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2024.03.11。私なりの3月11日。

今日は、仕事を休みにした。
この前、休日出勤をした分の代休を今日にあててみた。

洗濯をして、掃除機をかけて、お昼を食べて。
のんびりした休日を満喫しています。

じゃあ今日はなんでもない1日を過ごすために、
休みにしたのかというとちょっと違う。

今日は、悔しさを思い出すための1日。

仕事に忙殺される日々。
知り合いの誕生日も、身内の誕生日も忘れていく。
手帳を見る暇も、カレンダーを眺める心の余裕もない。
だから、3月11日は休みを取ることにした。


あの日から毎年、3月11日14時46分の空の写真を撮っている。

当時、中学3年生。
家で一人で過ごしていた私は、
家の外に逃げ出してきて、空を見上げて腹が立ったのを覚えている。

左手で、黒い波が押し寄せる東北の様子を報せたワンセグ機能付きのガラケーを握り締めて
なんでこんなにも空が青いんだろうって、憤りを覚えた。

果たしてこの憤りは誰に対しての憤りなのだろうかと。

自然への畏怖の感情なのか。
東京で一人で震えていることしかできない自分自身への虚無感なのか。


この時の怒りは、多分、その後の私の人生に大きな影響を与えてくれている。


何もできない。
何ができるのか。
何かをしないといけないような気がする。
でも何をしたらいいのか。
いま、何をすべきなのだろうか。
私には何もできることはないのかもしれない。


そんな悔しさがずっと私の周りをゆらゆらと漂っている。

コロナ禍だってそう。
アーティストが苦しむ中で、私は何やってんだろうとか思いこんで
勘違いして、勝手に一人で正義感に燃えて走り回っている。

「いまは、自分ができることを精一杯やろう。
いつか必ず、緑のパンダくんの経験が必要になってくる場面がくるから。
今は、自分のフィールドで、自分ができることを。」

そうやって、大学時代の恩師が私に伝えてくれなかったら、
いまも勝手に奔走して迷子になっていた気がする。


何もできないんだ。
いまの自分が何もできない存在だという現実を見ろ。
いつか、必ず私の経験が役に立てる場面がある。
だから、今は自分の人生を生きろ。自分を見ろ。

そう思えるようになったのは、この13年間で一番の成長なのかもしれない。



では、2011年3月11日から何が変わった?何ができるようになった?

毎年、昨年の自分から届くこの問いに、私は満足に答えられない。

ただただ、悔しさだけが滲む1日。
だけど、この悔しさを思い出すことに1日を費やしても良いと思うんだ。


"3月11日"が持つ意味が、どんどん変わっていく。
黙祷をしている最中にも、誰かからの通知が届く。
2011年に生まれた子どもたちも中学生になる。
私だって、もう30歳が目前に来ている。
365日ある中で、ただの1日に変わっていく。

これを風化と呼ぶのか、復興と呼ぶのか。
そんなことは分からないが、しかし。
私は何一つ成長していないままで、
今年も同じように悔しさを思い出している。


いつになったら、悔しさを感じなくなるんだろう。
いつになったら、私は私の生き方に胸を張れるのか。

誰に何を言われようが、
2011年3月11日の何もできなかったあの自分に
恥じない生き方をしていかないといけない。


そうやって、また、何もできないまま1年を過ごしてしまった。くそ。
それを感じることが、それが、私なりの3月11日の過ごし方。



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