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26歳で仕事辞めて世界一周する元OLは、“出発2ヵ月後”に何を思うのか?


こんにちは!
私は、バックパッカーとして1人で世界一周している26歳元OLです!


「2か月後」とタイトルに書いていますが、すでに世界一周を始めて77日経過! 半月も遅れてしまいました…!




一旦、言い訳タイム。


最近なんだか気持ちが低空飛行でした。

旅先での素敵な出会いがあったり、魅力的な文化に触れたり、旅の楽しさは確かにあるんだけど、気持ちが上がりきらないというか。
チャレンジングでハングリーな自分が行方不明で、なんだかなぁな日々。


そんな中でも、一応この記事の下書きは書いていたんです。
でも、仕上げて投稿するエネルギーがなく。


で、今日やっと元気が出てきたので読み返してたら、

なんか私小難しいこと書きすぎじゃない…!?

ってことに気が付きました。



先日上げた「1か月後」の記事もついでに見直したんですが、

なんかごにょごにょ書いてるけど分かりづらくない…!?

と。


良いこと書こうとしすぎてる。
良く見られようとしてないか?私。
そんな大した人間じゃないのにー!



「出発前日」の記事に書いたように、
私がこのnoteを書く理由は、旅の過程を共有することで、読んでくれた方に
「こんな普通の人間でも大きなチャレンジできるんだ」
「じゃあ自分にもできるかも!」
と、思ってもらう事。

だったら、カッコつける必要はないはず。


書いてた下書きはまっさらにして、今の率直な気持ちを書いてみます。



マレーシアのピンクモスク。いろんな文化が入り混じるのがマレーシアの好きな所。



なんでモヤモヤ期だったの?


この世界一周の旅の最中にモヤモヤ期が来たのは初めてだったので、よくよく考えてみました。

原因1:インドがカオスすぎた
行ったことある方は分かると思いますが、ただ歩くだけで疲れるインド。毎日のように理解不能なことが起きるインド。
その反面、最高にエキサイティングな出会いもたくさんあって。
良い経験だけどプラスもマイナスも刺激が強かった!


原因2:物質的豊かさの欠如
インドとスリランカを主に旅していたこの1か月。
日用品も食べ物も交通手段もサービスも、これまで当たり前に手に入れられたレベルのものが手に入らない環境。
物質的豊かさと幸福度は比例しない、とよく言うけれど、それは物質的に満たされている人や、いつでもその豊かさにアクセス可能な人が言う言葉だと思いました。少なくとも私はある程度そこが満たされていないとダメみたいです。

原因3:コンフォートゾーンが確立されないの辛い
数日~数週間で居場所を変えていると、場所や人に愛着を持ち始めた頃にお別れの日が来ます。時間も費用も有限なので仕方ないですが、人間って基本的にどこかに定住し、一定のコミュニティに身を置いて居場所を確立していく生き物。その本能に逆らっている事に拒否反応があったのかもしれません。
だからこそ旅は非日常で面白いのですが、その非日常が日常になりかけている過渡期の段差に躓いてました。


おそらく、ざっくりこんな感じでした。


どれもこれも、経験として捉えると決して無駄ではなさそう。
なので2~3日ひたすらダラダラしたり、友達夫婦の家に居候させてもらい、「家庭の幸せ」「日常」「安心感」をたっぷり浴びてエネルギーを回復させていました。


インドは旅人に“beautiful chaos”と形容されると教わりました。すごくいい表現。


続いて、最近の学びや変化について!


受け入れる力がついてきた、かも。


思えば、日本にいたときの私、特に、人生うまくいってなかった時の私って、とにかく白黒つけたい性格でした。特に仕事においては。


グレーゾーンが許せない、完璧かゼロかっていう人間。上司の曖昧な指示とかほんとに嫌いでした。

曖昧と適当の極みみたいな職場がしんどくて、身体にも異常をきたして、精神科の先生に泣きながら相談した時も、結局それが原因でした。

先生と沢山お話して、「白黒つけることも完璧を目指すことも、決して悪ではないけれど、人間社会って結構不完全ではっきりしないことが多いから、それを続けてると結局自分が辛くなっちゃうよね」という結論に至りました。



堂々としたオーラと、ディテールの美しさを持つタージマハル。
もう虜です。こんな女性になりたい。



旅をしていると、曖昧とかのレベルは余裕で超えて、思った通りに進む事も自分の力でコントロールできる事もほとんどないので、

「まぁそういうこともあるかー」
「これが今のベストで、なるべくしてなってるんだろうな!」
「タイミングじゃなかったのかも」
「思ってたのと違うけど、プラスの面もあったしいっか!」

と、うまいこと解釈して受け入れる力が付いた気がします。

適当で鈍感かもしれないけど、以前に比べると格段に身軽です。


その根本は何かと言うと、
不要な執着がなくなって、
何を手放しても私は私である
、という自信や
私が私であれば結局幸せになれる
、という自信
がついてきたことかなと思います。


それは、旅の中で、自分の意志や力でここまで来れるんだ、という経験をしたから。そして、いろんな人と出会って、私が私のままでいても受け入れてくれる人ってたくさんいるんだ、と気づいたから。だと思います。


(書いてみて、前回書いたことと似ていることに気づく。)


縁あってお邪魔したインドの小学校。子どもの尊さは万国共通。



でも、普通にイライラしちゃう時ある。


すべて受け入れて悟ったかのように書きましたが、イライラする時、全然あります!

「なんで道端に大量にゴミ捨てるの?みんな嫌でしょ」
「そんなにクラクション連発しても何も変わらないよ!」
「もっとわかりやすい案内表示できるでしょ」
「なんでそんな効率悪いことするの?」

自分で書いていて嫌な気持ちになるちくちく言葉…!


郷に入っては郷に従え、が基本的には正しいと思うし、いち旅行者でしかない私の感覚を押し付けるのはタブーだと思っていますが、それにしたって…と思ってしまう時もちらほら。というかしばしば。

これも、非日常が日常になってきているが故なのでしょうか。

どんな環境でも適応して朗らかに生きている人がいる中で、そのイライラを暗にちらつかせてしまう自分が、どうしようもなく幼稚だなと思うのです。


だってそれは相手を見くびっているからできることだし、(自分の意見としてはっきり表明しない限り、)何の解決にもならないから。

怒ったってどうしようもない事はサラッとかわせる大人になりたい。
でもこれが難しい。コツあるのかな?慣れるしかないのでしょうか。



仏教の聖地もいくつか訪れたくさん刺激を受けましたが、悟りへの道はまだまだ遠い…涙



一方で、相手が外国人でも、特に仲のいい人に対しては、本当に我慢できない事や、間違っていると思う事は伝える場面も出てきました。

文化の違い以前に、私は人としてこれを大切にしたいんだなぁという発見でもありますし、ちゃんと説明すれば今のところ理解してもらえています。



その人の文化を含めて、行動の背景を考えたり。
踏み込んじゃいけない所を見極めたり。
それでも伝えたいことは丁寧に伝えたり。
それによって相手がどう思うか必死に想像したり。

しかも英語で!難しい。
これがコミュ力かぁー!とひしひし感じます。



インド/コルカタの歩道でみっちみちに売られる野菜たち。ある意味芸術的。



私、特別な人間じゃないな。


(話の方向性が一気に変わりますが、)
なぜか、私の周囲にいる人ってめちゃくちゃエネルギッシュなのです。

自分でビジネスを興してたり、副業でガンガン夢を実現していたり、戦略的な人生設計があったり、特別な何かを持っている。

彼らは間違いなく世の中に必要な人だと思うし、純粋にかっこいいし、人間性も素敵なので好きです。


でも、以前は「私もそうあるべき」「それこそが手にすべき幸せだ」と思って、みんなが持ってる特別な何かを無理に探そうとしたり、見つけられない自分に悲しくなったりしていました。


でも今思うのは、「私、そういうタイプじゃないや!」ってこと。

私は成功して有名になったり贅沢することよりも、海の近くのカフェとかダイビングショップとかで働いて、近所の仲間とのんびりおしゃべりしたり、綺麗な空を見て綺麗だねーって言って過ごすのが、ずっと理想なんですよね。

それは旅に出ても全然変わらなくて。


もちろん、最低限お金は稼がなきゃいけないし、家族や大切な人は守れる自分でありたいけれど、

この業界を突き詰めよう!とか、世の中を変えたい!とかそういう熱い気持ちは一向に湧かなくて。



最近は、
じゃあもう、そういう事なのでは?
そういう種類の人間ってことでいいのかも?
と思っています。

世界中、これだけいろんな生き方をしている人がいて、適当に生きている(ように見える)人も山ほどいるし、無理に一つの幸せの型にこだわらなくてもいいかも、と思うようになりました。


ガンジス川の街、バラナシでの、過去一楽しかった夜!!


美の基準とは?


またまた話が変わりますが、
みなさんは、「美」の基準って何だと思いますか?
ここでは、外見的な美についてです。


私は、海外でいろんな人に出会う中で、「自分らしいスタイルを自覚して貫いていること」こそが美しさだと思うようになりました。



時々、白人の方って暴力的なまでに美しい…と感じてしまうことがあります。自分でもステレオタイプだなと思いますが、素材最強じゃん!適うわけないじゃん!と。



でも、肌の色や目の色や骨格にかかわらず、

神様から与えられた個性を大切にして、
身に着けるものを丁寧に自分の意志で選び、
どこにいても変わらずそれを表現し続ける人

って、見た瞬間に分かるし、白人だろうが黒人だろうがアジア人だろうが、着ているものがドレスでも普段着でも民族衣装でも、私にとっては等しく美しい、とある時気づきました。

個人的に、ヨーロピアンの方ってタイパンツをはじめ現地「っぽい」服装を取り入れがちな気がしますが、私はなんだかもったいなく感じます。
もちろん本人が好きでやってるので何の問題もないんですけどね!

どこにいても、自分らしい服、自分が愛せる自分になれるものを身に着けて生きていきたいなと思っています。体形維持も含めて!ガンバロ!



スリランカでは伝統的に寺院に参拝する時の正装は「白い服」。
これもとっても美しいと感じます。



最後に


ばーーーっと書きました。すっきりしました。

良い記事になっているのか、いつまでたってもよく分かりませんが、ひとまずこれが今の私のリアルです。

最後まで読んでくださりありがとうございました!
いつもスキやコメント本当にうれしいです。

ではまた来月お会いしましょうー^^✨ (あと2週間しかないけど!)



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