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応援は、"Give & Give"ぐらいのスタンスがちょうどいい

プロ野球のオープン戦が終わってしまいました。
現地観戦するつもりでチケットをとりましたが、無観客試合に。それでも試合があって、中継で見られるのがどれだけありがたいことか。
いつになるのかわからないペナントレース開幕を待つ今の、率直な思いです。
(西武とDeNAの練習試合をDAZNさんが中継してくれるだけでも、暗闇にさす一筋の光のようです)

応援とは、忍耐である。

2018年からプロ野球を見始めた、まだまだファン歴の浅いわたしではありますが
応援は忍耐が必要なんだなということは、少しずつわかってきました。

当たり前のことですが、プロだって人間なのでうまくいかないこともある。相手のあることなので、負けることもある。
せっかく応援しているのだから勝ってほしい、と思うことは当然ですが、その思いが報われず、しょっぱい気持ちに終わることだって往々にしてあります。
そして1つ1つの勝ち負けが積み重なって、シーズン通しての結果となる。シーズン全体で見たら負けることの方が多いかもしれないし、どのチームも目標としている「リーグ優勝」「日本一」の椅子はひとつずつしかないので、叶わない可能性の方が高い。
負けが込んでいる状況でも、「今日こそは、今日こそは」とチームの勝利を願い応援し続ける、これはシーズン中の、ある種の「忍耐」でしょう。

そしてキャンプ地を始めとする練習場に行き、ファンサービスを待つこと。これも本当に忍耐が必要です。
選手たちにとっては、練習が本分。そもそもファンサがあるのかどうか、やるにしても誰が出てきてくれるのか、選手にとって限られた時間の中で自分はファンサを受けられるのかどうか。何も確証がない中で、じっと列に並び続ける。
特にキャンプの場合は練習場とファンサの列が全く別のところにあったりするので、列に並んでいたら練習は見られないし、逆もしかり。自分の体はひとつしかないので、どちらを優先するのか、選択を迫られるわけです。

せっかく待ってたんだから、遠くまで(時間もお金も割いて)足を運んだんだから、ファンサを受けられて当然である。
そんな風に思っていても期待通りにならないことだって多いし、「期待していたものが得られなかった」ことは、そのままマイナスの感情につながってしまうかもしれません。

ならば、見返りを求めない。

応援していた時間、ファンサのために並んだ時間、現地に足を運ぶために使ったお金。(交通費、チケット代、グッズ代、飲食代…いろいろあるでしょう)
応援のために割いたさまざまなリソースに、将来的なリターンを求めず、「いま、この瞬間」を有意義に捉えること。
もうちょっと平たくいうと、応援そのものが楽しかったとか、選手のプレー一つひとつに心を動かされたとか、待ち時間もその場の空気をめいっぱい味わってみるとか(わたしの場合、同じチームを応援しているひとがこんなに多いなんて…!とか思うとちょっとわくわくします)
"Give & Take" ではなく、"Give & Give" 的な心持ちでいるほうが、気持ちも満たされるのかなあと思います。

(ちなみに、今年のキャンプは初めて選手への差し入れを準備しました。すなわち実質的な "Give" です。これは自分の手元には何も残らない一方で、一瞬でも選手と接点を持てると言うメリットがあるんだなと感じましたが、残念ながら2月中旬からは規制が厳しくなってしまいました。)

今は、じっと待つのみ。

わたしたちはいつになったらスタジアムで野球を見られるのか。
いつになったらビール片手にスタジアムグルメを頬張り、大声でチャンテを歌いながらプレーや試合の結果に一喜一憂できるのか。
「去年のシーズンが終わってから半年近く待ち続けたんだから、新しいシーズンが始まってまた応援できるようになるはずだ」
こんな、毎年当たり前のように得られていた「見返り」だって、どうなるかわからなくなってしまいました。
選手の調整が順調に進んでいることを心の中で願い、応援しながら、今できることを粛々と進めていくのみです。

(たとえば、スタジアムを作ってみたりしながら、ね。)

1日でも早く、選手もファンも含めた競技に関わる全員が安全な状態で、無事に開幕できますように。

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