「旅先だからって、何もしなくていいよ」と日立が教えてくれた
JR常磐線、日立駅。
一面ガラス張りの駅から望む穏やかな太平洋に出迎えられて、「ああ、今日はここに泊まろう」と思った。ずっと行きたいと思っていたが、本当に来てよかった。
今月頭から何となく、日常に退屈していた。
遠出をしていないわけではない。11月には山梨に行ったし、10月には京都、夏には東北を巡った。
「旅をしながら仕事したい」という願望は、東北に行く前から早くも途絶えつつあった。私は旅先で仕事をしたくない。「せっかくここまで来たんだから」といろいろな場所に出掛けて感動したいし、地元で愛される居酒屋にひとりで入って店員さんに驚かれたい。
仕事とプライベートを分けないフリーランスもいるが、私は雇用形態はフリーランス希望、しかしマインドは完全に会社員らしい。そんなことに気づけたのも、こうして実際に行動に移したから。よかった。
けれど、今回出掛けたいと思った理由は観光ではなかった。
ただ、この日常から抜け出したい。いや、日常に不満があるわけではなかったが、単純に健全な刺激を求めていた。自分の脳がマンネリ化していたのだ。
遠出して一泊できればよかったので、旅先では何もしたくなかった。憧れのグリーン車に乗って、海の見える場所に行ければどこでもよかった。
そこで選んだのが、兼ねてから行きたいと思っていた日立駅だった。
けれど、事前に調べると日立駅の周辺は本当に何もない(出身またはお住まいの方、ごめんなさい)。コンビニは駅中の2つだけだし、スーパーはひとつ。いちばん有名な観光地もバスで30分以上。だから当初は日立駅に立ち寄った後、水戸駅まで戻ってそこに泊まろうと思っていた。
でも、この海に出迎えられた途端、「ここに泊まろう」と即決した。
「日立は海が近いのに、海を見渡せる場所が無いと思った」と、この駅をデザインした人の言葉が駅に綴られていた。そんな誰かの「なんとかしたい」が反映された背景も丸ごと、大好きになった。
結果、私は水戸に行かなくてよかった。
水戸には偕楽園などの観光地がいくつかある。きっと「せっかくだから」と言って足を運んでいただろう。何もしたくない旅で結局、何かしていただろう。
日立には、「旅先だからって何かしなきゃいけないわけじゃないよ」と教えてもらった気がする。何もないことは、いつも旅先で「どこか行かなきゃ」に支配されていた私に対する優しさだった。私はそんな日立の優しさに甘んじて本当に何もせず、ただ海辺を散歩して、ホテルでエッセイを綴った。映える感想は一言も言えないけれど、いい旅だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?