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箱庭療法で動き出すもの

カウンセリング室はマンションの一室にあった。
片側の壁一面に作り付けられた棚に、ミニチュアがびっしり並んでいて、部屋の一角に箱庭療法の箱が置いてある。
カウンセリングのとき、カウンセラーがわたしの様子を見て、箱庭療法を取り入れていた。

言語化できない無意識下の領域、伝えきれない思いや気持ちを箱庭の中で表現していく。

カウンセラーが見守る中、安心感に包まれて自由に表現できるよう、カウンセラーとの信頼関係は必須。

できあがったら、まずはそれをそのまま受け止め、そしてフィードバックしてもらっていくうちに、自己治癒力が動きだす。

写真は20年くらい前。
最初の子どもを流産したときに、箱庭療法を受けたときのもの。

子どものお墓を無意識に作っていた

砂を中央に集めて、ただただ夢中になって砂に自分の指のあとをつけていた。
作っているときは分からなかったが、産まれてこれなかった子どものお墓を無意識に作っていた。
今見ると、古墳みたい…

「死と再生」
これが、ずっとわたしの奥底に流れているテーマのひとつ。
女性として、妻として、母として、一度きちんと象徴的な「死」を節目、節目で経験すること。

それを経験しなければ「再生」はないこと。

産まれてこれなかった子をお墓に埋めてあげることができなかった無力感
子宮の中が空っぽになった喪失感
母親になれなかった絶望感

言葉では言い表すことのできない感情や感覚を、箱庭の中で象徴的な「死」をつくりあげることによって、それらを弔ったのだ。

それがあったからこそ、その後再び子どもを授かり、この手で抱いたとき、「母親としてのわたし」が新たに「再生」されていく。

わたしの心の傷を回復させるには、しっくりくる心理療法だった。
眠っていた自己治癒力みたいなものが動き始めるような感覚。

「意識的に生きた20代」
生きるために、自分を再生するために必死だったわたしの20代をカウンセラーがそう表現してくれた。

そのときを経て、今この瞬間を生きているのだと思う。

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