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子どものコンテンツは つくり手の価値観によって 本当に変わる

「子どもたちに提供したいのは、こういうことです。だから、プログラムは、この内容がふさわしい。コレとコレを大事にしよう。」

こんな風に断言できる仕事は、どこに向かって走ればいいのかが明確で、しかも、そこに納得感がある。多少の困難があっても、頑張れる。

でも、そんな風にできないことが多い。
最近よく言うセリフは、「みなさんが、何のために、このプログラムを実施するのかを考えれば、こういう内容の方が、目的に合っているのではないでしょうか?」みたいな言い方。なんか、まどろっこしい。

まどろっこしい一番の理由は、私のプロジェクトじゃなくて、業務委託のプロジェクトが多いからなのは間違いがない。私がどうしたいかは重要ではなく、クライアントさんの目的に適うことを実現させなくちゃいけないからね。

ただ、業務委託先のプロジェクトだったとしても、彼らの実現したいことが明確ならば、それに合わせれば良い。私の価値観と違ったとしても、仕事だからね、と割り切って取り組めばいいし、割り切れないくらいに価値観が違う場合はお断りするしかない。

ムズカシイのは、「何を大切にしたいのか」を、クライアントさん自身が認識されていない時。

もちろんクライアントさん自身に、目的はある。成したいこともある。あるのだけれど、子どものコンテンツを作るためには、まだ解像度が荒いんだよね、と感じることが多い。

例えば、「とにかく子どもに楽しんでもらいたい」と言ったところで、その「楽しい」からイメージするものは、本当に多種多様。
キャラクターがいること。デジタルゲーム。賞品やお土産がもらえる。遊具があったり走りまわったりできる。勝ち負けが決まる。何かが作れる。
初めてのことに出合う。知らなかったことを知る。自分で考えたり試したりできる。じっくり1つのことに集中できる。・・・と言った具合に。

楽しむ、ってどういうことなのか、子どもたちにどんな気持ちになってもらいたいのか、共通認識を持たないと、向かうところがバラバラのまま進んでしまう。

子どものためのコンテンツは、価値観によって、本当に作り方が変わる。いや、こう書きながら気づいたけれど、どんなコンテンツだって、価値観によって、作り方は変わるんだと思う。

私は、長らく子どものためのコンテンツを作ってきた。その過程で、色々な立場や考え方の人たちの「子ども向けのものを作る時の考え方」に出合ってきた。その経験があるから、子どもに対する認識が多様であることを実感している、と言うことなのだろう。

教材を作る人。販売する人。
キャラクターのおもちゃを作る人。1点もののおもちゃを作る人。
遊具を考える人。遊具の設計をする人。遊具の安全基準を作る人。
カリキュラム型の幼児教育を実践している人。自主性を重んじる幼児教育を実践している人。

みんな「子どもに、こういうものを提供したい」が異なる。子どもではなくて、保護者を向いている場合もある。

世の中の全ての人にとっての正解は、たぶん、ない。あるのかもしれないけれど、そんな神様のような正解を自分が知っていると思うことは、危険しかないから、やめておいた方がいい。

私にとって必要なのは、「私自身はこういうことを大切にしている」を明確に持っていること。それが相いれない場合は、自分を曲げてまで仕事を請けないこと。

そんな訳で、ここしばらく続いていた私のもやもやの1つは、新しいクライアントさんが「何を大切にしたいのか」が、まだ掴めていないからだな、と気づいたのです。まずはここから探っていかなくちゃいけませんね。

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