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蘭ちゃん、ありがとう!

先週、実家で飼っていたゴールデンレトリバーの蘭ちゃんが死んだ。人間の年齢に換算すると90歳超えということで、大往生。
とっても美人で頭が良いお姉さん、って感じだった蘭ちゃん。

美人!(ただし後ろがお墓。笑)
海と蘭ちゃん

2017年に青森に移住してから最初の3年ぐらいは実家に住んでいたので、幼児だった長女と生まれたてだった次女は蘭ちゃんたちに育ててもらったと言っても過言ではないのです。

生まれた瞬間からモフモフに囲まれて育った次女
お昼寝時は蘭ちゃんに守られていました。
3匹。(手前は長女)
ハロウィンをやらされるふたり。

そんなこんなで蘭ちゃんたちとの日々は楽しすぎた!
2年ほど前に弟の紫苑(写真の白い方の犬)が死んでしまって、我が家の娘たち(特に次女)は大ショックを受けていたのですが、今回は少し受け止め方が違ったように思います。

もちろん悲しんで泣いていたのですが、動物が死ぬということをちゃんと理解していた感じ。実家の母に対して、「蘭ちゃんが居なくなって寂しい?でも蘭ちゃんはおばあちゃんだったから仕方ないんだよ。」と一丁前に諭していたらしい。笑

蘭ちゃんと過ごした最後の日

2017年に八戸に戻ってきてから、飼っていた動物が天国に行くのは蘭ちゃんで3匹目です。ゴールデンレトリバーの紫苑&蘭ちゃんの前に、猫のチャトもいました。

移住したてでピリピリしていた長女に優しくしてくれたチャト

本当に悲しい!何匹天国に送ったって、慣れることはないですよね。私は動物が死んでしまうたびに、必ずメッセージみたいなものを受け取るというか感じるのですけれども、今回蘭ちゃんからは、「手を抜かないで!」というメッセージを受け取ったように思います。紫苑もそうだったけれど、今回の蘭ちゃんの場合にも、前日・当日まではまあまあ元気だったのに、突然バっと死んでしまいました。生と死っていうのは日常の中にあって、繋がっていて、何も特別なことではないのかもしれない。

でもやっぱり、特別爆発的に輝いている瞬間だよね生まれるときと死ぬときって。私は毎日の生活の中でラクしすぎな気がする。何回かクリックしたら終わる仕事、AIに司令を出せば完結する創作、そういうものぐらいで仕事をした気になっていないだろうか。もっと命を燃やして、自分が本当に生きたい日々を、自分にしか創り出せない日々を生きたい、って思いました。手を抜いてはいけないぞ、私。

蘭ちゃんとの日々、紫苑やチャトとの思い出にパワーをもらって、また気持ちを新たに頑張ろうと思います。

そして実家にはあと2匹猫たちがいます。

一時期東京で飼っていたキキ(八戸で拾った捨て猫)
八戸の煮干し屋さんで生まれたボタン(危うく名前が「にぼし」になるところだった)

キキとボタンが長生きしますように!飼い主は私の母なんですが。キキは大好きな蘭ちゃんがいなくなってしまってちょっと落ち込んでいるようです。ボタンもいつも以上に母にべったりらしい。

早くみんな元気になるといいな!



人間として一生懸命生きる人こそ活躍できる会社、株式会社リモットさん。

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