LIT-Crow-Club』の支配人LITはClub内で人間の言葉を禁止しています。
それは何か、現代の言葉の扱われ方に対するLITからのアンチテーゼなのかもしれません。

また人間は一つの感覚をあえて塞いでみたり、何かしらの自由を奪われた時の方が、
より心が解放されるといような事があると思います。

そんな大きな“人間の救い“。
もしかしたらこの『Find me in LIT-Crow-Club』はそういう作品なのかもしれません。



ボクは誰かと呑みながら喋るような事も大好き。
でもそれ以上にただ黙って、家族や信頼できる人と一緒にいたり触れ合っていたりする事も好きです。



5月公演 5/18(土)19(日)
6月公演 6/15(土)16(日)
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