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目の前の人が、居心地よくいられるように

会うと必ず、何か一つ褒め言葉をかけてくれる友人がいる。

この前は一緒に食事をして別れた後、撮った写真をLINEで送ってくれたときに「今日の服、差し色が効いてて素敵だった!」と、わざわざ言葉を添えてくれた。

おそらく彼女は「人に会ったら、相手の外見をどこか一つ褒める」と決めている。以前からそこには気づいていて、素敵な心がけだなと感じていたのだけれど、2月に読んだ塩谷舞さんのエッセイがきっかけで、さらなるその気遣いの深さに気がついた。

アメリカでは、相手の顔を褒めることはめったにない。どこか相手のビジュアルを褒めたいのであれば、衣服や持ち物など、後天的に選んだものばかり。体型や容姿を蔑むことはもちろん、褒めることもご法度で、持って生まれた容姿を一方的に判断してはならない、という人権意識を強く持っている。

『ここじゃない世界に行きたかった』より

そういえば、彼女が褒めてくれるのはいつもファッションや持ち物の中のどこかだ。留学経験もあり、グローバルな仕事をしているから、彼女の中にもそういう人権意識があるのかも、と気づかされた。

一方、日本にずっと住んでいると、なかなかそういう考えに至ることがむずかしい気がする。「容姿いじり」も横行しているし、軽々しく顔や体型を評価しがちな風潮がある。

「持って生まれた容姿を一方的に判断してはならない、という人権意識」があるアメリカでは「意見すること」自体が失礼にあたる。「褒めたつもり」とか、言った側の悪気の有無は関係ない。

対してファッションや持ち物は、本人の感性やこだわりが体現されたものでもあるから、褒めてもらえたら素直に喜べる。そういうもの以上に、先天的な顔や体型のほうを重視しがちな世の中は、生きづらいのも間違いない。

こうしてエッセイと友人のおかげで、自分自身の人権意識を見直す機会に恵まれた。本を読んでいなかったら、友人の印象も「いつも外見を一つ褒めてくれる」のまま、とどまっていたと思う。

そもそも「何か一つ褒める」こと自体「相手の居心地が少しでも良くなるように」という、とても素敵な心がけだ。そこにさらに深い気遣いがあったと思うと、尊敬の念がやまない。

世の中を簡単に変えることができなくても、目の前の人が居心地よく過ごせるよう、努めることならできる。私も「少しでも相手の居心地がよくなるように」と考え、実践できる人でありたい。

最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。いただきましたサポートは、自己研鑽やライター活動費として使用させていただきます。