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みがきの都市歩記 #1-ソウル

2023年4月、私みがきは韓国ソウルを訪れました。旅の目的は様々ありますが、私の場合は「都市の姿を知る」こと。都心エリアを歩き、その都市のリアルな雰囲気をつかむ。そんな旅を目指しました。
この探索記は今回得られた発見をまとめ、皆様に共有させていただくものです。拙い文章ではございますがお楽しみいただけたら幸いです。

ソウルの概要

朝鮮王朝時代からの歴史ある首都-

ソウルは国家の中枢都市として1000年以上の歴史を持ちます。特に1392年から始まる朝鮮王朝において1394年に遷都が行われ、その後500年にわたって漢城という名で王朝の都となりました。
しかしその後大日本帝国から干渉を受け、1905年には朝鮮統監府が、1910年には日本による韓国併合に伴って名を京城に改め朝鮮総督府が置かれます。
1945年8月15日に日本は敗戦し(光復)、都市の名はソウル(韓国語で首都の意)に改められました。このとき朝鮮半島は米国とソ連によって分割され、1950年には朝鮮戦争が勃発、市内は戦火により破壊されてしまいます。停戦後朴正煕大統領(1963-1979)の時代に韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を実現、ソウルも戦災からの復興を果たすと共に大きく発展しました。1988年にはソウルオリンピックが開かれ国際都市としての地位を確立し、現在の姿に至ります。

1922年発行の京城地図
https://museum.seoul.go.kr/archive/archiveNew/NR_archiveView.do#gnb
現在のほぼ同じ地域
openstreetmap

現在の姿-一極集中

現在では都市圏人口約2500万人を擁し、人口密度はなんと東京都市圏のおよそ二倍です。ソウル都市圏には韓国の人口の約半数が居住していて、首都圏への一極集中が顕著にみられます。一方ソウルの地形は山がちであるため、少ない可住地に高層マンションが多数並んでいる光景がみられます。

エリアの読み取り

上記の背景を読み取ったうえで現代ソウルのエリアを編集者なりに読み解き図に表しました。図の範囲は上の古地図とほぼ同じです。

ソウルエリアマップ

エリアA-王朝時代から続く旧市街

エリアAは江北と呼ばれ朝鮮王朝における王宮群を中心とした旧市街地です。王朝時代には城壁で囲われ、東西南北にそれぞれ門が置かれていました。長い歴史を持つ地区であるため景福宮や北村韓屋村といった歴史的観光スポットが多数存在します。また日本統治時代にも京城の中心地であったため、当時日本によって建設された建築物が多数残されていることも特徴です。(旧京城府庁舎・旧京城駅舎・旧三越百貨店京城支店など)
エリアA1は鍾路と呼ばれ、東大門と西大門を結ぶ大通りである「鍾路」と都市化によって暗渠になった後に復活した「清渓川」を中心に政治・商業の中心地として知られています。
エリアA2は明洞と呼ばれ新世界百貨店やロッテ百貨店など主に商業的な機能が集まる地域です。
エリアA3は王宮などが残る歴史地区で、景福宮や「韓屋」と呼ばれる韓国の伝統的な建築が並ぶ地区などがあります。

エリアB-近年目覚ましい発展を遂げた新市街

エリアBは江南(カンナム)と呼ばれ朝鮮戦争後に前述の「漢江の奇跡」に伴って目覚ましい発展を遂げた地域です。特に地下鉄江南駅~サムスン駅にかけての通り沿いが中心とされており、高層ビルが多数立ち並ぶ光景がみられます。近年では政治・教育・ビジネス・商業各分野の中心が次第にエリアAから移りつつあるとされています。

都市歩記

ここからは実際に私が探索した際の感想を写真と共に紹介していきます!当日のルートは以下の通りです。

1.鍾路(A1)

私は昼過ぎに仁川国際空港に到着し、まずはホテルに最も近かった鍾路エリアを目指しました。
朝鮮王朝時代の城壁、その東西の門を結んできた「鍾路」沿いには巨大なビルが立ち並び、オフィス街を形成していました。一方裏通りには飲食店が立ち並ぶ繁華街も見られ、業務・商業両面での中心地であることを実感しました
また鍾路を流れる清渓川沿いでは多くの市民が散策している様子がみられました。この川は一時は都市化に伴い暗渠化されたものの後に大統領の政策により復活しており、日本における都市河川(渋谷川・日本橋川など)の未来の姿として参考にすべきであるように感じました。

鍾路のオフィスビル群
清渓川沿いの景観

2.益善洞韓屋通り

1.の鍾路からそう遠くないエリアに突然韓国の伝統家屋である韓屋が立ち並ぶ地区が現れました。この付近は韓屋を飲食店やカフェなどに改装した店舗が多く並ぶ地区で、狭い路地沿いに多数の韓屋が並ぶ様子はとても素晴らしかったです。こうした伝統的な景観が都心部からすぐ近くにある点が東京と異なっており驚きました。

益善洞韓屋通り

3.北村韓屋村(A3)

鍾路から北に10分ほど歩いた景福宮の東側の地区に、韓屋が多く残された地区があります。まず驚いたのはその規模で、多数の韓屋が並ぶ景観が広がっていました。2.で挙げた益善洞と共にソウルでは伝統的な建築が多く残されていることを改めて実感しました。この付近は保存活動が積極的に行われており、観光地としての整備も十分に行われていました。また地域住民の生活の場でもあることから、観光客へのマナー順守徹底が取り組まれていることも印象的でした。

北村韓屋村

4.明洞(A2)

明洞はソウル屈指の繁華街で、多数のデパートや商業施設が集まる地域です。実際に街を歩くとどこまでも続くように思える商業施設群を目の当たりに、ソウルの商業規模の大きさを実感しました。街中には人があふれ、どの店にも客が入っておりその様子はソウルの繁栄を読み取るのに十分なものでした。

明洞中心部のロッテ百貨店

5.東大門

この地域はそのほかの地域とは少し異なり、アジア的な街並みが広がっていました。繊維関係の店が集まる東大門市場を始めとして、多数の屋台が集まり少し"雑多な"まちを感じさせるエリアでした。どことなく昔懐かしい雰囲気を感じさせる街並みが東大門には広がっていました。

東大門付近の街並み

6.江南(B)

最後は朝鮮戦争後に開発が進み近年中心の座を江北から奪いつつあるとされる江南に向かいます。バスを降りて周囲を見渡した瞬間、私は江南の世界都市ソウルの中心地としての地位を確かに感じました。全方向に高層ビルが立ち並び、それが延々と続く。鍾路や明洞以上に発展しているとさえいえる状況で、現代の江南地域の勢いの強さを感じました。

江南の街並み

旅の感想

今回の旅では世界都市「ソウル」の規模の大きさを実感することができました。日本に暮らす私にとって東京以外の「首都」を探索するのは初めてで、全く知識のない状態から世界的な大都市を読み解いていく過程はとても楽しかったです。
また各所にひろがる屋台や古い街並みなど東京にはあまり見られない要素も見ることができました。今後自分がまちの未来を考える時に、こうした「別都市での状況」という視点を持つことができたのはとても力になると思います。
しかしまだまだソウル都市圏すべてを見ることができたわけではありません!韓国でよく見られる高層住宅街や郊外の様子、上記に掲載した場所以外のエリアなどまだまだ訪れたい場所がたくさんあります。また機会があったらソウルを訪れ、さらに自分の都市への解像度を上げていきたいです!

2023.4.みがき

参考文献

https://museum.seoul.go.kr/archive/NR_index.do?

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