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平成生まれの人生観(2/3)【ガンジス川で会おうぜ】

※あくまでも筆者の個人的な見解です。

前回のおさらい

平成一桁台生まれの筆者は、生まれた瞬間にバブルが崩壊したが、過去の栄光が忘れられない大人たちによる、バブルチックなメデイアコンテンツ・楽曲を消費し、過去の栄光と実態社会との歪みに爆誕したコギャル文化の誕生と終焉に揺さぶられながらも、ハイテク時代の黒船”iPhone”をゲットし、攻殻機動隊に夢を馳せながら、失われた30年の渦中に突入していくのであった。

海外ボランティアブームとは何だったのか?

筆者が大学生のころ、世はまさに、大海外ボランティア時代であった。

当時は、以下のような活動が書籍化されたり、映画化されており、大学生の学生生活における一種のトレンドのようになっていた。

海外ボランティアブームの象徴たる映画『僕たちは世界を変えることができない』のあらすじは以下のとおりである。

ありきたりな毎日に物足りないものを感じていた医大生のコータは、ふとしたことから手にした海外支援案内のパンフレットに触発され、カンボジアに学校を建てることを決意。人材や資金集めに奔走する。しかし、現地視察で訪れたカンボジアでは厳しい現実を目の当たりにし、帰国後もさらなる困難が待ち受けていた……。

映画『僕たちは世界を変えることができない。』ネタバレ感想|原作よりココが凄い! (eigakatsudou.com)


映画化された際のポスター
https://girlshour.net/bokuseka-movie-free-21016/

筆者は、このようなキラキラ・クラブ系大学生が嫌いだったので、こういう”日常の物足りなさ”から海外ボランティアへの参加を決めた訳では無いが、ADHDとアダルトチルドレンゆえに自己肯定感が低く、自分を鍛える機会として選択していた。
大学2年生の頃には、アジアの発展途上国に対するフェアトレードの事業運営などに従事していた。

昨今でいうと、起業やベンチャー企業でのインターン・アルバイト経験が、大学生の該当のトレンドではなかろうかと思っているが、今となって思うのは、なぜ、当時あんなにも海外ボランティアブームが白熱していたのだろうということだ。

何者かになりたいという根源的欲求

筆者の生まれた平成一桁台世代は、ゆとり教育が開始された世代である。一人ひとりの個は尊重されるべきで、個性を必要以上に潰す競争なんてもってのほか、という思想に基づいて教育体系が見直されていた。

競争、画一的な詰め込み教育から脱却して、より個性を伸ばせるような創発的な教育コンテンツを盛り込まんとして、”総合学習”という科目が爆誕した。

個人的な意見にはなるが、そもそも教育する側が、こうした自ら問いを立てて学習を進めることに長けていない、そうした能力を伸ばし、測るような教育を受けていないので、構造的に実現性が低いだろうと思っているが、まあ、爆誕したのである。

こうして、個性をやたら尊重するが、本来的な意味でのこの能力開発まで至らない中途半端な教育思想の元、自己愛だけ肥大化してしまった世代が筆者を含めたゆとり世代である。

筆者は、”何者かになりたい”という根源的欲求を全く否定しない。むしろ全肯定している。そうした欲望によってイノベーションが起こると考えているからである。

彼らの悲哀は、その自分の個性を試したいという気持ちが肥大化しているのに、自由に時間を使える大学生になるまで、主体的に企画・挑戦・失敗・再挑戦するという機会を多分に与えられなかったことにある。

成功体験に乏しく打たれ弱い挑戦者たち

日本の教育制度上、最も時間の自由度が高い時期は大学生である。講義を取る取らないも自由であり、もっぱら、アルバイトやサークル活動に時間を咲く学生も多く、自分で時間の使い方を主体的に設計できる。

ゆえに、こうした”自分とはなにか?”という存在証明について思考したり、挑戦する余白が生まれやすいのだと思う。

筆者も、休学して留学していた4年生の時期を除いて、フェアトレードの事業に大学2、3年生、5年生と従事しており、ブームの渦中にいた。

筆者の周囲も、やれバックパックで世界一周だ、やれインドのガンジス川で沐浴して自分を見つめ直すのだ、と、とにかく海外で何らかの経験をし、経験を通じて自己を獲得し、何者かになろうとする風潮があった。

しかし、フェアトレード事業の運営という、海外ボランティア経験の中で、けっこう恥ずかしい失敗を複数回繰り返した結果、社会に出ても経営や事業開発で飯を食っていきたいと思い立った身の上からすると、海外で自分たちで企画し実行し、大なり小なり失敗するという機会を、その後の人生に活かしきれた大学生がどれだけいるのだろうか、と疑問に思っているのだ。

海外ボランティアとして、活動の計画を立て、現地の人間を巻き込み、まあまあ失敗して、課題を残して日本に帰国する、という、たった一度の挑戦と失敗で、経験が”点”で止まっており、その後の再チャレンジもなく、”ただの思い出”に留まり、その後の人生にあまり影響を受けていないひとが結構多いなという印象なのだ。

挑戦と失敗を自分の人生の血肉にするには

”何者か”という唯一無二の個性、オリジナリティを際立って獲得するには、”何をするか”ではなく、”行ったことをどう意味づけするか”のほうが経験を消化するという意味では、確実性が高いのではないか。

挑戦した事自体から得られる自身の変化と、失敗したことから得られる自身の変化を観察、言語化し、自分の明日の人生に活かそうとする連続が、自身を唯一無二の”何者”にするのではないか。

そして、めげずに自分の挑戦と失敗に向き合い言語化していく価値は、”数多く打席に立つこと”と”言語化して経験を己のものにすること”を早期に体験し、次の挑戦に繋げられた人間のみが、実感するのでないだろうか。

個を大切にし、多様な才能を育もうとしたゆとり教育によって、平成以降、ひとりひとりが個性の確立を意識し始めたことは、イノベーションの土壌を育むことには繋がったのかもしれない。

筆者は、個の獲得は、”数多く挑戦すること”、”挑戦・失敗含め自身の変化について言語化すること”の経験学習サイクルでしか、なし得ないと思っている。そして、この学習サイクルに馴染むのが早ければ早いほどよいと思っている。

しかし、ゆとり教育による”個”の獲得が、イマイチ成果として結実していないのは、結局、”何が個性の獲得に効くのか”まで、誰も明らかにしていなかったし、具体的に教育に組み込めていなかったからなのだろう。

個を尊重するというメッセージングだけ平成世代に打ち込んだはいいものの、具体的にどうすればいいのかわからない、自己愛だけ肥大化した若者たちが大学時代の自由な時間を持て余して、果たしてあの経験はなんだったのか、となんとも言い難い思い出だけ携えて、そのまま社会に出ていったのである。

かくいう筆者自身も、大学生になる前から、自分の個性や能力を試す挑戦機会と内省機会をもっと得たかったと思う若者のうちの一人である。

だからこそ、かつて自身も渦中にいた、海外ボラティアブームの熱狂に哀愁を感じざるを得ないのである。

次回は、仁義なき就活戦線-いつまでメンバーシップ型雇用だと錯覚していた?-について述べたいと思う。









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