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文化祭のときの感情を まだ覚えてる

高校生の息子が文化祭の準備をしている。
楽しそうだ。
いわゆる面白おかしい感じの「楽しい」ではない。間違えたり、うまくいかなかったり、夜更かしの翌朝に早起きしてたり、作業が終わらなかったりする、絵に描いたような「バタバタ」な状態。そんな風にバタバタできるのも文化祭の醍醐味だよな、と思う。

オバサンになった私にはもう戻れない、真っすぐなバタバタが、きっと羨ましいのだろう、自分の文化祭のことが思い出されて仕方がない。

高校2年生の春、クラスメイトが「新しい部活を作りたいので、仲間になってもらえないか」と声をかけてくれた。
新しく部活として認めてもらうためには、部員を10人以上集めなくてはいけないらしい。その数合わせみたいなものだった。

それでも、1年生の1年間ずっと、学校の中で自分の居場所が作れなかった私にとって、びっくりするほど嬉しいお誘いだった。別に数合わせでも構わない。数合わせの1人として誰がいいかと考えた時に、思い出してもらえただけで充分だった。
そして、この時に声をかけてくれたクラスメイトが、一生ものの友達になった。

彼女が作ろうとしていた部活は、本当に真面目なものだった。身の回りのこととか、話題になっていることとか、世の中の問題を、感情や印象で語るのではなく、客観的な研究とか、そういうところに立ち返り、それを元にみんなで議論するような場を作りたいと、そう話していた。

部活委員会みたいな組織で審議して、新しい部活は、結局認められなかった。理由はいくつかあったと思う。最初の部員10人が全員高2だったので、継続性が期待できないこととか。あとは、よく覚えていない。
何か新しいことを始めようと膨らみかけていた私たちの期待はしゅーんとしぼんで、一度盛り上がった気持ちをどこに持っていこうかと、持て余すような感覚になった。

文化祭に出展しよう、と、発起人が提案した。部活を作ってやりたかったことは、部活の形じゃなくてもできるんだから、自分たちで活動して、それを文化祭で発表しよう、と。10人のうち6人が参加した。

有志として、文化祭に出展した。場所は廊下。パネル2枚分の展示と、100ページ余りの冊子の配布。100ページを超える大作の冊子は、当時はまだ全て手書き原稿。学校の印刷機で印刷して、ページを重ね、ホチキスで留めて仕上げた。100冊作ったんじゃなかったかなぁ。150冊だったか。

内容は、各自が興味を持ったテーマ。個々に調べて原稿にまとめた。だから、洗剤の界面活性剤の話もあれば、障害者福祉の話もあった。今でいうところの「探求」の授業の最終成果報告みたいなもの。個人の興味のあることを、あえてバラバラのまま、1冊にまとめた。

印刷があまりに大量で、生物の先生が、こっそり教員用の印刷機を使わせてくれ、ページのアセンブルのために理科実験室を貸してくれた。それでも100ページの冊子は一度にはアセンブルできず、章ごとに分けてページを重ねる。机の周りをぐるぐる回る足が疲れてきて、クツをぬいではだしになった。

そんな「有志の会」は、教職員特別賞を頂いた。

そして高3の時も、出展することにした。
2年目となった展示は、テーマを「学校」に決めた。自分たちの通う学校の、過去と現在と未来について考える展示。校則をテーマにした模擬裁判も行った。(校則はほとんどない学校なのだけれど。)100ページ級の冊子も、作った。2年目なので、冊子を製本するのは手慣れたものだ。

この年は、アイディア賞を頂いた。

でも、私たちは、何だか嬉しくなかった。賞をもらったのに、押し黙ってしまった。そのまま文化祭は終わり、私は、みんなが帰った空っぽの廊下を見ていた。(寮生の特権だ。)そして、はっきりと気づいた。
私たちは、悔しかったんだ。もっと評価の高い賞が欲しかったんだ。

ずっと、かっこつけてたと思う。部活を申請して、それが許可されなかった時から、「誰に認められなくても、自分たちが良いと思う活動を続けていくもんね」って。
文化祭中も、本当にいい展示、意味のある展示、メッセージ性のある展示を実現することが大事で、評価なんて重要じゃない、みたいな風に振舞っていた。

でも、ものすごく頑張った。夏休み中に、1人の子の家にみんなで泊まって原稿を仕上げたり、冊子の内容について延々と議論したりした。大学受験する子はしばらく塾を休んでた。自分たちの学校について考えると、その議論は自分たちにもブーメランとなって返ってくる。きれいごとで終わっていないか。他人事になっていないか。自分たちは本当に学べているだろうか。
自分たちが自覚してたよりも、ずっと、自分自身に大きな問いを突き付けられながら、進めていたんだと思う。

だからきっと、もっともっと評価されたかった。でも、評価されたかったね、って言い合うことすら、適切かどうか自信がなかった。
評価されるのは、悪いことじゃないのにね。

文化祭中の、高揚した感情と、それなのに、全てが終わった時のなんとも言えない悔しさは、今でもあの時のままで思い出せる。それだけ、打ち込んでいたんだと思う。あんなに言葉にならないくらい悔しい気持ちになれたことを、今では幸せだったな、と思い出せる。

2年分の冊子は、今も本棚の奥にある。高校時代のまっすぐさが、そのまま、そこにある。



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