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「読解力」を身につける意義

9月末頃、個人事業主向けのインボイス制度に関するセミナーを受けた。

インボイス関連のセミナーは、これが何度目かわからないくらい、たくさん受けた。解説者やイベントのコンセプトによって切り口が違うし、得られる情報も少しずつ異なる。だからできるだけ、目についたものは参加するようにしていた。

制度開始を目前に控えたタイミングのセミナーで、解説してくれた税理士の方の説明はとてもわかりやすいものだった。その中で、私たち個人事業主に向けておっしゃった言葉が心に残っている。

「個人事業主は、小さな会社を経営する社長と同じです。経営者であれば、こうした社会の変化による問題に直面することは必ずある。その度に自分で考え、責任を持って判断する勇気を持ってください」

一言一句同じではないけれど、そういう主旨のメッセージとして受けとめた。そして「今後もずっと大事にしなくてはならない言葉だな」と、あれから何度も思い返している。

税理士さんの言葉を思い返しながら、最近ふと思ったことがある。「自分で考え、責任を持って判断する」ために、私に必要なのは「読解力」ではないだろうか。

学生のとき、読解力という言葉は、わりと身近な存在だった。意味合いは文字通り「文章を読んで理解する力」。「読解力を養うこと」は、国語を勉強する目標の一つだ。

例えば、目の前にある文章が「私はminです」のように、誰でもわかるものだったら、読解力は必要ない。だけど国語の教科書に出てくる文章は、学年が上がるほど長くて複雑なものになっていく。

高校のときは特に「こんな長くて難しい文章読む意味あるのか」と思うことも多かったけれど、今は「なぜそんな文章に立ち向かわされていたのか」その理由が身にしみてわかる。私たちの生きる社会は、もっともっと「複雑な文脈」であふれているからだ。

何か一つの社会問題がポンと起こったとき。それは点のような出来事に見えて、その問題の前後には長い経緯=文脈がある。傍観者ならまだしも、当事者だったらそれらを読み取って考えなければ、うまく乗り越えられなかったりする。

インボイス制度だって、とても複雑だ。何が変わるのかを理解することさえ難しいのに、それを踏まえて最適な行動を見つけることはもっと難しかった。制度自体をちゃんと理解しようと思えば、歴史的な背景も含めて考えないといけなくなる。

でも「わからないから知りません」とは言えない。だからその中で、たくさん情報を仕入れて、自分なりに読み取って解釈して、答えを出さないといけない。ここで必要になる力って、読解力と同じだなあ、と思うのだ。

何か起こったときに私が「自分で考え、責任を持って判断する」ためには、社会の制度や流れ、自身の働き方や業界のことなど、あらゆる情報を自分から仕入れにいき、できるだけ正しく読み解くことが欠かせない。

これも全部、私の読解力にかかっているのかもな。そう思うと「国語って本当に大事だな」とあらためて実感する。これこそ、読解力を身につける意義なのかもしれない。大人になっても、こうやってもがく中で、力をつけ続けられるといいんだけど。

あの税理士さんの言葉は、一見冷たいようにも感じる。でも「個人事業主もそれくらい覚悟を持って仕事に臨もう」と諭してくれたのだと思う。そんな言葉を聞いて気づきを得たことが、あのセミナーの何よりの収穫だった。

最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。いただきましたサポートは、自己研鑽やライター活動費として使用させていただきます。