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最後の日【#シロクマ文芸部】

最後の日は、どう過ごそう。

もし、明日死ぬとしても、悔いのないように生きよう。
そう思って生きてきた。

そうしているうちに、本当に、それができるような気になってきた。

事実、もし、急に、今、死ぬとしても、悔いはない。
あ、そうなんだ、でおしまいだと思う。

そこに、悲しみも落胆もない。

それを受け入れることができる。


小さなころから、死ぬことが怖いと感じたことはなかった。

自分は、いつか、死ぬ。

そのとき、僕は、「人生」を終える。

そんなの当たり前。

ただ、それだけのこと。

死んだらどうなる?
分からないけど、きっと、終わりじゃあない。

もし、生まれ変わりがあるのなら、また新たな「人生」が始まるんだろう。

もし、生まれ変わりが終わるときがあるのなら、「人生」の代わりとなる、新しい何かが始まるんだろう。

「何生」かな。

「人」というのが、この世界での身体や心のことだとしたら、それ以外。

「〇〇生」の〇〇に入る言葉。。

「気」「魂」「神」「空」「無」「宇宙」

そんな言葉が思い浮かぶ。

人それぞれ、しっくりくる言葉は違うのだと思う。
どれが正解、なんてことじゃあない。


これは、何もオカルトや神秘、スピリチュアルなことを言っているんじゃなくて、当たり前のこと。

あえて、言葉にしているだけ。

前世の記憶を持つとか、生まれる前の記憶があるとか、臨死体験で死後の世界を体験したとか、の情報は世界中に溢れかえっている。

現代の科学ではまだ解明できていない。

機械で計測できるものを科学と呼び、計測できないものは科学の枠に収まらないから無いことにしよう、無視しよう、というのはあまりにも強引。

それじゃあ、心や感情、ひらめき、というものも無い、と言ってしまうようなもの。

解明できないだけで、あるんだろう。


銀河は数千億個あって、一つの銀河に太陽のような恒星は2,000億個ぐらいあったりするらしい。

こんな宇宙にあって、地球人の科学がその全てを解明できているわけないと思う。


世界を、自分たちに都合よく切り取って、理解できることだけを見て生きているけど、

何をどう言っても、

人は、いつかは、死ぬ。
その後どうなるか、分からない。
考えても分からないものに、答えを出す必要はない。
生まれ変わりがあるのかもしれないし、無いのかもしれない。

いつか、この人生で何を得たか、振り返ることになる。
振り返るとき、もはや、私という人間では無いんだろう。

そのときに後悔しないように、日々を大切にする。

そんな当たり前のこと。


だから、僕は、最後の日は、今日と同じように笑っていたい😆


シロクマ文芸部の企画に参加しました😄

小牧幸助様
素敵な企画をありがとうございます✨✨✨


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