夫婦とか子供とか家族とか。
夫と結婚して2年と数ヶ月。
私たちの間に、まだ子供はいない。
授かることを望んでいるし、妊活をしている。不妊治療の病院に通い出してから、1年と少し。想定していた選択肢は使い果たした。予定では、とっくに妊娠しているはずなのに、おかしい。現実はスケジュール通りにはいかない。
ずっと自分の家庭を持つことに憧れてきた。
優しい旦那さんと、子供たちに囲まれて、あたたかい家庭を築きたいと、月並みだけれども、そう思ってきた。
子供は3人欲しい。たくさんいたら楽しそう!だから(もちろんそのぶん大変)。賑やかな家庭がいい。
時代にはそぐわないかもしれないが、家庭のことは私に任せて、旦那さんにはお仕事を頑張ってもらいたい、と本気でそう願ってきた。
「僕と結婚がしたいんじゃなくて、子供がほしいだけなのでは。」
婚活中、お付き合いしていた男性に言われた。
お付き合いは順調で、ふたりで結婚に向けて話を進めていた中、まさかな発言だった。が、はっとした。
そうかもしれない、、と。
なんて失礼で浅はかなのだろう。
だがそもそも、婚活を始めた理由が「3人子供を授かり育てる」だったので、結婚を急ぐ気持ちも、子供を希望する気持ちも前面に出ていても致し方ないのでは、とも思った。
子供に恵まれない未来も可能性としてあるのだろう。そうなったとき、この先ずっと、彼とふたりで添い遂げられるのだろうか。
彼は魅力的だ。容姿端麗で知的で、その美しさについうっかり、これは恋なのだと錯覚してしまって。彼のような子供がほしい、と思っていた。本能に従うのは、素晴らしいこと。だが、心はどうか。
一瞬で思考が現実モードになった。
思い描く将来像が違えば、歩み寄りするような人でもない。それぞれの生きる道があって、各自どうぞご自由に。といったような人だ。
思いやりの心がなければ、夫婦生活を続けることは難しいだろう。
無論、私たちは結婚までの道のりで寄り添うことができず、破局した。
「好きにしてくれたらいいよ。」
婚活中、新たにお付き合いした男性に言われた。
結婚して仕事を続けてもいいし、辞めてもいい。子供ができれば、家事・育児に専念してくれてもいいし、仕事をしたければ家事代行の力を借りようと。
天使が降りてきた、と思った。
彼の雰囲気は柔らかく優しい。惜しみない笑顔にこちらの心がぱっと明るくなる。
彼と一緒だったら、嬉しさは2倍・悲しさは半分だ。そんなメルヘンなセリフをついうっかり言ってしまうほど、心が洗われた。夫婦になれたらいいなと思った。
そうして、彼が夫になった。
「子供がほしい。」
大切な人との間に、子供を授かりたいと思うのは、至って自然なこと。
私も夫との子供がいたらいいのに、と思う。
けれど私が結婚したのは夫であって、確約された「理想の将来像」ではない。絶対なんてことはこの世に存在しない。授からないのであれば、ふたりでより良い未来をつくっていくまでだ。
とはいうものの、可能性がある限り、妊活・不妊治療は続けるつもりでいる。それは、夫も私も望んでいること。
まだまだ先は見えない。すぐそこかもしれないし、ずっと先かもしれない。
今は、ただひたすら、夫婦の時間を大切にしていく。
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