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「具体と抽象」細谷 功 ー頭のいい人の世界の見え方ー

みなさんは話をするときに具体的に話すことと抽象的に話すこと、どちらが得意だろうか?

私自身を振り返ってみると、小さい頃から内容を要約して、大事なことだけを話そうと意識していたように思う。
なぜかと考えると、私は元来おしゃべりだったが、人に何かを説明することには苦手意識があった。また私は2人兄妹だったが、私が話すと兄に遮られたり、何を言っているか分からないと言われることがよくあり、無意識のなかで「わかりやすく話さなきゃ」と思っている節があるのかもしれない。

おしゃべりが得意な人は昨日あったことをさも目の前で起きているかのように詳しい描写と共に教えてくれるが、そのような方は具体的に話すことが得意な人なのだなと感じる。

この本の中で面白いと思ったのは、人間は他の動物からしたら「めちゃめちゃ抽象的な言葉」を扱っているという話だ。

飼い犬と会話する思考実験のところがとくに秀逸で、
人間「ごはん食べる?」
飼い犬「えっ?!何ですか?ごはんって???」
人間「『えさ』のことだよ」
飼い犬「えっ?!何ですか?えさって???」
・・・
人間「昨日の朝も夜も食べたでしょ?玄関の下駄箱の横に置いてあるアレのことだよ」
飼い犬「あぁ、アレのことですね。難しい言葉で言われたので、何のことだかさっぱりわかりませんでしたよ」

とゆうやりとりなのだが、このやりとりをみると、「ごはん」という言葉も「えさ」という言葉も、人間が(アレ)を抽象化するために作った言葉なのだなとわかる。

これは人間と犬のやりとりですが、人間同士でもこのようなやり取りは起こりえる。
友達がテレビ番組に出てきた人の話を楽しそうにしていても、自分が見ていなければイメージが湧かず、「誰その人?」と訊ねることになる。それに対して「めっちゃ有名だよ?(なのに知らないの?)」と言われ、場が冷え込む経験をしたことがある人も多いのではないだろうか?

このようなことは頭がいい人と会話する際もよく起こる。
頭のいい人が専門用語など、かなり抽象化された内容を話していても、聞いている側にその知識がなければ何を言っているのか分からない。
「なんか難しそうな話をしている」で終わってしまう。
しかし、頭のいい人にとってはそのような学問の世界があることは「当たり前」なので、それをわからない、見えないと言うこと自体が「わからない」ことなのである。

このようなすれ違いは互いが見ている世界の抽象度の違いによって起こる。世界の抽象度が違うときには、わかるように抽象度を下げて話すか、同じ理解レベル同士の人と話すかしかない。

以上のような話は、人間世界にしかない、人間特有のものかもしれない。
具体を抽象にできる能力こそが人間特有の能力であり、人間特有の記憶力や類推・推論の能力、洞察力のレベルの違いなどによって、抽象力も変わってくるのかもしれない。

人に何か説明したり、理解してもらうときにもこの考え方は使えると思う。
私もこれから抽象↔︎具体を意識して物事を考えていきたい。

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