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職業病 みたいなもの

個人で、シッターを仕事にしている友達がいる。とても職業意識の高いシッターさんで、ご利用者さんからの信頼も厚く、お子さんの成長をもう何年も伴走しているご家族が何組もいる。
その友達と一緒に、親子が大勢参加するようなイベントに参加すると、彼女は気づいたら初対面のお子さんをケアしている。お子さんのクツを履く手伝いとか。ふと気づくと、初対面のはずのお子さんが、彼女と手をつないで歩いてる。あれ?

そういう、いい意味での職業病みたいな話が、好き。

お仕事で「指さし確認」「声出し確認」をされている方は、だいたい日常生活でも同様にしてしまう、と聞いたことがある。「電気ヨシ!」「ガスヨシ!」「戸締りヨシ!」みたいな。

友達は引っ越し屋さんのバイトをしていた頃、誰かの家に遊びに行くと、無意識のうちに「この家、引っ越しするとなったら、段ボールで●箱分くらいだなー」とか考えてしまっていたらしい。だから、どう、って訳でもないのにね。

子どもたちが、仕事をする大人たちにインタビューするイベントの時に、食品開発の方にお話を聴いたことがある。その人が「日常生活でも、ついついやってしまうこと」は、スーパーに買い物に行くと、自分の担当した商品を正面に向けて並べてしまうことだそう。分かるなぁ。
その時話を聴いた子どもたちも何だか盛り上がって「ボクも、サトウさん(仮称)の商品、横向いてたら、前向きに直しとくよ!」と、口々に言っていた。商品のパッケージを正面に向けてくれる子どもが増えたかもしれない。

仕事で普段やっている振る舞いを、日常でもついやってしまう、というのは、何だか〈イイ感じ〉がする。その振る舞いが身体や心にクセ付けされているくらい、仕事に真剣に取り組んでいるとか、仕事のことが好きとか、そういう想いがあるのだろう。

仕事とプライベートは別のもの、って考える人もいると聞く。プライベートの時間にまで、仕事のことは考えたくない、とかね。ただ、仕事の自分も、プライベートの自分も、どちらも同じ自分であることには変わりがない。そんなに、きっかり別の自分になれる訳じゃない。

そんな訳で、職業病みたいなものが、ふっと出てきてしまう人、私、好きなんですよね。仕事に対しての、ささやかな誇り、言葉にするほどでもない愛情、そして、そんな自分を面白がれるちょっとしたユーモアが感じられて、とにかく、そういう「職業病バナシ」好きなんです。

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