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この日常もいつか、安心に変わるのだろうか

牛乳もう少しで無くなるな、と、冷蔵庫を開けて気付いた前の日の夜。まあいいやと思い、牛乳の残量などとうに忘れて帰った翌日の夜、冷蔵庫を開けると新しい牛乳が1本入っていた。

夕飯とともに出てきたのは、銀のタンブラーに並々と注がれた麦茶。あっ、と思ったときにはもう、冷蔵庫には新しい麦茶が作られていた。


いつも適度なタイミングで補充される、牛乳や麦茶。朝起きるとすでに活動し始めている洗濯機。燃えるゴミの日にトイレのサニタリーボックスを開けると、昨日までいくつか入っていた汚物はすっかり無くなり、新しい黒ビニール袋がセットされている。

パートナーと暮らして丸1ヶ月、私の心地いい日常は、些細なところまで手が届くパートナーによって守られている。

そんなことを振り返るとふと、『企画メシ』同期の桂子ちゃんのnoteを思い出した。当時のパートナーと過ごした彼女がつくる日常には、いつも心地よさが流れていて、そんな日常のつくり方が、私のパートナーと重なった。

彼はよく、「こんなに安心できる人は初めてだ」と口にしていた。私の暮らしの中には、心地よさが流れていたのだと思う。

適度に片付けられた部屋。適切なタイミングで回される洗濯機。心地よい風と光が入る部屋と、そこに流れる好きな音楽。飲み明かした次の日は「やっぱり、しみてしまうよなぁ」などと言いながらお味噌汁を飲み、初夏は気持ちいい風の中で素麺を啜っていた。

私の生活には、何ひとつ特別はない。そんな中での生活を彼は「人間やってる…」と言っていて、それを聞くたびにどこかホッとする私がいた。

私にとって、安心は日々の中にしか存在しない。小さな日々の積み重ねこそが安心であり、これが安心なのだと示してくれるものであると思う。

「『安心は要らないんだよね』と、君は言った。」より

私はまだ、パートナーの日常に、安心できていない。

冷蔵庫を開けて新しい牛乳が入っていたら「ごめん……」と思うし(しかも私しか飲まないから尚更)、サニタリーボックスまできれいにしてくれることは「そこまでしなくていいのに……」と言いたくなるのを抑えて甘んじている。

気持ちよく「ありがとう」と言えない状況に、私たちはやっぱりまだ、一緒になって間もないことを思い知らされる。

けれど同時に、この日々に安心したくない自分もいる。
安心を覚えてしまったら、パートナーの温かい気遣いがすべて、当たり前に変わってしまう気がして。


「みかは頑張っていて偉いね」

作業や勉強のたびに自室にこもる私に、パートナーはいつもそう声をかけてくれる。

心地いい日常を守ってくれるあなたも、十分偉い。
私は今日も、この日常に生かされている。

いつかはこの日常も安心に変わってしまうんだろうけど、そこを一緒に乗り越えた先にはきっと、今より強く成長した私たちが待っていると信じている。

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