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ドラマ「いちばんすきな花」“いい子”は幸せ?大事なのは勉強か、愛嬌か。

大好きなドラマ「いちばんすきな花」について、頭の中に巡る考えを発散、共有したい!という思いで始めた記事シリーズです。

前回に引き続き、私の感想や解釈を書いていきます!


今回は第2話です!

※スタート時期が遅かった上に前回から期間が開いてしまい、実際のドラマの進度とはかけ離れておりますが、一度見た方も、もう一度この物語の良さを噛みしめていただければ幸いです。笑



本編に入る前に、このドラマ全体の良さを語っていたら1本できてしまった前回記事はこちら ↓


4人の登場人物

まず、ドラマ見てないよって方のために、この物語の主人公の4人について簡単に説明します。
ご存じの方は「第2話スタート/いい子は幸せ?」の章からどうぞ!



◎潮ゆくえ(うしお・ゆくえ)

真面目でつい周りに合わせてしまう性格。唯一心を許せた異性の友達がいたけれど、彼のパートナーに、結婚後は2人きりで会わないでほしいと言われ、友達ではいられなくなってしまった。
職業は塾の講師。年齢は多分30代前半くらい?


◎春木椿(はるき・つばき)


結婚を考えていた彼女を、彼女の男友達に奪われた。根っからの「いい人」。彼女と住むはずだった一軒家に一人きりで住んでいたところに、偶然ほかの3人と出会い、家に集まるようになる。
出版社勤務。30代半ばくらい?


◎深雪夜々(みゆき・よよ)


外見の華やかさから、異性というだけで勝手に恋愛と捉えられてしまったり、同性からも嫉妬の対象になりがち。
美容師。20代後半くらい?


◎佐藤紅葉(さとう・もみじ)


昔からコミュ力があり、誰にでも分け隔てなく優しく友達が多いが、気付けば本音を話せる相手はいなかった。
コンビニでアルバイトをしながらイラストレーターの夢を追いかけている。20代後半くらい?



育ってきた環境も考え方も現在の境遇も全く違う4人が偶然出会い、徐々に仲を深めていきます。


4人の共通点


4人の共通点は、学校の教室で「2人組を作ってください」と言われるのが苦手だったこと。苦手な理由は4人それぞれ別なのですが…。


異性と2人でいるだけで恋愛関係であるかのように扱われたり、自分が本当に好きな人は自分ではない誰かのもとへ去ってしまったり。

大人になってもそれぞれに「2人組」の難しさを感じている彼ら。



第2話スタート/いい子は幸せ?


第1話では彼らの境遇や、偶然の出会いが描かれるのですが、今回は物語が動き出す第2話から書いていきます!


第2話は、ゆくえさんにフォーカスしたお話です。


始まりは、幼少期の回想シーンから。

ゆくえさんは子どもの頃、いわゆる「いい子」でした。

ちゃんと勉強して、ちゃんと友達とも仲良くなった。話はちゃんとみんなに合わせて、友達の好きな人は恋愛対象から外すような子。


シーンは現在に変わって、同窓会に向かうゆくえさん。

当時一番仲が良かった友達と会って、「あの頃は楽しかったよねー!」と話すけれど、大人になったら皆どこで何をしているか知らないくらいだし、ふと自分が呼ばれていない結婚式の話題が出て気まずくなったり…

結局、昔と同じく周りに話を合わせるばかりで、気疲れしてしまいます。




大事なのは勉強か?愛嬌か?


同窓会がてら帰っていた実家で、ゆくえさんの母は何気なくこう言います。

「人間に一番必要なのは社交性よ。勉強ができることなんてたいして大事じゃないのよ。」


ちなみにゆくえさんは昔から勉強ができるタイプ。数学が大好きで今は塾の講師をしています。



この言葉、良くない大人あるあるだなぁと、私は思っちゃいました。



子どもには「勉強しなさい」「勉強できて偉いね」って言うくせに、いつの間にか「大事なのは社交性よ、愛嬌よ、気配りよ」と言ってみたり、「お勉強だけ出来たってしょうがない」と学校の勉強を見下すようなことを言ってみたりする大人。


確かに、いくら頭脳明晰でも、人間社会はあまりにも複雑で面倒で不条理なので、社交性が大事なのはよく分かります。

だけど、仮にも勉強できて偉いねとか、勉強しないとちゃんとした大人にならないとか、勉強の出来不出来で良し悪しを語った人が、都合のいい時だけ「勉強なんて…」と口にしてしまうのは矛盾だらけだし、なんだかなあという気持ちになったことは、私自身何度も経験しました。


こういうダブルスタンダードを使っちゃう人って、常に相手より優位に立ちたいという心理が強くある気がします。


子どもに対しては堂々と「勉強しなさい」と言うけれど、同時に、自分より勉強面で優秀な人よりも優位でいるためには、勉強そのものの価値を低く見積った発言をしたりもする。

物事の判断基準が、自分の能力との相対評価(人より優位に立つことが目的にある)だから、相手や状況によってダブスタにならざるを得ないのかなと。

ゆくえさんのお母さんは、比較的邪悪さの少ない、単に都合のいいちゃっかりさんタイプな気がします。笑

けど、これまで真面目に勉強を頑張ってきたゆくえさん、人付き合いに疲れがちなゆくえさんにとってこの言葉は、ある意味自分を真っ向から否定されたようなもの。

なんとも罪深いちゃっかりさん。



みんなと同じ感情になれないのは怖い?


東京に戻って、椿さんの家で4人で集まった時、ゆくえさんが話します。


実家で母が見ていた昔のホームビデオのこと。

ちびっこ相撲大会で、明らかに体格の小さい子と大きい子が土俵に立って戦います。


周りの大人は、その子たちに聞こえてしまいそうなくらいの声でこう言います。

「小さい子、かわいそうだね」
「大きい子は恵まれてるね」



誰もが小さい子に同情して、大きい子の勝ちを確信しましたが、結果はなんと、小さい子が勝利しました。


ここまでがホームビデオの内容。


話を聞いていた椿さんと紅葉くんは、
「すごいですね」「みんな感動したでしょうね」と言いました。




でも、ゆくえさんは、自分はそうは思えなかった、と言います。


「負けちゃった子は、悔しい、って気持ちだけで泣けてるかな。恥ずかしいって気持ちに邪魔されてないかな」
「自分が期待されて負けたことで、みんなが感動してるって、どれだけ辛いだろうって」


こんな風に、相手の気持ちを勝手に想像して辛くなってしまうのがゆくえさんです。(だからゆくえさんはSNSを見ない、見れない)



子どもの頃も、同窓会でも、ちびっこ相撲の件でも同じ。
「みんなと同じ感情になれないのは怖い」ということが、ゆくえさんの生きづらさでした。



無意識に潜む?「みんなと同じなら安心」


みなさんは、ゆくえさんの「みんなと同じ感情になれないのは怖い」という気持ちに共感するでしょうか?それとも、イマイチよく分からない?


私は、ゆくえさんほど人の気持ちに敏感ではないけれど、「みんなと同じ感情になれない怖さ」は分かる気がします。



仕事、恋愛、結婚、趣味、出産、親子関係… 人生いろいろある中で、

みんなが楽しんでいるものを心から楽しめない自分
みんなが欲しがっているものを欲しがれない自分
みんなが感動で涙するものに泣けない自分


そんな自分がちらっと姿を現しては、一瞬で、まるで何もなかったかのように周りの感情に合わせている事がある。


はじめから自分もそういう気持ちだったと錯覚するほど、あまりにも一瞬のうちに、「だよね!」「わかる~」と言っていることがある。




それはたぶん、ゆくえさんと同じ。
みんなと同じじゃないことが怖いから。



怖い、というと大げさに聞こえるけど、裏を返せば「みんなと同じなら安心」と気づかぬうちにに思ってしまっているということ。



これを読んで、いや自分はそんなことない、と思う人も中にはいるかもしれません。けどそれは、今この瞬間は、「意識的」に物事を考えているからかもしれない。


「みんなと同じなら安心」「みんなと同じが正解」と聞いてストレートに、その通りだ!とは思わないにしろ、それは幼少期からの教育を経て、大多数の人の概念として染み付いている場合が多い気がします。


「無意識」の部分に刷り込まれている場合、それを自覚するのは結構難しい。




それは本当に私の人生か?

みんなが楽しんでいるものを、そのまま楽しいと思い込んで行い、みんなが欲しているものを欲して、泣くべきところで泣く人生は、世の中的には「正解」のように見えるかもしれません。


子どものころのゆくえちゃんが一見「いい子」だったのと同じように。



でもそれは、本当に私の人生か。
どこかで、なんか違うぞ?と気づいてしまう日が来ないか。
みんなと違う道を切り拓く努力をする人を、いつの日か妬んでしまわないか。

そんな人生は、あまりにも虚しくないか。




言っちゃダメなことと、思っちゃダメなこと


ゆくえさんの話を聞いて、椿さんが言います。この言葉、私はすごく刺さりました。


「同じものを見たからって、みんな同じ感情になってたら気持ち悪いですよ」
「言っちゃダメなことはたくさんあるけど、思っちゃダメなことはないです」


うん。もっともだー。けど忘れがちだ。


こういうモゴモゴした問題を、スパンと美しく切り分けられる言葉をつくれるの、本当にすごい。




なんだかんだと言ってきたけど、そもそも、
みんなに合わせる」は、元をたどれば、「気配り」であり、「愛嬌」であり、「社交性」からくる行動だったはず。

むやみにに輪を乱さないための、誰かと共存する術だったはず。



だとしたら、何かを「言っちゃダメ」なシーンは多いかもしれない。



みんなが楽しんでいることに対して、身も蓋もなくに「それ楽しくないじゃん」と言ったり、みんなが泣いている時に「全然泣けないんだけど」と言うと、その場はぶち壊しです。


誰かと関係を築き、共存していくなら、この場で言うべきことか、という精査は絶対に必要。



でも、だからと言って、そう「思っちゃダメ」なわけじゃない。




思ったことをあえて言わないという気配りは成立し得るけど、思ったことをなかったことにする必要はない。


もし常日頃そうしているなら、それはもはや「気配り」の域を超えているのかもしれない。
相手のための気配りではなく、自分自身を守るために、「みんなと同じ気持ちになって安心しようとしている」だけなのかもしれない。


私は、この切り分けと、無意識に染み付いていた自分の傾向に、ゆくえさんを通して気がつきました。



「言っちゃダメなことはたくさんあるけど、思っちゃダメなことはない」


だから、みんなと同じ気持ちになれなくても、それはそれでいいのです。

自分の現在地や感覚に自信がなくなった時、何度も唱えたい言葉です。



「同じ」にも「違う」にも救われる


余談ですが、ちびっこ相撲のシチュエーションを聞いて、ゆくえさんと同じく大きい子の気持ちに共感して辛くなったのが、夜々ちゃんです。


夜々ちゃんは容姿端麗で、いつも同性から「夜々はいいなぁ美人で」と言われ、その容姿ならではの悩みを打ち明けても「自慢?」と言われてしまうような子。

どこにいても何をしていても、一見「強者」のように見られてしまい、それゆえ悲しい思いもしてきた夜々ちゃんだからこそ、大きい子の気持ちに感情移入し、ゆくえさんに共感できたんだと思います。


分かってくれる人がいたのは、ゆくえさんにとって嬉しいことだっただろうし、これを機に2人の距離は縮まったように思います。


一方で、今回、解決の一手をくれたのは椿さん。
違う感覚を持っているからこそ、その人に救われることがある。


このバラバラな4人が出会って価値観や弱さを共有する意味ってそこにあるし、現実世界でも全く同じことが言えるなあと思いました。



おわりに


本当はこの10倍くらい言いたいことがありますが、第2話については以上です!


一話一話にいろんな要素が含まれていて、端的に書くのが本当に難しい…

けど、なんとか伝えたい事が収まるように書いていると、自分の考えも整理されるし、新たな発見もあってとても楽しいー!


長文になりましたが最後まで読んでくださってありがとうございます。

次回は第3話について書いていきます~!

















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