[1分小説] 毎日が、エイプリルフールのような世の中で
「なんだか私の人生って、
常にエイプリルフールみたいだよなぁ」
そう思いながら、野田栄美(21)は
今日も健気に店に立っていた。
彼女の勤めは「こんな世の中にぴったりだもの」という仕事、水商売である。
栄美は家庭の事情で、高校卒業と同時に働きはじめた。
どうして自分には父親がいないのか。
どうして母親の銀行口座は借金ばかりなのか。
誰がこんな冗談みたいな人生を自分に与えたのか、考えない日がない訳でもない。
「おはようございまぁす」
「あら、栄美ちゃん今日も早いわね。着替えたらグラスのセットお願いね」
それでもこの1年、現在の店で週5日、栄美は無遅刻無欠席で店に立ち続けている。
・
水モノの商売はいつだって水増し、水増し。
ホンモノはちょっぴりで、あとはニセモノ。
吐息のように流れ出る愛の囁きも、純度は低め。
「ごめんねオジサンたち」
栄美はいつも心の中で思う。
「でも大好きなのはホントだよ」
自由恋愛の名のもとに繰り返される、
あざとい振る舞い、
意識して浮かべる笑顔、
さり気ないボディタッチ。
それらをお決まりのように喜んでくれるオジサンたちが「本当にかわいい」と栄美は常々思う。
・
数年来、都内のスナックを転々としながら感じてきたこと。
それは職場において、役職と信用と居場所を手に入れられる人間は、ほんのひと握りだということだった。
職場に居場所がなければ、家庭にも救いがない。
そんな一定の年齢を越えた男たちが、欠けた心の隙間を埋めようとやってくる。
彼らはまさしく、ネオンに群がる夜光虫のようだった。
そして栄美はといえば、
毎夜そんな男性客を相手にするうちに、すっかり客商売のおもしろさのトリコになってしまった。
「すべての男性は顧客予備軍!」
これが、彼女のスローガンである。
近所でたまたますれ違った男性さえも、栄美は出勤先のスナックに連れてくる。
というより、男の足を店に向かわせてしまう。
目を見張るような美貌こそ備えていないけれど、
天性の人懐っこさが彼女にはあった。
・
「あ、栄美ちゃん、ちょっと」
「はい?」
グラスを揃える手を止め、ママの方を向く。
サテン地のキャミソールワンピの細い肩紐が、栄美の白く華奢な腕を美しく引き立てる。
「今誰もいないから言うけど、あのね」
いつもながら赤い口紅がバツグンに似合うママが、少しかしこまって言葉を継いだ。
「来月からママの代理をしてほしいの。
ほら、ママのママ、私のお母さんね、隣町に住んでるんだけど、もう75歳でしょ?
認知が進んできちゃって。これからお店に立てない日が出てきそうなの。だから」
「……私が、ママの代わりを?」
思わず会話の先を引き受けた。
「そう。栄美ちゃんは真面目だし、損得なしにまわりから愛されるから。
それはあなたの器の大きさゆえのものよ」
高卒ですぐに夜の仕事に足を踏み入れた栄美にとって、自分の器を他人から褒められる経験は初めてだった。
「栄美ちゃんなら安心して任せられるから。
考えておいて」
その日の営業も ―本人は知ってか知らずか―
店は栄美を中心に、盛況のうちに終わった。
そして閉店作業が片付いて他の女の子が帰った後、
彼女はママと「ちびちび飲み」をしながら話し込んだ。
お店のこと、お客さんのこと、
これまでのこと、これからのこと――。
・
気づいた時には、東の空が明るみはじめていた。
「もうこんな時間!私いったん帰りますね」
気をつけてねと、ママがドアの前まで見送ってくれた。
出会った頃と変わらず艶っぽくて美しいママは、
しかしさすがに疲れているように見えた。
「ママに悪い事をしたな」と栄美は少し申し訳なく思う。
それでも「これから先、ネオンを灯し続けるのは自分の役割なのだ」と思うと、知らず知らずのうちに背筋がシャンと伸びた。
ホンモノではないかもしれないけれど、
欠けた愛を埋めるお手伝いをすること。
そして誰かの居場所をつくり、安らぎとなること。
「私の人生、なかなかのものじゃない!」
地平線から顔を出した太陽が、その日一番の光を世界に放つ。
やがて陰影を帯びた世界は、
新しい"今日" となり、立体的に目を覚ます――。
毎日がエイプリルフールのような世の中で、
彼女は今日も、ひたむきに生きている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?