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毒親と住んでると、自分が間違ってるかもとか思わない?思わなくて良いんだよ

みにくいアヒルの子

私は美しい白鳥って言うわけじゃないけれど、みにくいアヒルの子と同じ状況なんだと思った。
私が家族に溶け込めなかったのは家族と全然違ったからだ。
親が弟を高く評価していたのは、自分たちと似ていたからで、私はただかけ離れていたからなんだと思う。

うちって毒親かも?て気づいた人って結構そういう状況になっていることが多いんじゃない?
だって、自分も毒のままでいれば、浮かないわけでしょう?

私は親の影響が全く無かったわけではないけど、どちらかというと外部の人の影響を強く受けて成長したんです。
だから、子供の頃の学習や、生活の様子、社会人になってからの人との関わりは、親と全く違うものになりました。

親の毒を強く受けていた、高校時代は暗黒時代でしたが。

親と大きく違う人間になれたのは、若い時に親と同じ様に行動して、誰かにちゃんと怒られたからです。
当時はすごくイライラしていた記憶が強いです。

正しいと思う方法でどんなに努力しても、自分はなぜか間違ってたんです。
当時の私はできなければ他人のせいにし、自分から行動せずに教えてくれないと嘆く人間でした。
まさに親の悪いところを集めたような人間だったのです。

間違う度に、イライラして周りのせいにしようとしたけれど、ある時やっぱり自分が間違っているし、変わるしか無いと気づけました。
飲み会で、先輩に「変わるしか無いじゃん!」と言われたからです。
その先輩は人間的にすごく魅力のある人で、若い頃の私はすごく信望していました。

若い頃、教員として成長すべきだった数年間は、自分を変えるために使われました。

私は、少しずつ変わるしかなかったので、できるところから、毎年自分を変えていきました。
自分を変える努力は結果的に、子どもたちにも還元できるまでになったと思います。
だから、私にとっては必要な時間でした。

みかぽん的自分の変え方

自分を変えるには、失敗から学びまくること、失敗をくりかえさないように対策することです。
発達障害の治療と似てますね。

最初の幼稚園での失敗で、仕事を素早く片付けることと、自分から質問することを学びました。
当時は母親みたいに指示待ち人間または、自分から聞こうとしない人間だったたのです。

最初の小学校では、とても不十分な私という人間を受け入れてもらいました。
どんなに失敗しても助けてくれた、親のような学校です。

次の中学校でもコミュニケーションが上手く取れなくて失敗し、予定を立てて仕事できなくて失敗しました。
失敗をしてから、前任者に仕事を聞くと仕事をやり遂げやすいと分かったのです。
計画前に人と話すのは大事で、計画を立てて仕事することも大事だって知りました。

初任の学校では、嘘や誤魔化しがいけないことを学びました。
校長先生がしっかり叱ってくれたんです。
本当は恥ずかしいことだけれど、私の当時のソーシャルスキルってそんな程度だったから。

親みたいに厳しくしすぎた時はお母さん先生が諭してくれました。
それから私はその先生に日常的に子供のことを相談するようになりました。
私は知らないからもっと知らなきゃいけないと思ったんです。
お母さん先生から学んで、子供と実際に関わって、毎日自分を変え続けました。
自分は何か足りないって分かっていたから、自分の行動を変えるのにためらう必要はなかったです。
私は、小学校にいたおかげで本当の意味で人を育てることや、人を受け入れること、叱るということの意味を教えてもらいました。

お局様に意地悪されたお陰で片付けもできるようになりましたし。
人間として大事なことを知ることができたから、仕事に専念できるようになってきました。

私はやめてしまった最初の幼稚園から期限付き教員の2年間、初任の小学校での5年間の間に、人間になることができました。
私の土台は22歳から28歳までの間にあるんです。

私が教員として自信を持てるようになるまでには、6年が経ってしまっていました。
6年目、その先輩に

「どうして変われたの?」
と言わせることができたのは、自分でも頑張ったからなんだな、と今でも思います。
本当に、変われて良かったです。心から。

親を見て腹が立つのは、以前のだめだった自分と同じだからなんです。

自分の土台はどこにあるか

毒親は自分と違いすぎるから、自分が間違ってるのかな、って不安になることはあります。

自分にはちゃんと土台がある、って自覚することが大事なんですよね。
やっぱり、自分から行動したほうが良いし、人のせいにする暇があれば新しい方法を考えて工夫したほうが良い。私はそうやって生きていきたい。
私と親は本当に違うんだから、私は自分のことを信じてしっかり自分を持っていなくちゃと思う。
自信をもっていいのは、反抗じゃなく、土台があり、根拠があるからなのです。

残念ながら次の学校で強姦とパワハラにあい、私は学校で働くことができなくなりました。
だから最後の学校に対しては、嫌な思いは残っています。

公務員は腐っている、というのは全部だと思っているわけじゃないんです。素敵な先生もいるし、熱意ある管理職だっています。
私は運良くそういう学校で働けただけなのかもしれませんが。

Twitterではたまに学校をdisりますが、やっぱり学校は私を育ててくれた場所ですし、感謝をしています。
親が毒親でも、主治医の言う「スタンダード」を身につけさせてくれた場所なので。

最後に、毒親育ちのみんなが幸せになりますように。

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