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2024年以降の未来予想:過去と未来は混じりあい、現代という混沌を紡ぎ続ける

こんにちは、おがくずにゃんこです。
※本記事は無料で全文読めます。もし面白ければ最後にコーヒー一杯分ほど寄付いただけると励みになります。

やってきました、年末年始恒例となっている未来予想の記事でございます。2024年のおがくずにゃんこが考える、生成AIをはじめとするテクノロジーの進展、ブレインテックの未来、そこから生まれる近未来の文化について解説します。

2023年はこちらです。

2022年はこちらです。


未来予想は好きで書いているのですが、少し先の未来について、なるべく俯瞰的に面白いテーマを紐解いていくスタイルが定着してきました。未来予想など烏滸がましい身分ではありますが、学生時代はブレイン・マシン・インターフェースの研究に携わり、ITコンサルタント企業に勤めるアラサーによるエッセイ・散文としてお楽しみいただければ幸いです。

メインテーマを先にお伝えしておきます。

2024年以降も世界の不確実性は増し、混沌が加速する。それは過去と未来が溶け合った結果であり、好きなスタイルを個人は選択することができる。

…かなり中二病な結論になってしまいました。しかし「未来はすでにここにある。ただ均等に行きわたっていないだけだ」というウィリアム・ギブスンの名言にあるように、過去と未来が不均等に浸透していくことが、今後数年は加速していくでしょう。

このテーマについて、
【地球】の章では地球温暖化など世界で進行する普遍的な話題について、
【技術】の章では生成AIの普及とシンギュラリティの実情について、
【脳内】の章では確実にハックされていく個人のあり方について、
【精神】の章では神道的日本人の価値観とコンテンツの宗教性について、
【社会】の章ではSNSと現実世界をミックスした世界のあり方について、
順に解説します。

結論を急ぎたい方は【社会】の章へジャンプすることを推奨します。


【号外】自然災害と社会

急遽追加した章です。

2024年は波乱の幕開けとなりました。1月1日の大地震、1月2日の飛行機事故など大きなニュースが続きます。

注意したいのは、立て続けに色々なことが起こっているからといって、すべての事象を繋げて因果関係を考察するのは無意味ということです。地震は偶発的に発生する予測できない事象ですし、ヒューマンエラーによる事故はもっと予測できない事象です。たまたま時期が重なったと見るべきでしょう。

だから、むやみに騒ぎを起こさないこと、色々な言説に振り回されないことが、自分自身が平和に生きるために重要です。

当然「何かしなければならない」という感情は自然なものです。しかしむやみに情報を拡散したり、被災地に赴くことは現場をかき乱すだけでむしろ危険です。もやもやを消化するには、ぜひ寄付をしましょう。


そして2024年以降の未来においても、地震や台風、洪水などの自然災害と向き合い、常に備えておくことは必要となってきます。

それはこれまでと何も変わりません。災害と向き合うことは、古来より人間が行ってきた普遍的な事象と言えます。最近だと2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震など断続的に発生しています。

防災への啓発は常に行われますが、それらを意識できるのは限られた人だけです。何か災害が起こるたびに風化させない努力が続けられていますが、いつしか人々は日常に意識を持っていってしまい、いざという時に行動できなくなってしまいます。

近未来において理想的な防災環境というものを考えたとき、災害時でも完全に統率された行動を人々が取れるよう、避難誘導や情報提供が完璧なインフラが整った状態は一つの最適解かもしれません。しかし建物が倒壊し、電気や水道などのインフラが壊れてしまった状態で完璧に動く「システム」というのは存在しません。

最後に頼れるのは個人の脳という意思決定システムであり、それを基に集団がリスクを最小化する行動を取れるようになるコミュニティが重要です。消火器の使い方、救急救命の仕方、そのような防災につながる知識を少しでも積み重ねなければ、誰も頼ることができない中で最善の意思決定を下す感性も磨くことはできないでしょう。


幸いなことに、防災に関してはテクノロジーによるポジティブな変化があり得ます。ARやVRを活用することで、災害現場のリアルさを体験できます。

またスターリンクのような低軌道衛星通信のように、災害に強い(そもそも災害に関係ない)インフラを活用することも有効です。

費用対効果などの課題はありますが、防災に強い、徹底的にテクノロジー化した都市建設の道に進むのも1つの未来だと思います。


【地球】普遍的な地球温暖化の限界

地球の平均気温は100年で0.68℃上昇していて、異常気象や熱波などの影響が世界中で観測されています。地球温暖化は人間の活動によるものなのか、そうでないのか、については議論の余地がありますが、そこは今回の論点ではありません。

ただ、ゲリラ豪雨のように前例がなく予測が難しい災害が頻発することで、人間社会だけではなく自然までもがVUCAの時代に突入してしまったという印象を与えます。また防災という観点では「最悪のケース」に備える必要があるため、費用は増え続けるでしょう。

このまま温暖化が続けばどうなるんだろう、そんな不安があると思いますが、昨年興味深い記事がCNNから出ていました。記事によると、熱帯雨林の気温があと4℃上昇してしまうと、樹木が枯れてしまい光合成ができなくなるようです。

日本でも去年は暑すぎて、近所の草花が枯れてしまっている光景を時々目にしましたが、このような事態が世界中で進行してしまうようです。

これは最悪の不可逆現象ですが、そうならないためにも、できるだけ温度を上げないための施策を打つことであったり、上がってしまっても耐えられるロバストな環境を整えることが重要になってきます。

しかし地球温暖化が進むことで利益のある国もあります。それは寒いエリアの国ですが、特にロシアは良いことづくしです。農産物生産可能面積が増え、北極海を使った輸送ルートも増えます。

北欧でワイン造りが可能になったという情報もあり、あらゆる農産物の生産可能エリアが北上する恐れがあります。


しかし地球環境というのは、長い目で見ると温暖化と寒冷化を繰り返しています。縄文時代の日本は今より2、3℃高かったとも言われているので、地球全体が荒野と化してしまう、という現象は考えにくいです。

むしろ温暖-寒冷のサイクルが入れ替わり、豊かだった土地が枯れ果てる一方、これまでは乾燥しきっていた大地で緑があふれることもあり得ます。問題はそれによってどこかの民族が滅び、どこかの民族が栄える節目が訪れるということです。どの民族が栄えそうかは、言うまでもありませんね。


【技術】歪なシンギュラリティ

2023年は生成AI祭りでした。

画像生成AIはMidjourneyなどのサービスで誰もがハイクオリティの画像をすぐに生成できるようになり、言語についてはChatGPTMicrosoft bingGoogleの追随を許さず、作曲までもが生成できる時代になりました。
以下リンクは昨年話題になった、作曲できるサービスです。


個人的にはこのような生成AIによる「熱狂」が発生した時代に生まれてきた良かったな、と思いますし、この技術をできるだけ追随して使いこなしたいと思っています。

そしてこれはシンギュラリティの到来です。どんな専門家よりも機械の方が詳しく、しかも幅広く知識を活用できる中で、相対的に人間の知識は陳腐化してしまいました。

しかしながら、私のように積極的に生成AIを使おうとする人々がいる一方、未だ認知していない人々がいるようです。


生成AIを活用すればあらゆる質問に対して瞬時に回答を得て、議論を速やかに終わらせ、あらゆる企画を実行する社会にすることもできるはずです。しかし現実そうはならず、「生成AI?何それおいしいの?」という人がいたり、「よくわかんないから全部やっといてよ。生成AI?だっけ?君使えるんでしょ?」と丸投げする上司がいるのが実情です。

このように、テクノロジーというのは爆発的普及力がある一方で、その浸透度合いはあまりにも「まばら」なのです。言い換えると、技術が均等に行きわたっていない状態であり、過去を生きる人々と、未来を生きる人々が共存せざるを得ない状況です。これは本記事全体のテーマにも関わる問題です。


少し唐突ですが、Temuというショッピングアプリをご存知でしょうか。中国資本の会社ですが、Amazonよりも安い製品が多く、今は間違いなく投資フェーズで買いどきのオススメサービスです。

このようなサービスについて、アメリカや中国では爆発的に普及するイメージがあるのですが、日本に関しては残念なほどにスローペースです。

この背景はまさに「過去に生きる人々」の存在であり、日本の少子高齢化が根本原因のように思います。IT知識のアップデートをしようとしない高齢者がマス層である日本では、旧態依然としたスタイルが好まれる傾向にあります。物価高が続く中でも100円ショップが重宝され、大型ショッピングモールに押し寄せ、オンラインを忌み嫌います。このような中でデジタル中心のサービスを提供するのは至難の業です。

私の印象では、電話など古の技術を未だに信頼する「IT要介護人」に対してデジタル技術を提供する、コンサルタントという名の「IT介護士」は今後も増え続けるように思います。表看板はDX、裏看板は介護土方ですね。


【脳内】人間の思考 VS ChatGPTの生成結果

ここからも生成AIが少し関係してきますが、最近は「言語」を介さず、脳から直接思考やイメージを読み取る技術も進歩しています。Stable Diffusionなどの画像生成AIが「Text-to-Image」なツールだとすると、「Brain-to-Image」なツールが登場しつつあります。

ここまで来ると、哲学や文化人類学なども絡めた観点での考察が考えられます。「そもそも人間が考えているとはどういう状態なのか?」「イメージ先行型、言語先行型など人間のタイプごとに違いはないのか?」「全く同じ場所をイメージしても、人によって生成されるイメージに違いが生じるのはなぜなのか?」「脳から読み取られたイメージの著作権はないのか?」などの問いについて真剣に考えなければなりません。それも、ASAPに。

商用化されそうな兆候について、イーロン・マスクが投資するNeuralinkは以前から紹介しています。Neuralinkでは侵襲型デバイスと呼ばれる、直接身体に機械を取り付けるタイプの研究をメインで実施しているのですが、若干ブレーキがかかっている印象です。


個人的には攻殻機動隊やCyberpunkのように、身体へ直接インプラントするテクノロジーはもう四半世紀は経たないと実用化されないと感じています。それよりも非侵襲型デバイスとChatGPTのような生成AIを組み合わせることで、「思考拡張」はじきに実現できることのほうが脅威です

具体的なイメージを説明します。この架空のデバイスは、仮に「AG (Augmented Brain)」と呼ぶことにします。

  • AGはヘッドホンのようなデバイスで、装着すれば誰でも使用できます

  • AGはあなたが考えていることを読み取って解釈し、答えを音声でフィードバックします

    • 計算:「1159円を3人で分割すると…」とあなたが考えたとき、自動で最適な配分を教えてくれます

    • 暗記:「墾田永年私財法をメモリ1に保存」とあなたが考えたとき、それはAGに保存されます

    • 会話の話題提供:「Aさんは車が趣味なので、あなたが気に入っているこの車種について聞いてみてはいかがでしょうか」のように、会話の話題を提案してくれます

    • 翻訳:まるで隣に専門の翻訳家がいるかのように、リアルタイムで相手の会話を自国語に変換してくれます

AGがサービス化されれば、強制された人間の勉強は不要になるでしょう。ただAGに言われるままに行動すれば、常に最善の選択ができます。スマホの次のイノベーションになることは間違いないですし、インプラントのように自分の身体をいじくり回される心配もありません。

ただし、AGの副作用については慎重に考えなければなりません。暗記や計算が不要になることが教育にとって本当に良いのかは疑問ですし、そもそも教育はどうあるべきか、ChatGPT以上に根本から考える必要があるでしょう。さらに「人間の思考力」が機械に奪われると感じる人も出てくることが懸念されますし、最適化された選択肢が常に一部の大企業から提供され続けるというのは軽くディストピアです。また、このデバイスを使う人と使わない人で今以上に格差が広がることも念頭に置かなければなりません。

そして重要なのは、「脳から情報を読み取る」精度がある程度高くなればすぐにでもこのようなデバイスは実現可能であるということです。まさにシンギュラリティの先、Beyond Singularityを考える必要があります。

このような時代にこそ、人間が「考える」とはどういうことか、ちゃんと考えるために思考力を磨く必要がありそうです。幸いにもそのための「情報」はChatGPTも提供してくれますし、「奪われる」のではなく「活用する」ための方法を地道に考え続けるしかないと思います。そのための情報提供者(BOT?)は思ったよりたくさんいそうです。


【精神】歴史のある宗教性と現代の宗教性は両立できる

「脳内」の章で話した近未来の話とは打って変わって、古来より続く日本文化である神道の話を少し。

日本人は無宗教と言われますが、ほとんどの人々は初詣に行き、願いごとをします。無意識レベルに刷り込まれたこの習慣は、海外から見れば信心深い姿そのものに映るでしょう。

実は神道というのは世界的に見ても歴史が古いです。岡田斗司夫さんのYouTubeがわかりやすく面白さを伝えていましたが、何か荘厳な彫刻があるわけでもないのに、紐で区切った何もない空間が突如神聖な空間に変わる、そんなレベルに昇華された宗教なのです。なぜか信じてしまう、無意識のうちに神聖さを感じる、それは論理からは逸脱した、日本人だけが持つ独特の感性です。

冷静に考えてみれば、三重県にある伊勢神宮が祀る神様は「天照大御神」です。神話の時代の最高神となる神様ですから、例えるならギリシャ神話のゼウスが今だに信仰を集めているようなものです。

もう少しわかりやすく例えるならば、進撃の巨人でパラディ島に住む人々に通ずる精神を日本人は持っています。巨人から身を守るため壁を築いたと思い込んでいる人々は、数百年より前の歴史を忘れているにも関わらず、フィッツ王に従順に従っていました。…わかりにくかったかもしれませんが、神道の精神は彼らによく似ています。よくわからないがご利益がありそう、と無意識のうちに思い込んでいる、そんな不思議な精神をもたらしているのが神道です。おみくじだって、本質的には占いと何も変わりません。

海外からの観光客は、そんな独特の文化を育てた日本人のユニークさに惹かれているように思います。外から見たとき、八百万の神々を祀る神社のような建造物は不思議でしょうし、同調圧力が強く親切な人々も魅力的に映るでしょう。

ニュースを見れば凶悪事件も起こっているように思いますが、人口10万人あたりの殺人発生率を比較すると、日本は突出して低くわずか0.2件です。アメリカは5.3件と、実に日本の50倍超です。


話が飛びましたが、日本独特の宗教である神道は私たちの間で無意識レベルに浸透しているという点がポイントです。このように高度な宗教性というのは、あらゆる宗教が目指している最終到達点のように思います。


このような宗教性について、「推し活」のような現象も含めて捉える広義的な概念として考えてみましょう。

そもそも宗教化のメリットは、多くの人々がそこに時間やお金を注ぎ込むことです。その宗教(あるいはインフルエンサー)の価値観が好きなら好きなほど、そこに注ぎ込むリソースは多くなります。より多くの人々がより多くのリソースを費やすほど、その宗教は拡大し、より長く存続できるようになります。

YouTuberのようなインフルエンサーはその典型です。より多くの熱狂的なファン、つまり「信者」が多ければ多いほど注目を集め、活動資金を得ることができ、存続することができます。逆に誰からも見られないインフルエンサーは採算が合わなくなり、気づいたら動画が全く更新されなくなってしまいます。

そしてYouTubeやX(旧Twitter)などのSNSを通じ、現代は誰でもインフルエンサーになれます。それはつまり、誰もが気軽に「教祖」になることができるというわけです。そして教祖同士で信者を奪い合い、多くの注目を集めることができた人々だけがその価値を最大限発揮することができます。

この傾向は日に日に加熱しているように思います。今からYouTuberになるのは至難の業ですし、インフルエンサー達も毎日動画を更新するのは当たり前の世界です。多くのインフルエンサーが「こっちを見て」と手招きする中、個人はどれかを選択し、どのインフルエンサーにどのくらいの割合のリソースを割くべきなのか、日々選択を迫られている状況です。

このような群雄割拠の時代が現代の本質であり、この戦国時代は今後しばらく続くように思います。そして重要なのは、それは「現代の」「最新の」情報だけが勝負相手ではありません。冒頭で紹介したような神道のように古くから培われた価値観や、それ以外にも古の文化が再燃する現象も起こっています。なぜか最近テレビで見かけるギャルファッションや古い曲のような「平成カルチャー」などもその1つでしょう。


【社会】呪うか、喜ぶか、開き直るか

ここまで自然災害のように時代を通して普遍的なもの、生成AIのようにこれから定着が進みそうなもの、神道などの昔からそこにある(ように見える)ものについて触れてきました。別々のトピックに見えますが、これらを結びつけたときどのような「全体像」が描けるのでしょうか。

キーコンセプトは、冒頭でお伝えした通り「過去と未来が溶け合う」という世界観だと思っています。

これまでだって災害はあったし、リバイバルはあったし、価値観は色々あったじゃないかと思われるかもしれません。しかし現代はこれまでと異なり、「個人が吸収するにはあまりにも多量の情報が溢れすぎている」状況で、何より「自分にとって都合のいい情報だけを検索して取捨選択し、生成AIによって似たようなものを量産し続ける」ことが可能であり、「過去の話題含めあらゆるコンテンツが何かしらのプラットフォームでおしなべて並列で評価される」状況です。

情報量の観点でいうと、毎年倍々に増えている状況です。コンピュータの登場によってこれまでも情報量は倍々に増えていましたが、今は多様なSNSによって人々が倍々に増える情報を可視化された状態で眺めることができるようになってしまいました。

その結果生まれたのがこの文化爆発カンブリア期到来であり、「過去と未来が溶け合う」世界観だと思います。

ちなみに過去の文化だけでなく、未来の文化も既に到来していると私は考えています。どういうことかというと、実はSF小説などのフィクションの世界において、「新しいコンセプト」というものは近年生まれていません。火星旅行も量子テレポートも、想像することはできます。そして想像できるということは、生成AIなどを通じてディスプレイ上に具現化することもできるということです。未来的・SF的価値観が好きであればそういう文化を選択することができるという意味で、未来すら現在には既に溶け込んでいるといえます。

つまり、過去の文化も現在進行系の多種多様なインフルエンサー達による文化もSF的な価値観も同時進行で評価され、認知されては消え、を繰り返す時代の到来です。

さらに生成AIはデジタル世界だけでなく、物理的な世界にも着々と影響を与えています。今までは考えられなかった建造物の具現化や、都市計画の具現化、街や人々を巻き込んだデジタルツインが広がりつつあります。

この時代の稀有な点は、炎上騒ぎによって過去の何かが突然また話題になることです。タレントの過去の不祥事が典型ですが、このような「再燃リスク」を恐れた結果、長期間メディアに出続けるタレントや企業ほどリスクを取ることができなくなってきています。


この状況を的確に表現する言葉が見当たらなかったので、過去と未来が混じり合い、すべてが一様に評価されるという観点から、「人類補完計画 ver.0.1」と名付けたいと思います。

この時代を象徴するX (旧Twitter) というSNSがありますが、そこではこの時代を生きる人々の欲求が素直に映し出されています。災害発生のような非常事態においても、インプ稼ぎのパクツイやデマ情報の拡散がこれでもかというくらい見られました。大多数の人々から見れば「非倫理的な」行動が散見され、善意も悪意もおしなべて表示される、阿鼻叫喚の状況となりました。

SNSが増長した承認欲求については過去記事でも(脳内)議論しています。

フェミニズムも陰謀論もネトウヨも、突きつめている人にとっては真剣なカルチャーです。しかしそれを誰かに強制すると、お気持ち表明から炎上へと発展してしまいます。

実は「多様性」という価値観も、すべてを包含しているように見えて「1つのカルチャー」でしかありません。「みんな違ってみんないい」という価値観も、「◯◯しか駄目!許せない」という価値観も一様にテーブルについていることが現代の本質であり、そこを履き違えてしまうとさらなる軋轢が待ち構えています。

振り返ると平成は、別の価値観に関して寛容だったように思います。男子校もたくさんありましたし、喫煙者も街に溢れかえっていました。しかし今は多様性を標榜しながら、そのようなものを時代錯誤と一刀両断する言説が主流と勘違いしている人が多いです。

多種多様なインフルエンサーが「こっちを見て」と人々のアテンションを奪い合う結果、互いに譲れない領域では軋轢が生まれ、うまく溶け合えない場所というのも生まれています。何事においてもコンプライアンスを重視し、炎上を避けようとリスク回避の道ばかりを選んでしまう風潮が生まれているのも副作用の1つです。

このような環境では、Xに象徴されるようにもはや個別事象の未来予測はナンセンスです。というよりも、すべては同時に、この瞬間に存在しているのです。…なんだか哲学っぽい言い回しになってしまいました。


この時代において個人の生存戦略を考えるのは至難の業です。ただ確実に言えるのは、どの宗教(価値観)が好きかに関わらず、この状況をポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかです。嫌だと思うならこの状況を呪い、ひたすら嘆くことしかできないでしょう。

しかしポジティブに捉えれば、何に挑戦しても良いわけであって、しっかり学んで行動して自由の道を歩んでいくことができるわけです。ただしそれができるのはメンタル的にも経済的にもツヨツヨな人間だけであり、大多数の人間はどうせできないという諦観に苛まれることとなります。

じゃあどうするかという話なのですが、もう開き直るしかないというのが結論です。一つ言えるのは、私たちは「人類補完計画」という一つの現象の爆誕を見ています。その事実に喜びつつ、あるがまま・されるがままに受け止め、そして(サボりながら流れに身を任せることを含めて)自分がしたいように生き続けることが良いように思います。

そう、少なくとも、その喜びは共有できる!

私自身はこれからもこのような情報を発信し続けたいと思います。この記事は以上となりますが、コーヒー一杯分ほどの価格で購入いただけると励みになります。それではまた別の記事でお会いしましょう!

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