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26歳で仕事辞めて世界一周する元OLは、“出発3ヵ月後”に何を思うのか?

2024年12月にスタートさせた世界一周旅行の中での、学びや気づきをまとめています!

今回は「3ヵ月後」編。

3ヵ月目は時間がたつのが本当に早かった…!


今は、インドネシアのはしっこ、バンダアチェという町にいて、今までで一番と言ってもいいほど、この場所に恋しています。
やっぱり来る前にビビッときた町は外さない。


地元のみんなと夜カフェ




ここ最近も学びあり、悩みありですが、感じたことを素直に残していきます。


いつまでも守られる側でいたくない。


旅をしている中で、本当に素敵な人と沢山出会っています。

英語があまり得意でないし、初対面からガツガツいけない性格の私ですが、そんな私に対しても、

「一緒に〇〇行こう!」と誘い出してくれる人

「日本のこれ知ってるよ!」「これ日本語でなんて言うの!?」「日本って最高だよね、大好きだよ!」と歩み寄ってくれる人

「英語十分上手じゃん!できなくてもあなたはあなただよ」と寄り添ってくれる人。

ここには書ききれないくらい、たくさんの愛と優しさをもらっています。



でも、それが3か月続くとだんだんと、「このままではいけないのでは…?」と思い始めています。

私は、彼らに何かを与えられているだろうか?

いつも彼らの愛と優しさに、おんぶにだっこじゃないだろうか?

26歳にもなって、それってなんだか恥ずかしくない?

そんな、罪悪感と羞恥心と無力感がちょっとずつ混ざったような思いに駆られることがあります。


正直これはまだ乗り越えられていない悩み。

今すぐにできるのはとりあえず、笑顔と積極性を忘れず「関わっていてハッピーな人」でいることと、感謝や愛を素直に表現することぐらい。


多分この悩みを彼らに伝えたら
「なんでそんなこと気にするの!?ただ楽しめばいいんだよー!」
と言われるような気がしますが、ちゃんと与えられる人になりたいです。



友達が連れて行ってくれた早朝のドルフィンウォッチング




私のやってることは特別じゃない


旅先で出会った人に「10ヶ月かけて世界を旅するよ」と言う会話を数えきれないくらいしたのですが、彼らは日本人に比べて特に驚かないんですよね。


「お、めっちゃいいね」「そうなんだ!で、他どこ行くの?」くらいの反応。

同じく長期旅行中の人がゴロゴロいます。


1か国目の台湾で、フランス人の女性に世界一周するよと伝えた時、
「That's a good idea」
と相槌のようにさらりと言われたのが新鮮で、かつ心地よかったのを今でも覚えています。


今は仕事辞めて旅してるよと言っても、「へー、ええやん!」って感じ。



「まじか!信じられない!」と過剰に驚かれることもないし、第一声で「危なくないの?」「英語とか大丈夫なの?」と心配されることもありません。


でも、日本ではそういう反応が一般的でした。
「世界一周」という言葉から、全部捨てて決断したやつ、破天荒、自分探し的な?w という羨望9割:嘲笑1割みたいなレッテルを張られている感じも、時にはありました。


そして、その大げさな反応をされるたびに、「いや違うんだけどなぁ」思っていました。


でも、私が海外で出会う旅人の多くにとっては、旅は人生の一部。自分を豊かにする方法の一つ、とナチュラルに捉えられている気がします。


別に私だけが特別なわけじゃない。同士はたくさんいる。

そういう安心感と心地よさ、これからの出会いへのワクワクがあります。



ひたすらに美しいインドネシア/ウェー島の海




当たり前は変わる。


しばらく旅をしていて気づいたこと。


それは、
「私、お風呂場が汚いのだけはまじで無理だ!!」
ということ。


これはとても些細な例だけど、そうやって自分の好き嫌いや価値基準を見つけて自己理解を深めるのが旅の醍醐味の一つだとも思っていました。


今でも確かにその一面はあると思っています。

ただ、さらに時間が経つと「絶対に絶対に無理!」と思ってたことさえも、変わる可能性があることも学びました。


お風呂場の件以外にも、時間厳守の考え方など、「これは絶対こうであるべき。当たり前。」と思っていたことも、「まあそういうこともあるか」と許せる幅が広がった気がします。
※私はもともと時間に厳しいタイプで、平気で時間を守らない人を結構軽蔑していたので、この変化は自分でも意外です。(笑)


こういった変化が現れるときはたいてい、何か強烈な体験をしたか、自分にとって不快な状態がしばらく続いた時。
あまり心地の良いものではないかもしれません。


でも、自分の「当たり前」が変わる可能性を秘めているというのは、時に希望にもなると思います。


自分の価値基準を見つけることはもちろん大切だけど、見つけた価値基準は(特にこだわりの強いものでさえ)必ずしも不変ではないと理解し、それが崩壊するくらい強烈な体験をすることも、同じくらい大切だと感じます。






「I can't speak English」って悪い事なの?


日本人はすぐ「I can't speak English」って言うよね。
という類の話は一度は聞いたことがあるはず。
いや喋れてるじゃん!というアレです。


私も例にもれず割と謙遜しがちな日本人なので、
海外で一度言ってしまったことがあります。

一緒に話していた日本人とインド人に
「ほら見て!これが日本人の悪いところ!すぐ謙遜して自信なさすぎ!」
など結構ボロクソに言われました(笑)


確かに、目の前にいる外国人に「I can't speak English」と言ってシャットアウトするのは優しくないし、英語が完璧じゃないという理由でやりたいことをあきらめるのはもったいないかもしれない。


でも私は、拙いながらも彼らとコミュニケーションを取ろうとしているし、少ない語彙を携えてなんとか旅にチャレンジしている。

なのにそんなに言われる…?と少し悲しくなりました。


まるで「英語上手くないから」と言う事が絶対悪かのように思われてない?
それって本当に正しいの?


そうやって数日モヤモヤとしていた私。
ある友人の意見を聞いてすっと腑に落ちました。

彼女の話してくれたことを簡単にまとめるとこんな感じ。

謙遜することって日本人の弱点と思われがちだけど、日本人のおもてなし精神や製品の質の高さの根源ってそこにあるよね。今はまだ完璧ではないと思うからこそ、もっといいサービスを提供できないかと考える。もっとよく働いて成果を出せないかと考える。その結果としていわゆる日本の良いイメージを確立してきたのは確か。もちろん、それが行き過ぎると悪い結果を招くのはご存じの通り。物事には必ずいい面と悪い面があるよ。


めっちゃシンプルだけど、めっちゃ見落としてた…!
一気に整理がつきました。


この世界は何事も、A=B!とダイレクトに結論を出せるほど簡単ではない。


経験値が上がっていくにつれ、自分の価値観が固まって選択や判断のスピードは速くなる。

それでも、何かを反射的に決めつけてしまう前に、その本質や裏側を見逃していないか、立ち止まって考えなければと思いました。



(あと、「これだから日本人は…」とよく言われるけど、全然外国人も、褒められたとき謙遜することあるね、と言うのも旅の中での気づきでした!)



インドネシアの人気スポーツと言えばバドミントン!みんな上手で私は筋肉痛…


「シャイ」って悪い事なの?


これも少し似ている話で、仲間内の集まりで控えめな人がいると

「彼/彼女はシャイなんだよね」

と若干ネガティブなニュアンスを添えて口にする人がいます。
やれやれ困ったよ、みたいな。

そして、当の本人は決まって「Don’t be shy!!」と言われてる。



何度も目にするうちに、
ん?シャイって悪い事なのか?
周りを気遣って多くを語らない性格をシャイと言うなら、
別にそれはそれでよくない?

と言う疑問が浮かびました。

というか、そもそもあの人がシャイとは限らなくない?
英語が上手く出てこないだけかもしれないし。
少し打ち解ければめちゃくちゃ話してくれる人もいるし。



「Don’t be shy!!」と言う側は、多分特に何も考えていない。


でもシャイのレッテルを張られることって、あまり気持ちのいいものではないことを、私は知っている。


これも結局、ひとつ前の話題と同じ結論になるけど、

口数が少ない = あいつはシャイ = Don't be shy!

と短絡的に繋げるのではなくて、


その=の間に
「英語に苦戦してるのかもな」
「どういう空気なら話しやすいだろう」
「まぁそれも個性だしゆっくり関わっていこう」
と想像してみる余地があってもいいと思うのです。


そして他者が言う「日本人はすぐ謙遜する」も「あいつはシャイだから」も、ただのラベリングに過ぎず、その人の本質ではない。



自分の脳内に出来上がってしまったお決まりの思考回路で誰かを否定してしまう前に、そういうところに思い至れば、もう少しいいコミュニケーションができるかもしれないと思ったのでした。



ラマダン期間中。断食をあけるまであと5分。みんなで食べるご飯が格別。


最後に


3か月目のまとめは以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

過去の記事はこちら。

▽出発前日編


▽1ヵ月後編


▽2ヵ月後編


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