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「今は若いから分からないと思うけど…」という無敵の呪文について


最近のこと

最近のPOOLOの講義や、個人的に好きな哲学や倫理学の本を読んでいたりして思うのが、
「万物は流転する」 という事です。
(これはヘラクレイトスという哲学者が今から1500年前くらいに提唱した概念です。すごい。)


世の中の考え方や常識、技術、働き方、暮らし方、そして一人一人の人間も、「今ココ」に見える形がすべてではなく、はたまた完成形でもなくて、発展途上なのだという事。
そう思うと、世の中や人を、さらにもう少し愛せるようになる感覚があります。


普段いる集団から離れて知識を習得することを、意識高い系だとか、孤独だとか、頭でっかちになるとか、いろいろ言う人はいるけど、やっぱり私にはとても尊い事のように思えるし、絶やさず続けていくべきことだと思うのです。


そういう学びによって、あらゆる物事がこれまで様々な変化を遂げてきた様、そして今のところの最適解、さらにそれが目の前で変化していく様を理解できるようになるから。


ただ漫然と目の前のこと向き合うだけの毎日ではそれはできないし、そんな風に日々を重ねてしまうと、自分が実体験した「今ココ」こそが唯一無二の正解なのだ!と勘違いしてしまう気がする。本当は、繰り返される変化の中で、たまたまその一部を自分が目撃していたに過ぎないのに。


そんな中で最近の私のモヤモヤ
「今は若いから分からないと思うけど世の中○○だよ」
「あなたも上司の立場になればわかるよ」
というよくある発言について。


確かに年齢を重なるごとに考え方は成熟するし、若い未熟な時は間違いを犯すこともある。

でもどうしてもこの類の言葉をかけられるとモヤモヤするし、はっきり言うとこういうことを言われるのがすごくイヤなのです(笑)


じゃあ何にモヤモヤしているのかについて言語化しよう!という事で最近考えていたことを書いていきます。



①そこを何とか分かるように教えてよ


まず私が思ったのがこれ。

前述の発言をしてくるのって、間違いなく年長者です。
私よりも彼らには多くの経験があって、成熟した考え、あるいは正解を持っているという事を前提に、そういうことをまだ知らない私を納得させたくて発言しているのです。


であればそれを、部下である私にも分かるように体系的に教えられることこそ、あなたの年長者としての価値なのでは?

(それをできない、ただ年齢だけを重ねた人と話すくらいなら、もっと他のことをした方が有意義なのだ、というチクチク言葉が出てきます。言わないけど。)

お前には分からないだろうけど、言われた通りやれ。
というのは誰にでもできると思うのです。



②変化への無頓着

彼らは、冒頭で話した「繰り返される変化」に無頓着なのだと思います。「自分が体験したことこそが、絶対的な正解なのだ、だって自分がこの目で見たし、実際体験したんだもん」という感じ。

それを盾に、まだ年齢が下の私に言い聞かせれば、時間の壁はどうやったって越えられないから、私が黙るしかないことを知っているんですね。


また、そういった「変化」のスピードも、今と昔では異なっている、という側面もあると思います。

今はVUCAという言葉で表されるように、予測不能な変化が次々と起こる時代。

変化のスピードがゆっくりだった時代では、

「自分が部下の立場で、上司からあれこれ言われていた時期」と
「自分が上司になった時期」の環境の差が比較的少なくて、なるほどあれはこういうことだったのか、と納得できたのかもしれません。


でも今はそうではなくて、1年前、数カ月前の常識が今は古いとされることも往々にしてあります。

だから、彼らの常識や体験から出た解に私が従ったとしても、それを私が追体験できる可能性は、以前より低くなっているはず。

現代っ子の私の方がその感覚が無意識に身体に沁みついていて、より強く感じているから、拒否感が生まれるのかもしれません。



③自己分析と他者理解の深度


POOLOで自己分析と他者理解を徹底的にやってみて、自分と他者の違いをまざまざと見せつけられました。これはなんだか孤独でもあるけど、それこそが個性というものだと思います。

一方で
「今は若いから分からないと思うけど世の中○○だよ」
「あなたも上司の立場になればわかるよ」
という発言は、自分と他者を同一視しすぎてないか…?と思うのです。

年齢の差以前に、彼らと私は違う人間です。

同じ歳になれば自動的に同じ考えに行きつく、というのは人間の個性と創造性を甘く見すぎている気がする。


④何よりも、その発言の背景

身もふたもない話ですが、結局その発言が「私のための教え」に見せかけて実は
「自分の主義主張を無条件に正当化したいという思い」
「それに対する反論の拒否」
「相手を思うままにコントロールしようという企て」
を含んでいるから、「イヤ」なのだと思います。

本当に自分の意見に自信を持っているなら、こんなことをする必要はないと思うから、違和感や不快感を感じる。

逆に同じ言葉でも、本当に私を励まそうといった意図を感じるものであれば、それに従うかどうかはさておき、こんなに嫌悪感は抱かないはず。


最後に


もちろん、彼らが自身の経験から得た信念に従って生きていく事には大賛成です。

だけどそれを普遍的な正解だと勘違いして他者に押し付けたり、ましてやそれを盾にして安易に誰かを自分の思い通りに動かそうという行為には賛成できない、と思っています。
その相手が未熟な若者なのであればなおさらです。


「まだ若いから分からない」
それが事実なのだとすれば、
未熟な私は今正しいと思ったことをやっていきたいと思います。


面倒なことを言っている、と思われのるだろうなぁというのはうっすら感じていいるこの話題。(笑)
ここまで読んでくださった寛容な皆様に感謝します!


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