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「好きな自分」って、どんな自分?手帳で観察してみた話

今月の大発見。
「好きな自分でいたい」と思っているのに、私は「どんな自分が好きなのか」ということが全くわかっていなかった!



はじめに


今月初めに読んだのは『人生・キャリアのモヤモヤから自由になれる 大人の「非認知能力」を鍛える25の質問』

• 5年後、自分の仕事はどうなっているんだろう
• 5年後も今と同じモヤモヤを抱えているのだろうか
• 自分は本当にこの仕事をしたいのだろうか
• 何のために働いているのかわからない
• 社会とのつながりが感じられない
• 自分らしい人生を生きたいけれど、どうしたらいいかわからない

本書は、こう感じているあなたのための本です!

Amazonより

非認知能力とは、自己肯定感、自分軸、成功体質、主体性、オープンマインド、共感力などからなる、目には見えない「生きる力」「人間力」とも呼べるものです。
これらの武器を身につけてブレない自分をつくることができれば、この先のキャリアで何が起こっても、どんな道を進んでもうまくいく
ーーこの点が、これまでのキャリア構築本とは大きく異なるところです。

Amazonより

8月は、「深読」(手帳を使って書籍のエッセンスを実践・深掘りする)にこの本を選びました。
――といってもこれまで何度か挑戦して挫折した通り、今回も中途半端。笑

理由はいくつかあるのですが、一番大きいのは、非認知能力として挙げられているものに対する課題感・枯渇感があまり感じられなかったこと。
「何が起こっても大丈夫な自分を作る」という方向性には強く共感したのですが、「自己肯定感」「自分軸」「成功体質」など、それぞれの非認知能力のワークに取り組む中で、「私、概ね、意外と持ってるじゃん」と思えてしまって……夏休みなどイレギュラーのスケジュールが多い8月に時間とパワーを割いてそれぞれのエッセンスを実践していく、という優先順位を上げきれませんでした。
(もちろん、部分的な課題ややりようはあったので、そのポイントに重点的に取り組んで方法を再構築すればよかったんですけどね…(遠い目))

ただ、このnoteを書いているということは、発見もあったということ。
その発見というのが、冒頭にも書いたこれ。

「自分を好きでいたい」と思っているのに、
「どんな自分が好きなのか」が分かっていない!

本書で一発目に登場する非認知能力が「自己肯定感」。
これを成す要素の一つである「自分の得意・強み」は自分なりに挙げることも語ることもできるのですが――最初のワークで「自分の好きなところはどこ?」という問いを目の前にしたときに、びっくりしたんです。

私、どういう自分が好きか、わかってない!って。

スペック(強み、得意)は肯定しているけれど、どうある自分が好きかってのが語れない。これがかつて苦しんでいた「他人の要望に応えて力を提供してばかりの自分」の理由なのではなかろうか!?

手帳に「自分のいい感じ」をストックしてみた

そこで、手帳のウィークリーページの余白にちょっとしたメモ欄を準備。
「どんな自分がいい感じ?」をストックしてみることにしました。

書ける日も書けない日も、忘れる日もありましたが・・・ひとまず3週間で出てきたのはこんなこと。

①やると決めたらやる方法を模索して走れる自分
・決めたことできてる(note etc.)
・夜のTime Table作ったら時間守れた!スムーズにやりたいことできてる
・フトンからでもnote
・隙間時間にタスク
・時間無駄にしてない

②子どもを言い訳にしていない自分
・子がいてもタスク着々
・子がいてもやりたいこと選べる

③自分のご機嫌・大切にフォーカスしてセルフコントロールできている自分
・子の癇癪に落ち着いて対応
・自分をわかって行動を選べる
・眠いから「これだけやる」ってやること絞ってやりきれた!

④自分も周りも楽しませようとする自分
・ユーモアもってコミュニケーション
・早起き成功、朝娯楽や趣味に割けてる

⑤お金でストレス発散せず、日々の生活の中に幸せを見出している自分
・昼ごはん、外食に頼らず作ってる
・お金使わない
・カフェ行かなくても家で満足を見つけてる

へ~!私こんな自分が好きなんだ!

どれも文字にしてみれば「まぁ、こういうのってよさそうだよね」とは思えるものばかり。とはいえ、これがわかっているかいないかって、すごく大きな違いがあると感じたんです。


それは「我慢」か?「確信した選択」か?

ちょっと話は変わりますが、自己啓発本の名著として知られる「7つの習慣」をご存知ですか?

この「第一の習慣:主体的である」というために必要なこととして「一時停止」という考え方が挙げられています。

「刺激」に対して「行動」するのではなく、
「刺激」→「一時停止ボタン」→「行動」…という風に、刺激を受けたら一度立ち止まって自分の行動を選択することこそが、主体的なのだ――と。

この一時停止ボタン、押せたらいいよね~とは思います。
けれど、昔からキレキャラだった私は「いや、どうして自分の感情を抑えなくてはいけないの?腹が立ったなら怒っていいし、感情をあらわにして行動していいじゃない!」というのが根っこにある。
故に、冷静なときこそ「一時停止、一時停止・・・」とは思えても、カーッとしたときには「そんなもん知らんわ!私は腹が立ってるんじゃ!!!」となりがち。

つまり、こんな状況で一時停止ボタンを押すことは、私にとって「我慢」だったんです。

けれど「自分のご機嫌・大切にフォーカスしてセルフコントロールできている」「自分も周りも楽しませようとする」、そんな自分が好きなんだってわかっていれば、「この選択をしてよかったと思える」という未来が確信できる。そこには「我慢」は存在せず、「する必要のない選択を手放した」自分しかいない!

てっきり「贅沢やご褒美でストレス発散」したいとも思っていたけれど、どちらかというと、ちょっとしたことに楽しみを見出しウキウキできる自分がお気に入りだったんだ!という発見もまさにコレにつながる。
カフェにいる時間は好きだけど、だからといって家でコーヒーを飲む選択をした自分にがっかりする必要はなくて、むしろそんな風にご機嫌をとれる自分が好きって思える自分がいるんだなぁ。

妄想した「ありたい像」には「べき論」が含まれているのかも!?

今回「私はこんな自分をいい感じと思える」という事実を集めたのは、いわゆる帰納法的な形で好きな自分像を探したわけでして。

事実として「こういう瞬間の自分が好き」が積みあがっているので、その共通項から導き出した像に疑いがないんですよね。
ところが、「こうだったらいいなぁ」というイメージで「きっとこんな自分なら好きになれる!」とイメージすると、どこか「べき論」が含まれているのかもしれない――。

さっきの一時停止の例だと、「感情を爆発させたい自分をおさえるといい”らしい”」(=そうするべき)だから、いざってときに「だって爆発させたいんだもん!それが私のしたいことなの!!」「どうして相手のために自分の感情を抑え込まなきゃいけないの!?」と思ってしまうけれど、
「コントロール感やユーモアのある自分が好き」という事実があれば「そういう指針で行動を選択することが、自分の『充足感』や『好き』につながるんだ!」と納得できると、”自分のために”その行動を選択できる。

これは大きな違いだなぁ……!と思ったわけです。

おしまいに

本全体の深読という点では中途半端な形になってはしまいましたが、事実を積み上げて自分の指針を手にできたことは大きな収穫!

自分のありたい像ってなんだろう?
どんな自分が好きなんだろう?
そう思うと、「こんな姿にあこがれる!」「あの人が素敵!」って、ついつい周りを見回してしまいがちですが……ゆるぎない答えは、どうやら自分の中にりそうです!

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