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野暮な庭と、野暮な庭主

平日だというのに、庭に居座ってしまうことがある。
ちょっとだけ庭の様子を見に…のつもりが、軽く1時間近く経っていることに気がつかないのが最大の理由。時計の針は確実に進んでいるのに、私の体内時計では、ものの5分程度しか進んでいない。
大抵私の昼休みは、こうして終わっていく。

我が家の3坪小庭は、もうすぐ、4年目を迎えようとしている。ガーデニングを始める前までは「ただの空き地」程度にしか思っていなかった。素人ながらちょっと花を育てるようになってからは、特別な空間へと昇格。
今では庭無し生活は、考えられない程になっている。

ウインティー。寒い冬の日陰庭で、よく咲きます。今が1番綺麗!


さて、最近の私の頭の中は、可愛い庭にしたい願望でごった返している。
しかし残念ながらこれまでの人生、デザイン的な分野やセンス的な物事とは、あまり仲良くしてこなかった。絵を描くことに苦手意識があり、美術鑑賞はまだしも、自分で何か作ろう!描こう!という気持ちはほぼ芽生えない。

青春時代のファッションは、恋愛したい願望から「少しでも似合う服を」と頑張った時期があったものだが、それも垢抜けファッションというよりは、服に着られた平凡ファッションだったと記憶している。
たまにS N Sで、過去投稿を友人が再アップしてくれるのだが、私の苦い黒歴史を証明しがちなので、最近はアプリを開く機会も減ってしまった。

そして母となった今現在、家で仕事をすることが多い私の定番服は、ワンピースだ。寒ければジーパンを合わせるいう、奇跡のワンパターン。セーターも着るが、下はやっぱりジーパンで。洗い替えがなければ渋々ロングスカート。ものの見事な平凡ファッションである。

垢抜けファッション、垢抜けメイク、垢抜けヘアに、垢抜け庭。
垢が落とせず洗練されない私は今も、泥臭さと野暮ったさを身に纏っているということだ。実際庭づくりは泥まみれな訳だから、間違いではない。やぁ、言葉とは良くできたもんだ!

そんな野暮ったい私が、ガーデンデザインをしようしている。色合わせ、高低差、奥行き感、家との調和、全体的なイメージ像。悲しいかな、オール苦手分野である。ノーイメージ、ノーセンス。ごく稀に、一部分に対してこうしたい!は出てきても、全体を引で見てみるとどうもチグハグ。ちんちくりん。うーん、やっぱり苦手だなというオチに繋がる。

苦手なことは人に任せよという言葉も思い出す。その通りだと思う。一旦プロのガーデンデザイナーさんに図面をひいてもらい、その通りに作ってもらう。そこから自分でアレやコレといじくり回すのが、1番効率良くゴールへ近づくことができる方法だろう。
わかっちゃいるのに今日も私は、庭でうんうん唸っている。
例え奇跡が起きたとしても、平凡なデザインにしかならないであろうセンスの欠片を片手に、かれこれ小一時間は唸っている。

どうにかして自分でやってみたい、その一心で唸っている。
ここでようやく、性格まで野暮だと気が付く。
なんだか惜しい、野暮ったい庭は私の性格に由来していたか。
蛙の子は蛙ということか。庭を子供に例えていいのかは知らないが。

もうすぐ春が来る。その高揚感と焦燥感の板挟みは、しばらく続きそうだ。
早く、春が来ないかな。


4月上旬。大好きなヒューケラの花。

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