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幸せは、比べられないし、その人にしか得ることができない幸せってあるよね。


「もし自分が重度の知的障害で、手術でそれが治るとしたら受けますか?」


先日、「アルジャーノンに花束を」を語り合う読書会で、こんな話題が出た。

今日は、その「アルジャーノンに花束を」と、「マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう」の2冊の本を読んで、感じたことを書いていく。

アルジャーノンに花束のあらすじをざっと書いておく。主人公のチャーリィは、重度の知的障害を患っていたが、頭がよくなりたいという願いを叶えるために、手術を受け、IQ68→185になった。彼の願いは叶ったが、友達だと思っていた仲間からはいじめられ、母親からは知的障害を理由に捨てられていた事実を知り、孤独感と葛藤しながら、天才としての人生を歩んでいくというお話。

もし、自分がチャーリィだったら手術を受けるかどうか。僕も、受けたいなと思う。天才になることで、孤独を感じたり、人を恨んだり、辛いことも多いだろうけど、自分が見えなかった景色が見えるし、その辛い時期を乗り越えることで、自分の人間性や人生が豊かになると感じたからだ。

一方で、自分の友達でそういう人がいたら受けさせるか?という問いに対しては、YESとは言えなかった。仕事柄、障害を持っている子どもと関わることがあるが、健常者と比べると、確かにできない事が人より多く、辛いかもしれない。ただ、彼らが現状不幸に感じているかというと、そうは見えないし、彼らも好きなことに没頭したり、友達に囲まれ、幸せそうに生きているから、その幸せを奪う必要はあるのだろうか?と感じた。

読書会では、そんなことを感じたのだが、「マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう」も読み、障害を持っている人の幸せについて更に考させられた。

「マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう」のあらすじはざっとこんな感じ。


筆者のお子さんは、視覚障害で何も見えない障害を持っていて、それが発覚した時、当初は絶望した。ただ、同じ視覚障害の人や、その人たち向けのブラインドサッカー協会のスタッフと話す中で、自分が今までやってきた広告制作のスキルを活かして、そのような人たちのサポートができないかと考えた。そして、「見えない、そんだけ。」という斬新なキャッチコピーを考案し、ブラインドサッカーを普及させる結果に繋がった。
この経験を通して、人は誰しもマイノリティ性を持っているけど、実はそれは、社会のイノベーションに繋がり、社会をより良くする可能性に満ち溢れているものだと筆者は気付き、マイノリティ性を活かしたイノベーションを、その後もどんどん行っていった。

この本に書いてあることはサクセスストーリーなので、何もしないで、全員が筆者みたいになれるわけではなく、行動や努力は一定必要だろう。ただ、障害を持っているからこそ、健常者の人には得る事ができない幸せもあるんじゃないかなとこの本を読んで強く感じた。


「もし自分が重度の知的障害で、手術でそれが治るとしたら受けますか?」


2冊の本を読んで、改めてこの問いに対する僕の答えは、「受ける」から、「迷う」になった。受けることによるメリットも間違いなくあるので、簡単には決められないのが正直なところ。ただ、障害があることで、その人にしか歩めない人生は間違いなくあるんだと、マイノリティデザインを読んで気付かされた。

気になった人はリンクを貼ったので、是非読んでみてください〜。


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ではまたまた。

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