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クライアントを信じるとは。

クライアントを信じる。

この言葉って深いなあと思う。


誰かを信じること。

それって結局、自分自身を信じることが出来ていることが大前提だなあと。

自分自身の可能性とか、自分自身への理解とか、自分への意識とか。

全部繋がっている感覚がある。


人との境界線

いつの間にか「フラットで居てくれる」とか、「ジャッジしないよね」ってよく言われるようになった。


これは、私の中で無意識におこなっていることだった。

どんな人でもフラットに見れるし、人の意見に私自身がジャッジを下すことはない。

私自身が、自分の考えにジャッジをされることが苦手だったのもある。
だから他の人にもしないようにしていた。



でも、いつの間にかコーチングでも友達付き合いでも「ジャッジしない」って言葉を意識するようにになっていた。

”踏み込んで良い範囲はこのくらい”

そんな範囲を自分自身で決めてしまうようになっていた。


踏み込んでしまうと、私の良いところが無くなってしまう感じがした。

皆が求めてくれている「私」から逸れてしまう感じがした。

だから、無難な距離を取るようになってしまったんだと思う。


深く踏み込みたくないのは


そして、誰かに深く踏み込むこと。

深く立ち入ると、ドロドロとした感情も出てくるし、いやな部分を見ることになる。

「私も嫌だ、だから他の人も嫌だよね。」

そんな風に思っていた。

そう、踏み込んで欲しくないのはクライアントではない。私自身だった。


私自身のテリトリーに入って来てギュッと距離が近くなったのに、離れて行ってしまうのがとても怖い。

踏み込んで見たら、想像と違って見放されたらどうしようとか。
印象ダウンして嫌われたらどうしようとか。

そんな事をずーっと奥底で考えていた。



だから、自分自身に踏み込まれるのを恐れている私は、他の人にも踏み込めなくなってしまったのだと思う。


「ジャッジをしない」殻を破る。

クライアントを信じるには、まず自分自身を信じること。

コーチとしての自分。
私という人格。
セッション中に感じる空気。
セッション中に感じる違和感。

『私』という存在を目一杯信じる。
自分自身を信じる以上に相手を信じるなんて到底できないのだ。


なぜなら自分自身が信じられる器の大きさが、そこまでしかないから。

セッションを回数が増えるにあたり、『何処か踏み込めない感じ』に気付くようになった。

クライアントさんのせいじゃない。
完全に私の器が小さいって自覚した。


嫌われたり、見当違いな事言ってるなって思われるのが怖いから言えなかった。

結局、自分の保身をしているだけだったのだ。

そこに気づいた時に、コーチングセッションの質感が変わった。


感じたものを少しずつ声に出せるようになった。


クライアントを信じるとは

『クライアントを信じる』って言葉には色々な意味が含まれてるのでは無いかって感じている。

まずはクライアントの可能性を信じること。
クライアントの中に答えがあるって信じること。
そして、クライアントとの繋がりを信じること。

本気で向き合って欲しいなら、コーチが本気で向き合ってみようじゃないか。

信じる事は怖い。

でも、その怖さを乗り越えた先に深いパートナーシップが結ばれる感じがした。

クライアントを信じて自分を信じる。
より深く味わい深いセッションを目指して探求していくぞ…!!


そんなコーチング記録。

(追記)感じたことを伝える=受容してない訳ではない

もう一つ感じたことが有ったので、追記しておく。

自分が感じたことを伝える”という事が、”相手を受け入れてないのでは…?”と思っていた自分にも気づいた。

受容する、ということを私が大切にしているからこそ引掛かる部分でもあった。

でも改めて見つめてみると、相手のことを否定しているわけではない。
これは、「私からだとこう見えるよ」っていう私の感覚を伝えただけ。
つまりギフトなのだ。

相手のことを受容していて、相手のことを信じているからこそ伝えられる、よりぐっと暖かい深みのあるギフトを贈れる感じがしてきた。

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