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「教える」っていろいろある。

今回は、最近しみじみ感じていることについてのお話し。
感じている、というか悩んでいる、というか・・・。
同じように感じている方はいるんじゃないでしょうか。
教えるって、大変じゃない?ねえ?

「おせっかい」と「教える」の違い。

事業を行う中で、当然、年下的な後輩的な立場のメンバーが生まれるわけだが、私はよく、自分の立場がわからなくなる。私は、年齢や立場関係なく話しちゃう性質があるのだが、明らかに年下で、経験値が足りない相手に対して、どう接したらいいか悩んでしまう。

この場合、私は相手にとって「上司」ではない。ただ年上の人、である。だから別に、「教えてあげる」必要はない。全くない。だが、同じ事業に取り組んでいる以上、相手が何か変なことをしていて、それに気づいていない時、「指摘」をしないといけないという事象が起こる。
この時に、私は脳内コマンドには、1、注意する。2、放っておく。3、後でお客様に謝る。4、上司に注意してもらうよう促す。の4つが浮かぶ。
そして考える。3、4はまず消える。3についてはそんな回りくどいことをしたくない、という思いからである。何より面倒くさい。じゃあどうするか。1か2か。
1、注意する。についてだが、もはやこれは私にとって「おせっかい」だ。別に上司でもなんでもない年上に、注意される。それを素直に受け止められる人って素直すぎやしないか。そんな人いるのか、めんどくさいやつだって絶対思うじゃないか。とか思ってしまう。(私自身が素直じゃないだけかもしれない)
では2の放っておく、はどうか。いや放っては置けないだろう・・・。失礼に当たる時、不満に思うのはお客様だ。さらにその不満の矛先は「私たち」である。「失礼をした人」ではない。デメリットを被るのはこちらだ。そんなの嫌だし、ただただ、すいませんの気持ちでいっぱいである。
ということは、つまり1しかない。「おせっかい」しかない。おせっかいじゃん!嫌だあ・・・。「教えてあげる」は「おせっかい」なのか?そもそも、「教えてあげる」というワードが上からだが、この場合「教える」も「教えてあげる」も行為としては同じである。ああ、自我を捨て去れ、私・・・。

聞かれれば答える、は「教える。」か?

そういう場面もあるが、別の場面もある。何かの事柄について「聞かれる。」場合である。そりゃあ、聞かれれば答えるさ、私も。だが、最近思うのは、「聞かれて答える」は正解か、という問いだ。
どういう意味だと思うかもしれないが、要するに、「答えるだけで相手の目的を果たしているのか」「答えるだけで相手のためになっているのか」ということだ。
相手がどういうコンテクストで聞いてきたのかも謎だし、そのコンテクストによっては、ただAはBだと答えることは、答えになっていない場合もある。真意は何かを読まないといけない。だから常に、なぜ聞いてきたのか?を想像するようにしている。(直接は聞かない。そこまでのおせっかいはしない。)それに、ただ答えるだけだと、相手が育たない。「はい、そうですか!」で終わる問いは、ほとんど存在しない。大事なのはこの後だ。この後を考えることが大事なんだ、と私は思っている。
まあ、別に相手が、ただ答えを知りたいだけならそれでいいんだけどね。

とにかく私はそういう考えを持っているので、AはBだよ!と答えることに、疑問を感じたりする。そういうことに疑問を覚えるので、「教える」ことがさらに難しくなる。困ったものだ。
この時点で、「教える」は「育てる」に意味が変わっている。ただ「教える」なら簡単に済むが、その先に「育てる」ことが目的としてるのなら、格段にその手法が難しくなるのである。だから後輩を持つのが苦手なんだ、ああ。

総括。「教える」は多義語である。

「教える」って難しいよね、っていうなんていうまとまりのない文章だと自分でも思うが、難しいんだからしょうがない。
「教えること」はその先にあるものによって、その形を変える。しかも、その先にあるものは、自分で決められるものの場合と、そうでない場合とある。(会社に所属していれば、自動的にその目的が設定される)
自分で決めなければいけない場合が、めんど・・・難しいのである。いつまで経ってもここで、足踏みする。早く大人になれよ、と自分に語りかけている。

「教える」について、だらだらと語ってきたが、もしかしたら、「教えるパート2」もあるかもしれない。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました!




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