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「避難民」という言葉の意味するもの — 戦争と難民をめぐる法と政治

明治学院大学 阿部浩己

Mnet2022年10月号の第一特集は<ウクライナ「避難民」の受け入れと紛争難民保護の課題>です。noteでは、阿部浩己さんの総論記事を紹介します。本号はそのほかに、第二特集として<入管法・住基法改定から10年>も掲載されています。本号の目次と購入方法についてはページ末尾のリンクをご覧ください。

人道の発露?

2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵略は、半年余りを経ていまだ終息せず、市民の惨禍は増す一方である。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、8月15日時点で、国外に避難した者の数は1千万を越える。この大規模な緊急事態に対する国際社会の取り組みは、これまでになく手厚い。日本もその例外でなく、たくわえられていた人道主義のエネルギーが一気に解きはなたれたかのような情景が広がっている。

保護を必要とする人々に庇護の手を差しのべる営みが、人間社会の誇るべき良心の発現であることは紛れもない。だが、今般の大がかりな歓待行為には、単純にそう言って済ますわけにはいかない事情も見て取れる。

「避難民」受け入れの政治性

出入国在留管理庁の発表によると、8月15日現在で、日本に入国したウクライナ避難民は1734人にのぼる。受け入れにあたっては、「身元引受先」がある人とない人とに分け、入国前の段階から支援の内容が明示されている。在留資格も、短期滞在から特定活動への変更・更新が認められる。現行法の下でもこれだけの対応ができることを示す好例と言ってよい。

もっとも、好例であるにもかかわらず素直に評価できないのは、今般の対応がこれまでとあまりに対照的だからである。たとえば、2017年8月に始まった大規模な人権蹂躙のため、ミャンマーから隣国バングラデシュに70万以上のロヒンギャの人々が逃れ出た。ジェノサイドという言葉すら用いられる、文字通りの緊急事態がつづいているのだが、同じアジアにありながら、日本政府は受け入れへの意欲をみじんも見せていない。

ウクライナから避難した人々への厚遇は、実のところ、他の地域でも際立っている。ヨーロッパでは、国境を越える大規模な強制移動が発生した場合に緊急の受け入れを可能にする「一時的保護」制度が2001年にEUの下で作られていた。保護の対象になると、EU内で居住が許可され、就労・住宅・医療・教育等のサービスを最長で3年間にわたって受けられる。

この制度が今般、発動された。そのこと自体は歓迎されるのだが、問題は、他の集団に対する適用例がまったくないことである。とりわけ、2015年に、主にシリアから130万もの人々が到来した人道危機に際し、一時的保護制度の発動は頑として拒否された。それどころか、ヨーロッパ諸国は、トルコやリビアを支援し、人の移動を堰き止めるよう促すに及んでいる。

ウクライナと別の国とを分かつものが、緊急度の違いでないことははっきりしている。端的に言ってしまえば、日本を始め各国政府が手がける今般の避難民受け入れは、麗しき人道主義の現れと言うよりも、「対ロシア」を念頭においた地政学的考慮に基づく強度の政治的行為と称すべきものにほかならない。そしてそこには、受け入れ対象を選別する人種主義の醜貌も透けて見える。

戦争難民をめぐる議論の変遷

ところで、そもそもの問いとして、ウクライナから避難している人たちは、政府が言うように「避難民」であって「難民」ではない、のだろうか。

専門家の中にも、難民条約上の難民の定義はとても狭く、戦争(武力紛争)を逃れ出る人は含まれない、と説く向きがある。確かに、前世紀にはそのような解釈が見られた。同条約の適用を監督するUNHCRも、1979年に刊行した「難民認定基準ハンドブック」において、「国際的又は国内的武力紛争の結果として出身国を去ることを余儀なくされた者は、通常は、難民条約に基づく難民とは考えられない」という見解を表明している。

戦争による危害は避難する人々に同じように降りかかるのだから、格別に危険な状況に陥っている一部の人を除き、皆を難民として保護するのは適切でない、とされたのである。だが、難民条約は、戦争から避難したことを理由に難民に当たらないなどとは一言も記していない。ほどなくして、UNHCRの上記見解は狭きにすぎるという批判が呈され、各国の司法・難民認定機関も、戦争を逃れ出た者にも難民条約は適用される、という判断を示すようになる。

UNHCRも1995年以降、さまざまな機会をとらえて上記ハンドブックの立場の修正を図り、その集大成として、2016年12月に「国際的保護に関するガイドライン12」が発出される。こうして、戦争難民に関し、UNHCRの認識の紛うことなき転換が刻印されることになった。

同ガイドラインは、「難民条約における難民の定義は、平時の迫害を逃れる難民と「戦時」の迫害を逃れる難民との間に何らの区別も設けていない」として、こう述べる。「武力紛争下で生じる危害が「迫害」と認められるために、より高次の危険が必要なわけではない。特定のコミュニティのすべての者が危険な状況にあるという事情は、個々人の難民申請を認める障害にはならない。基準となるのは、あくまで、難民条約の定める事由によって申請者個人が有する迫害の恐怖に十分に理由かあるかどうかである。」

UNHCRは、その後も、個別の状況を踏まえ、武力紛争から避難する者であっても難民条約上の難民に該当することを示す多くの文書を刊行してきた。戦争を逃れる者が難民として保護されることは、今日では明瞭な国際的了解になっている。

ウクライナ避難民は難民なのか

もとより、そうは言っても、個々人が実際に難民に該当するかどうかは、審査してみないと分からない。ただ、報道や各種調査が伝えるように、ウクライナでは戦争犯罪にあたる重大な危害が広範に生じており、女性や子どもであること、あるいはロシアの軍事侵攻に抗する態度などを理由に危害が加えられるケースも少なくないようである。これらのケースは、「特定の社会的集団の構成員であること」または「政治的意見」を理由とした迫害に該当し得る。

無差別爆撃も迫害にあたるが、ただ、この場合は攻撃対象が無差別なので、難民条約の定める迫害理由のいずれにも該当しない、という主張も見られる。しかし、プーチンはウクライナを真正な国家と認めず、同国/民の破壊を公言してはばからない。そうした動機をもって行われる無差別攻撃は、ウクライナ「国籍」を理由とした迫害に相当すると解してもおかしくない。

このように、ウクライナから避難している人々については、難民の要件を備えていると推察される実情が十分にうかがえる。戦争を逃れ出る者は避難民であって難民ではない、だから新たに「準難民」の制度が必要だ、などといった物言いは知的誠実さを欠き、何より法的根拠が希薄である。

人間の尊厳に基づく公正な制度を

言うまでもないことだが、難民の保護は、地政学的配慮や人種主義を旨とするのではなく、人間の尊厳の確保に差別なく資するものでなくてはならない。それゆえ、ウクライナの人々の受け入れについても、一過性の政治的特例で終わらせるのではなく、むしろこれを奇貨として、第三国定住プログラムの強化や緊急対応措置の制度化を推し進めていく必要がある。

より本源的には、異様なまでに狭められてきた難民条約上の難民の概念を、国際標準に即した本来の姿に鋳直していかなくてはならない。庇護の扉をまっとうに開き、人権を尊重する平和な社会への歩みを着実に積み重ねていきたいものである。

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