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実はすごい!【徳川家康公のお墓、久能山東照宮】~久能山東照宮の歩き方~

三保原屋は静岡駅前商店街にある家庭用品店です。創業は1687年と言われています。静岡はイメージがないかもしれませんが・・いいところが沢山。
今日は久能山東照宮についてです。


実はすごい!久能山東照宮!

静岡にある久能山は、徳川家康が遺言により埋葬された土地。
2代目将軍、徳川秀忠により久能山東照宮が建設され、現在も多くの方が参拝されています。

「久能山東照宮を知ってほしい」という想いから、久能山東照宮をテーマにした手ぬぐいを作成し、奉納に行ってきました。

今回は、手ぬぐいに込めた想いをとおして、久能山東照宮の魅力を記載します。
(※歴史や言い伝えに関して諸説あるものもございます。あらかじめご了承ください。)
色々な説の検証や、考察を含めて、久能山東照宮を楽しんでいただけますと幸いです。

久能山東照宮の基本的な願いは「平和」

長い戦国の世に終止符を打った徳川家康は人生最後の場所に静岡(駿府)を選びました。
そして、家康によってひらかれた江戸幕府は260余年と、世界でも類を見ない「泰平の世」を築くこととなりました。

以下でも記載をしますが、久能山東照宮のいたるところに平和の象徴と考えられる装飾があります。

久能山東照宮イメージ

やっぱり階段??

ご存じの方は、久能山東照宮のイメージは「階段!」と答える方もいらっしゃるかもしれません。

17曲がり、1159段(石鳥居から御社殿までの段数)に及ぶ石段を登らなければ参拝できないイメージですが、日本平からロープウェイを使って参拝をすることもできます。

久能山東照宮のすごさ

実は静岡県は漆塗りの文化財の数が京都府と同数で、全国2位。
(全国1位は日光東照宮のある栃木)

国宝の御神殿

その理由は徳川家の加護を「久能山東照宮」と「浅間神社」が多くうけていたためと考えられています。
今も昔も漆は高級品で建設や管理には多額の費用がかかります。
総漆の国宝・重要文化財は久能山東照宮だけで14個あります。

手ぬぐいのテーマ

今回、久能山東照宮をモチーフとした手ぬぐいを奉納しました。

今回は久能山東照宮の文化財や、面白さを身近に感じていただきたく、手ぬぐいをデザインしました。

デザイナーさんはpunto a puntoとして活動する小山佐和子さん。
デザイナーの小山さんと調査をしてくなかで、いろいろなモチーフに意味を込めてつくることにしました。

デザイナーの小山さん(写真左)も、奉納に立ち会っていただきました

手ぬぐい上のモチーフ

ここからは手ぬぐいのモチーフを見ながら、実際の久能山東照宮について説明をしていきます。

①獏

手ぬぐいの上にいる青い生き物は獏(バク)。
「金属(武器)を食べるため、平和な時代にしか生きることが出来ない」といわれている獏は、楼門(以下②で説明)に4体描かれています。

楼門にある獏の装飾

中国では「邪気を払ってくれる」と信じられていた空想上の生き物の獏。
日本に獏が伝わると、「邪気払い」から「悪夢を食べてくれる」と意味が転じて
●初夢が悪かった時に備えて枕のしたに獏に関するものを敷いたり
●獏の形の枕が使われていたり
●江戸時代には獏が描かれた札が縁起物として流行したり
するなど、とても意味のある生き物と考えられていたようです。

なお、実在するバクは、この伝説上の生き物と姿が似ていることから「バク」と名付けられました。

②獏の下にある赤い門

赤い門は楼門をイメージしたイラスト。
2階建ての大きな門で、久能山東照宮に参拝された際は、写真を撮る方も多くいらっしゃいます。

楼門からスタートする、漆の国宝・重要文化財に目を向けて欲しい思いでデザインをしたものです。

③門の左にある5枚の赤い花

赤い5枚の花弁は、家康が非常に好んだといわれる「梅」をイメージしています。
特に語り継がれるのは、久能山東照宮にある【実割梅】という梅の木。

梅の季節になると、キレイな花(白い花)を咲かせます。

この実割梅は当初、徳川家康の手によって駿府城に植えらたと言われています。そして、江戸時代、この実割梅でつくった梅干を久能山東照宮に納める仕来りがあったそうです。
ただし、梅干しの奉納は明治維新後に廃れてしまいます。
(明治維新後、徳川にとっては逆風の時代が続きました)

この梅のことを心配した当時の久能山東照宮の宮司さんが、徳川慶喜と協議の上、駿府城から久能山東照宮に実割梅を移植しました。
そのため、現在、久能山東照宮に生えている実割梅は「家康公お手植えの梅」として伝えられています。

そして、現在、実割梅の前には石碑が建っています。
この石碑は、一連の出来事に感銘をうけた勝海舟が山岡鉄舟と共同で建てたものと言われています。

④楼門の右下より斜め左に続く■

こちらは階段をイメージしたもの。
楼門の下から始まる■の数(虎の下にも描かれている■を含む)を数えていただくと17個になっています。

赤い矢印のように登っていきます

実際の久能山東照宮へ続く階段が17曲がりとなっており、現在も神職に就く方々も、この階段を上って毎日の参拝客を迎えてくれています。

⑤虎

今回の手ぬぐいで注目したものの1つが、御社殿の周りに施された「玉垣」と呼ばれる装飾。
数々の花や鳥が描かれ、まさに当時の方が思いつく限りの「極楽浄土」のような平和な装飾が沢山残されています。

その玉垣の中で気になったのが寅。
徳川家康と寅はとても深い縁で結ばれています。

社殿横にある玉垣の寅

ご存じの方も多いかと思いますが、家康の干支は寅年。言い伝えでは、寅の刻(現在の午前4時前後)に生まれたとされています。

手ぬぐいの寅の周りに描かれている竹には、隠し文字が描かれています。
(こちらは、久能山東照宮の御朱印(2022年寅年限定)から頂いたアイディア!)

⑥兎

この兎も玉垣をモチーフとしたもの。鳥も捨てがたかったのですが、理由があって兎をモチーフとしました。

それは、久能山東照宮を家康の遺訓により建てた2代目将軍秀忠の干支が兎だったため。

玉垣の兎

家康から始まる将軍の干支は面白い並びになっています。
家康からの干支を並べると
初代将軍、家康:寅年
二代目将軍、秀忠:卯年
三代目将軍、家光:辰年
四代目将軍、家綱:巳年
と、連続した干支になっています。
(五代将軍の綱吉は・・午年・・ではなく戌年。)

ちなみに、三保原屋の創業は五代将軍、綱吉が将軍だった時代。
三保原屋の創業1687年はまさに生類憐みの令が制定された頃と言われています。

⑦一番下に描かれた波

久能山東照宮に参拝に行くと、眼下に広がる駿河湾が絶景です。
特におススメは「一ノ門」から見える駿河湾。
休憩がてら、海を眺めている方が多くいらっしゃいます。

久能山東照宮の一ノ門より

一ノ門の内側から見える海も絶景です。

久能山東照宮の一ノ門の内側より駿河湾を撮影

実はこの手ぬぐいにデザインされた一番左端の波の線が2本。
他の波は線が3本になっています。
波の線を1本とった意図は「デザインが未完成である」状態にするためです。

この「未完成」という点について、諸説ありますが、日光東照宮でも、久能山東照宮でも、「建物を完成させない」ために「逆」につけられたと言われているところがあります。
日光東照宮では陽明門の柱が1本上下逆に付けられていて、久能山東照宮では御社殿の葵紋が逆になっています。

目印は葵の御紋が逆さになっているところ。

個人的な意見ですが、現在よりも江戸時代の方が生活は不便でしたが、時代としてユーモアを感じることがあります。

建物は完成してしまうと、その次は劣化が始まるという意味で「未完成な状態」を意図的につくるため、柱を逆(柄を逆にする)に使うという発想は、とてもユーモラス。

【家康という偉大な人物】の、【大切な建築物】に、しかも逆にする目印として【葵の御紋】を使ってしまう大胆さに、ちょっとドキッとしてしまいます。

更に、久能山東照宮の一番上にある「神廟(しんびょう)」近くには、家康が残したとされる【金の成る木】の逸話が書かれています。
【金の成る木】が気になる方は、是非、立札を読んでみてください。

思わず、じっくり読んでしまう、金の成る木

⑧その他

実は、デザインをしてくださった小山さんに1つ無理難題をお願いしたのが
「富士山の位置関係は現実と違っていても、家康を象徴とする寅の顔の向きを、実際の装飾よりも、なんとなく西(手ぬぐいの左側)も見ているようにして欲しい・・
というお願い。

家康が将軍職を秀忠に譲り、静岡に大御所としてやってきたのが1607年。
大阪には豊臣秀頼をはじめ、西軍の武将たちが多く残っていました。
個人的に、秀頼存命中に、秀忠に将軍職を譲るというタイミング・決断が、絶妙というか・・本当に意味のあることだったのだと思います。

また、家康が静岡に隠居した理由は複数考えられます。
①気候が良い
②ふるさとに近い
③大阪から江戸に敵が進軍する際の防衛拠点
このあたりの説を見聞きしたことがあります。

家康が亡くなった時には大阪夏の陣は終わっていましたので、亡くなった際には、そこまで大阪を意識しなくても良かったのかもしれませんが・・


それでも、家康のご遺体がはいったとされる神廟(しんびょう)も西向きに建てられていることから、西に特別な想いはあったのかなと思います。

一説によれば、久能山から西に線を伸ばせば
●御両親が子授け祈願の参籠をされたという言い伝えを持つ鳳来寺
●その西に岡崎の松平家の菩提寺大樹寺
●家康誕生の地である岡崎城
●その先には京都

があると言われています。

是非、ご参拝の際には、神廟(しんびょう)まで足をのばしてみてください。

⑨漆の修繕費は高い

久能山東照宮には漆塗りの国宝・文化財が数多く存在します。漆は修繕に多額の費用がかかります。
今回の手ぬぐいの売上の一部を、漆の修繕費に充てていただいております。

手ぬぐいの発売は、12月26日(徳川家康の誕生日!)。
ご興味のある方は、こちらのリンクからご覧ください。

最後に

もともと家康は、いわば中小企業の社長のような存在。
今川と織田、武田と大企業の間を縫うようにして生き残った苦労もあったと思います。(まさに、どうする、どうするという「変化する判断」の連続。)


戦国が終わったという意味で、大きな功績を残し、平和を願った久能山東照宮に是非足を運んでみてください。
(※何度も説明をしてくださった久能山東照宮のご担当者様、階段の往復にもお付き合いいただいた小山様、ありがとうございました。)

※2022/12/27追記
2022年12月26日の発売にあわせて、久能山東照宮に参拝に伺ったところ、、
家康公誕辰祭に大河ドラマ出演予定の松本潤さん、杉野遥亮さん、板垣李光人さんがご参列されているところを拝見しました。

2023年の大河ドラマ「どうする家康」で、ますます久能山東照宮にご参拝される方が増えるといいなと思います。

※2023/1/9追記
ついに始まった「どうする家康」。放送開始からトレンドにあがったワードはなんと『待ってろよ竹千代…俺の白うさぎ』でした。

史実との関係性は私にはまだ理解できていませんが、久能山東照宮には、うさぎの装飾が実際にあり、見ることができます!
是非、久能山東照宮にご参拝の際は、この玉垣(装飾)をお楽しみください。

こちらのnoteでは簡単な補足情報も記載しています。

また、大河ドラマでも信長公・家康公が楽しんだと言われている富士山についての記事はこちらから。


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