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東京から広島へ子連れ車旅〜前編

 「ぼく、原爆ドーム見に行ってみたい」

4月のある日、夕飯の準備をしている私に向かって6年生の長男がそう言ってきた。

毎日のように流れるウクライナの戦争をみて、長男なりに何か思ったらしい。
コロナ禍で旅を控えてきたが、ここ2年ほどでそれなりの守り方は分かってきた。今年は出来るだけ行きたいところに行こうと思っていたタイミングでの長男の一言だった。行きたい時に行こう!GWの旅先は広島に決まった。

我が家は基本、車で行けそうなところは車で旅行に行く。鳥取や香川にも車で出かけた。東京から広島まで高速に乗って9時間。さすがに長時間だったので、手前の岡山で一泊してから広島入りすることにした。

深夜に東京を出発し、6時間ほどで岡山県倉敷市についた。
岡山は初めてで、観光地として有名な美観地区に行ってみたいと思っていた。美観地区は思っているより広くて、立ち並ぶ蔵屋敷が圧巻だった。メインストリートの倉敷川沿いは多くの人で賑わっていてワクワクした。

400年変わらぬ風景の美観地区。

事前に岡山土産を調べていた長男は、岡山のきび団子を買いたいとお小遣いを握りしめ歩いていた。価格もちょうどいいきび団子を見つけ、購入している時に、お店のおばちゃんが私に話しかけてきた。

「ここの景観がどうして江戸時代から残っているか知ってる?」

美観地区は第二次世界大戦の戦火を逃れた。それは、倉敷沿いのメインストリートにある西洋美術館が理由だという。ここには、世界的に有名なモネの睡蓮やピカソの絵画などが展示してあり、それを知っていた米軍が空爆をしなかったという一説があると話してくれた。

「戦争が起きなかったら、今見えている景色と違う場所もあるだろうね」

別れ際、おばあちゃんはそう行ってお店に戻っていった。戦争がなくしていったものは計り知れないだろう。今のウクライナがそうであるように。

その日は岡山駅の近くに宿泊し、翌朝近くの街喫茶でモーニングを食べ、広島へ向かった。広島には友人家族が住んでいて、久しぶりに会うことになっていた。

合流して小さな港町の鞆の浦を散策し、その後、船で大久野島へ行った。おだやかな瀬戸内海に浮かぶ大久野島は、第二次世界大戦時に国家機密の毒ガス製造をしていた為、地図から消されていた島だったという。

1時間ほどで島内を歩けるほどの小さな島で、毒ガス製造場として多くの人が働いていたという。

広島では平和記念公園近くのホテルを予約していた。ここの朝食ビュッフェは最上階にレストランがあり景色が最高だった。

ホテルの朝食会場からは原爆ドームも見える。

旅の3日目は、午前中に宮島へ行き午後は平和記念公園や原爆ドームを巡った。宮島の厳島神社は大鳥居の改修中で少し残念だったけど、次に来る時の楽しみにしたい。子ども達は神社より潮がひいた海に夢中だった。それにしても、連日天気が良くて本当によかった。瀬戸内海のおだやかな海が本当に綺麗で癒される。

改修中の大鳥居の前で。

午後はこの旅の目的、原爆ドーム周辺へ。まず平和記念公園資料館へ行くことにした。GWなので少し混んでいる。
中は薄暗く、当時の街並みや被曝した当時の様子が残されていた。広島に住む友人から、昔よりは衝撃的なものは少なくなったよと聞いていたが、目の前にある写真に言葉もなかった。寒気とも違うゾワっとした感覚を何度も背中に感じた。
次男はあまりの怖さに泣いてしまった。でも、そう遠くはない過去にこの場所で本当にあったことで、私は次男の背中をさすることしかできなかった。

資料館を出て、原爆ドームへ向かった。
当時の様子を見た後に目の前に現れた原爆ドームは、何とも言えない迫力があった。ここでは人の形さえも残さず消えてしまった命がある。

夕方の原爆ドーム。

黙って見上げる長男。彼は何を感じただろう。
ここでは家族で記念写真を撮る気にはどうしてもなれなかった。

長男の一言で、初めて広島へ訪れて原爆による悲惨さを感じた。「戦争はダメだよね」なんて話し合わなくても感じることがあった。ネットで調べることではわからない人との出会いや現地の空気に触れることが子ども達の財産になってくれると良いな。

親が子どもに教えることって実はそんなになくて、一緒に何かを感じたり、子どものアクションに応えてあげることが大切なのかもしれないと思う。

旅はそんな大切なことに出会える。子ども達が大きくなった時に、今回の旅が何かのきっかけになったら嬉しい。

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