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大河ドラマ『光る君へ』
長い年月放映され続けてきた大河ドラマの中で、極めて特殊な作品であると感じる。
『光る君へ』である。
ある特定の歴史的人物について、その人物が成しえた事象についてフィクションを織り込みながらお芝居として描いてきた大河ドラマであったが、今主役の紫式部の特筆すべき功績は、絶大な世界的評価を得ている『源氏物語』を書いた、という事であるはずだ。
その文学作品を直接的には挿入せずに(脚本家談)、その世界観を
霞に消えゆく月のごとく
『光る君へ』が始まったので、少し書いてみたい。
今回の大河に興味が注がれるのは、従来の「史実をどのように脚色するか」とはやや趣きが異なるからではなかろうか。少なくともわたしにとってはそれだ。
そもそも古代をテーマにドラマ化するのであれば、あくまでも「お芝居」であるはずである。
不明である諱を「まひろ」としている事からもよくわかる。
漢詩人、歌人であった藤原為時の娘であり、藤式部もしくは紫式部と
天宇受売命という存在 前編
日本神話の中でわたしが最も好きなキャラクターは天宇受売命(アメノウズメ)だ。
彼女の説話から、古い古い時代の素朴な神話の精神を垣間見る事ができるからだ。
さてその上で、後世①かかる説話から彼女の存在を薄めてしまったように感じられる事。②彼女の事を具体的には見出せずとも、強く彼女の存在を感じる事。このふたつの事象について、前後編にわけて書いてみたい。
それによって、わたしの胸中に湧く神話の世界観を、
天宇受売命という存在 後編
前編はコチラ
後編 ② 戯れては笑ひゑらぐ
天と地が分かれ、山河が整い男女が現れ結ばれて子孫を残す。やがて闘争や支配、統治に進む。
これを軸に様々な理に対する説明や、正当性の提示という枝葉を付ける。
時代の経過に伴い、世相思想を反映させ、後の人々の手による解釈や脚色も加わりながら、神話は整ってきたのだろう。(少なくとも日本の神話は)
物語が進むにつれて、人の感情の投影が増え、神々が徐々に人に
空高く生まれ土深く潜る
この冬神話部は三周年を迎えた。このタイミングで神話全体について思う事を少し書いてみたい。
想像するしか無い事を前提とした上で、世界各地の神話についてかねてより感じていた事がある。
全体的な話としてより古く、オリジナルに近くなればなるほど、神話は心のありようや心の作用といった領域については、さほど深入りしていなかったのでは無いか?という印象をわたしは持っているのだ。
後に出てくる、確固とした教説