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タグ付けが苦手な話

この文章は敬称略です。

タグ付けがね苦手なんですよ。
例えばpixivとかあるじゃないですか。
ジャンルやカップリングとかあるじゃないですか。
例えばBLならBLで⚪︎⚪︎受とか××萌えとか。
最初から分類済のものを読みたいわけじゃないからタグ付けされてるのはなんか読みづらいなーと私は思う。
ほのぼのとか言われてもピンとこないし最初からハッピーエンド言われたら読む楽しみ減るし。
ハッピーエンドになるかどうかわかんないからドキドキするんじゃん。
え、違うの?

BLに限らないけど私は「最初から分類されたもの」に興味が湧かないんだよね。
私のツボはエロよりブロマンスではあるけど、だからって読む前に「ブロマンスですよ」って言われたらなんか興醒めしちゃうのよ…。
類型的なものってもう「消費され尽くした痕跡」「たくさんの人が踏破済の山」くらいの感じで探検するワクワクが減るから。
私だけ?

読み手としてもそうだけど描き手としても同じなのね。
最初から決めて描くのつまんない。
何が出てくるかわかんない状態で描くのが一番楽しい。
結果として分類されるのは構わないけど先に分類決めてたら描くものの世界が狭まるじゃん。
その時点で「つまんない」と思ってしまう。
相方も結果的にBLになるものを書くことはあるけど、最初から狙ってBLというのは書けないという。
わかりみが深すぎる。

前回のnoteでも書いたけど「かわいい」にもいっぱい種類があるのはペットに限らなくてさー。

例えばかわいい女の子の絵だって「どう」かわいいかいっぱいあるわけで。
最初から狙って描いた「かわいい」は狙ってる分だけ「あざとさ」に繋がらないか?

あ、わかった。
分類済のものはねえ、「意外性がない」からつまんなく感じちゃう。
「予定調和」がつまんないと感じるからだ。
たとえ一見ほのぼのに見えてもちょいダークな香りがしたら「おっ!意外!」って思わない?
そういえば「ちいかわ」なんかそうだよね。

だから私AI生成画にも興味湧かないんだな。
と改めて思った。
「他人が決めたタグで分類された他人の最大公約数」は私の作りたいものじゃない。
(AI生成自体を否定するものではなく、「私のツボではない」という個人的好みの話)

そういえば顕在意識で狙って描いたものは得てしてつまんない、という記事は過去にも書いたわ。

ベンチマークやキョロ充は「顕在意識」による目先の人参に向かって目的を持って行う活動である。
これは適度に集中しながら目的自体に固執しすぎずフワッと浮いた感覚、「フロー状態」=「顕在意識によるストッパーが外れた」状態=いわゆるところの「ゾーンに入った」状態とは正反対の状態、ということになる。

「絵師の描きたい脳内イメージはブラックボックスに隠されている」=「本当の本音は顕在意識に覆い隠されている」

作者の「想定」は個人の「顕在意識」なので、まあ想定通りにしか働かない。
顕在意識の及ぶ範囲はタカが知れてる。
作者が私欲を離れて創作に集中した時、「顕在意識」ではなく「潜在意識」にアクセスすることになるので、想定外のインパクトを生み出せる可能性がある。
つまり火事場の馬鹿力って奴です。

クセェ文章、スケベ心?そりゃアカンわ。そりゃあね。3

2個目のは文章に関してだけど媒体違ってもイメージを形にしてること自体は一緒なので絵でも文でもおんなじなんだよねえ。

蛇足だけど、この「クセェ文章、スケベ心3」はなぜかよく読まれている。
確かに私の文章関係noteの中では一番のきもと思う部分を書いたのは確かなんだけど。
この「クセェ文章、スケベ心3」の内容が理解できる人とできない人では多分天地ほどの筆力の差があると断言してもいいくらいの重要な内容を書いているのは確か(素人のくせに偉そう)
まあでも一人の文章書きを「イチから育てた」ことがある人間としてはこのくらい言わせてもらってもいいとは思うのよ。

話を戻して。
一番面白いのは思いついたキャラがどんな子か色々考える時かなー。
これは主に相方とのディスカッションになるんだけど、その子が普段どんな態度で、何が好きで嫌いでどう行動しそうかどう発言しそうかとか二人でディスカッションして考えていくのが好きなのね。
するとその中で「絶対これや!」という手応えがあることがある。
そういう子はお話に放り込んでも自分で動いてくれるから、お話も作りやすくなる(近年やってないけど)
あ、お話書くのは相方ね。
私シーンやキャラクターの性格や感情は見えるけどストーリーにするのは苦手なのよ。

つまり、私はストーリー優先型(岩明均型)ではなくてキャラクター優先型(ジャンプは割とこっち?)なのである。

けどねえ、岩明均がストーリー優先型であんなに緻密にキャラクター作れるのだけは謎で謎でしょうがない!
とんでもないよねー(←褒めてる)
あれは規格外です。
ストーリー優先型として名前は出したけど、並のキャラクター優先型作家では足元に及ばないようなしっかりしたキャラクター造形。
わからん。謎すぎる。素晴らしい。岩明均素晴らしい。

脱線してしまった。
まあ岩明均は規格外、ということで。

私は今は単発一枚絵ばっかり描いてるけど、その場限りのキャラクターを多く描いているということでもある。
その場限りのキャラクターであっても基本そのキャラクターがどんな性格や心境なのかというのは大事。
それが目つき顔つきや仕草に直結するから。

狙わず描いて出てきたもの(の目つきや顔つき)に「確信」を持てたら続きを描いていく。
というのが私の描き進め方。
確信持てなかったらクリアして次の絵を描く。
いつも私は複数枚のキャンバスを開いてBGMが変わるごとに見えるイメージから見えたものをそれぞれのキャンバスにとりあえず描いてみる。
確信持てるのが出てくるまで描いては消し、描いては消しを繰り返す。
確信持てるやつを選んで描き進める、けどBGMに合わせて違う傾向の何枚かの絵を行き来しながら描き進めることもある。
イラチだから大体1枚1〜3曲の間で描いてしまう。

結局、BGMを媒介になんらかの感情や心境を読み取って形にしていることになる。
感情や心理状態を理解しないと描けない。
BGMから受け取る感情はタグ付けされていない。
自由連想である。
だから同じ曲から描いた絵でも毎回少しずつ違う。
自分のコンディションとの兼ね合いもある。

いつも形のないものから私は絵を描いている。
形の決まったものをなぞり描きすることが苦痛だから。

タグ付けってのはわかりやすいのだろうけど。
わかりやすいタグで分類されてしまったらタグとタグの間の何にも分類されないものは漏れてしまうのではないかと心配になる。
でも私はたとえば人の作品だと何にも分類されづらいモヤモヤを代弁してもらった時に感動を覚える。
だから自分も描くのであればわかりやすいタグ付け(分類)じゃなくて分類しづらいものを描きたいなと思う。
そういうものを描く人(書く人)を尊敬する。

そういう私は分析ゴリマッチョでもある。↓

技術や人間観察についてはそりゃ分析整理するけどジャンルのタグ付け(分類)とは違うのだ。
分類というより分析の末の法則発見が目的だしね。
分析は対象を理解したくてするものなので未知のものを理解するための手段だ。
未知のものを解析するのはワクワクする。
分析、解析して理解できると安心する。

でも分類は理解しなくてもタグ叩けばなんらかのアクションが発生するので簡便なのは確かではあるんだけど。
ただそれだけだとタグから溢れたものを取りこぼしてしまうと思うし、取りこぼしの中にこそ大事なものがあるのではないかと割と穿ってしまう癖がある。
というより分類してタグ付けしたら、それ以上考えるのをやめたあかし、つまり「思考停止」になってしまうような気がする。
だから安易なタグ化はやっぱりしたくない。
一度タグ化されてしまったらそのタグに含まれないものはタグ化された時に消えてしまって、タグから復号化しても永遠に失われてしまわないかが心配になる。

画像形式のjpgのような不可逆圧縮だと困る、ということである。
音楽でもビットレートの低い圧縮方法にすると微細な音が失われてしまう。

タグ付けだけじゃなくて一般的な推し活も苦手かもしれない。
「これが好き」って言葉にしちゃったらその「好きエネルギー」が言葉から放出されてしまって気が済んでしまいそうだから。
なので例えば推しキャラがいたとして、「推せる!」という代わりに絵を描く。
でも正確には「推せる!」じゃなくて「この人こう見えるんだけど!」というのが一番近い。
やっぱり「見えると描いちゃう」なんだわ私。
それを「好き」「推せる」と言葉にしたらその言葉に入りきらないものが表現できないと思うのだ。

むかーしこういうnoteを書いた。

でコードギアスの監督のこういう言葉を引用をした。

溜められないからです。SNSでポンポンつぶやいちゃうわけじゃないですか。「あれが気に食わない」とか「私のここを見て」とか。つぶやくのをやめて、溜めて、溜めて、溜めて……それを作品にすればいいんですよ。  

言うに言えないことってあるじゃないですか、人間って。世の中に対する恨みつらみとか、妬み嫉みとか、もしくはその人だけの正論とか。それをネット上で小出しにしちゃって勿体ない。そういうのは、もっと溜め込まなきゃダメだと思うんですよ。気軽にできる時代だからこそ、アウトプットは気をつけなきゃいけない。

「反逆をアイデンティティーにしてはいけない」。『コードギアス』監督が語る人生と成熟

これと同じ感覚なのだと思う。
すごく親近感湧いたので、↑のnoteを書いたのだと思う。
私の場合は、「言うに言えない」じゃなくて「普通の推し活民ならみんな言ってることも言語化や推し活行動しないで絵にしてしまう」
なんだけど。

というわけでつらつら書いたけど、先に分類やジャンルをタグなどで決められると読むのも描くのもつまんなくなるので真っさらから読みたい描きたい派ですよ、というお話。


こういうのが音を頼りに描いた誰でもないやつ。
どっか一箇所でもハッキリしてりゃいーやという
5分で描き終えるユルお絵描き

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