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【一駅日記】小豆小町はどこにいった。ー 2024.05.13(木)

5月。
暑いんだか、寒いんだか、よくわからない日々。
メンタルも体調もぶっ壊れるわな、そりゃ。

って、noteを開いてはこんなことばかり文字にしている気がする。
毎日、毎日、よく分からない事ばかりだ。

コメダ珈琲に行ってみたら、大好きだった小豆小町がなくなっている。
小豆小町を飲みたくてコメダに行ったのに。
よく分からないことばかりだ。
コメダさんよ、復活しておくれ。
小豆小町のアイスの葵が私は大好きだったんだ。

自分が28歳だったか、29歳だったか自信がないのだが
未だに自分の人生のことは何一つ分からないし
何が分からないのかが分からない自分にも腹が立つ。

朝起きて、頭が痛いのは気圧のせいということにしておこう。

新しく出会った音楽を咀嚼する時間も
訪れたライブの言語化をする時間もとれないまま
ただただよく分からないことと、
買っただけの本がどんどん積み上げられていく。


小豆小町と一緒に、
せめてその本だけでも消化しようと思ったのにな。



自分のなかで決断をした。
一つじゃなくて、四つほど。

今の自分自身に対する諦めの気持ちと、
もう一度素直になってみようかって
昔の自分を信じてみるための決断をしてみた、つもり。

いまの仕事をして少し時間が経って、
この業界にいて数年が経って、
色々な感情に出会うことができた。

何をどう例えたら良いのか、表現が難しいのだが
頑張って例えてみよう。




大好きなアーティストのライブに行くとする。
舞台上には光り輝く大好きなアーティストがいて、
後ろには公演を支える照明なり音響なりのブースがあって
裏側では多くのスタッフが走り回っていて
脇では公演を記録するためにカメラマンが狙っている。


なんとも、なんとも華やかな世界だ。


舞台に立つスターも、アーティストを支えるクルーたちも
皆が輝いていて、皆がいるから公演が成り立ち。
華やかな世界を彩っている。

ただ、公演として成り立つためには、
1人〜数万人の"観客"が必要になるのですが、
私はその"観客"という人たちが過ごす営みの価値を
きちんと分かっていなかったような気がしています。

数万人の中の"ひとり"が過ごしている社会や生活や景色が
どんなに尊くて、どんなに素敵な物語なのか。

数億回再生された音楽にどんな種類があって
どんな特徴があって、どんなトレンドになっているのか
ということより、私が興味があることは

その音楽が一回再生された時に、その人は誰とどこにいて、
何を観ていて、どんな感情が生まれたのかということ。

華やかな世界を彩る一部になるのではなくて
音楽が寄り添う生活を私は見ていたい。

観客席にいるひとりとして、生きてみる覚悟ができた。



文字にしていて、自分でもおもしろいなと思うことは
私が考えていることや口にしている言葉は
ここ数年で、おそらく何ひとつ変わってない。

それなのに、やりたいことや、進みたい道がどんどん変わってきている。
現状の自分に対する諦めでもあり
一種の現実逃避だったり原点回帰でもあり。

うーーーーん。難しく考えすぎか。


他人に自分の夢を乗っけるのではなくて
ようやく自分の人生を生きてもいいかー!
ってなったって話です。


いつだって好きなものは最後に取っておきたい緑のパンダ。
もうそろそろ、食べちゃおうかなって思ってきたというお話でした。


こんな、取り止めのない記録が私の今日の一駅日記。

今も遠くで聞こえる あの時のあの曲がさ
遠くで近くですぐ傍で、叫んでいる
遠くで見てくれあの時の僕のまま
初めて気がついた あの時の衝撃を僕に
いつまでも、いつまでも、いつまでもくれよ

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