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01-退職の理由『私でなくてもいいコトだから』

私は西暦1994年(平成6年)3月の入社です
最初の1ヶ月は首都圏の同期が集まり本社での研修でした
学生に戻ったような気分で楽しかったし初めて知る保険の仕組みや周辺知識にのめり込みました
最後の日はお弁当を持って目の前の公園でみなでお花見に出かけたことが思い出されます

4月にそれぞれの1級機関に戻りますが、その時に配属されるのが2級機関。
保険会社を学校で例えると学校が会社、学年が支社。
1年(◯◯支社)の1組(1級機関)のA班(2級機関)に入るということといえばイメージがつくでしょうか
学校のように班替えはなく一度配属されたら自分が新たに働く人を採用し『2級機関長』となって出て行く以外はずっとその班に属します
ただ例外はつきもので、様々な事情で様々な配置転換は起きますし、それによって様々な思いがひしめき合います(様々が多い)

私は新聞の折込求人広告で自ら応募したため、どのように配属先が決められたのかはわかりませんが、20歳年上のおしゃれな女性が直属の上司となりました

大きなスランプが2回ほどあったものの、募集も採用もそれぞれピークがあり、実力相応の結果は出せたと思いますし、持ち前の「教えるの大好き」を活かして新人研修を受け持つこともできたので、働きがい、やりがいのある良い環境だったと思います

西暦2017年(平成29年)、世の中は『働き方改革』が導入され長時間労働の是正、副業・兼業が解禁され物質的な豊かさよりも精神的な豊かさが重視されるようになりました

私は50歳を迎えライフプランニングのお手伝いをする職業柄「70歳まで働く時代になったな」と実感する出来事が続き

70歳までって…
あと20年?
え?長くない?

と途方に暮れたのを覚えています

やることは毎年変わらない。しかも2級機関長を下りれば「指導はせず募集を、できれば採用も」となるわけで、なんだかそれがとても退屈に思えてしまいました。経験や知識を活かして指導に当たるのではなく「もう指導はいいですから募集をよろしく」というわけで、《それって私でなくてもいいコト》だなって思ってしまって。

それで

「待って、20年もあったら初めてのことにチャレンジしたとしても、それなりにできるようにならない?」

と考えてしまったわけです

気になることがあるとじっとしていられない性格で、早速機関長に相談したところ、退職金を調べてくださり「今辞めると普通退職扱い、55歳で辞めると定年退職扱い、受取額がまるで違うので、あと5年頑張ったらどうか」と引き留めてくださいました。あとで聞いたら「必死に止める材料を探したんだ」と教えてくださいました。感謝しています

55歳となる西暦2022年(令和4年)になり、コロナ禍で、オンライン・テレワークと働き方もかなり変わっていましたが、考えは変わっていませんでした。70歳まであと15年、好きなインテリアの仕事に就くことを目指して予定通り転職活動を始めます。55歳・現役生命保険外交員の転職活動の現実は厳しく、応募しても面接にすら繋がらないのですが、このまま今の仕事を続けることになってもいいのだし、と焦らずにマイペースで続けていました

ところが7月、1社内定をいただき、急遽退職が決まりました
インテリアエレメントの販売店で休みは少なく土日は出勤、労働時間は長く、しかも給与は半分以下になりますが、ようやく始まることに対する期待が大きく迷いはありませんでした

その販売店は結局1年で辞めることになりますが、苦手だった窓まわりの知識が得られたことは大きかったと思います。平日休み・シフト制の職業も体験できたし、職場の心理的安全についても実感できたので今後に役立ちそうです

退職してからは半年ほど失業保険の受給をしながら仕事を探し、無職時代を満喫していました。間もなく新しい仕事が始まります。資格試験の勉強もしています。そして以前から構想していた『生保営業専門の支援』を始めようと基礎を構築できたのは大変貴重な時間でした

好きなインテリアと得意な生保営業、どちらも手に入れたい仕事です
フリーランスがどんどん増えているし、これからは複数の仕事をする人も増えてくる。在宅でできる仕事、仕入れも在庫もない仕事が私の理想です
必要な分だけ働く、そういう仕事の持ち方ができたらと考えています

このマガジンは私が退職申し出をした日から退職の日までの活動記録を綴ります
そろそろと考えている方の参考にしていただければ幸いです


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