ありがとう【#しろくま文芸部】
「ありがとう」
入れ歯が入っていない口元をもごもごさせながら、祖母が僕に言った。
それは、僕から言わなければならない言葉なのにな。
そう思いながら、口篭った。
祖母が寝たきりになって半年以上経過している。
以前は凛としていて、皆から敬愛されていた祖母だったが、今はベッドから立つこともできず、布団と一体になっている。
耳も遠くなり、話しかけると応答するが、たぶん、あまり理解できていない。
もう、長くは生きられないだろう、それはみんな感じていた。
その時が1週間後なのか、1ヵ月後なのか。
分からないけど、1年では、ない。
僕が祖母を訪れたのはそんなタイミングだった。
僕が部屋に入ると、それが孫だと認識するのに少し時間がかかった。
年老いるとは、こういうことなんだな、と知る。
記憶や時の流れが混濁し、夢と現実の区別もなくなっていく。
ただ一つの、永遠不変の自分の魂に戻ろうとしていく。
僕の両親は共働きだったため、家事は祖母が協力してくれていた。
母の帰りが遅くなる日は祖母が夕ご飯を作ってくれた。
出汁をきちんと取り、素材の味を活かした煮物類は絶品だったと思い出す。
家には、いつも祖母が居てくれた。
あまり一緒に遊んだ記憶はない。
相談したり、話し込んだような記憶もない。
でも、ただ、居てくれるだけで十分だった。安心できた。
僕は、祖母に感謝している。
何に?
生きていてくれたことに。
それを伝えようと思ったけど、どうすれば良いのか。
声に出したところで、耳が遠くなった祖母に伝わるのだろうか。
単なる道具的な言葉としてではなく、感情の塊を、きちんと伝えたい。
祖母の手の上に僕の手をそっと重ねた。
今まで祖母の手に触れた記憶は無い。
柔らかい。張りがない。
生命感があまり感じられない。
しばらく経って、隣で所在無げにしている娘に言った。
「ひいおばあちゃんの手を握ってあげて」
娘は嬉しそうに祖母に近づき、両手でその手を包んだ。
「どう?」と聞くと、「やわらか~い」と笑顔で答えた。
祖母は、「ありがとう」と言った。
僕は、「ありがとう」と返した。
娘も、「ありがとう」と言った。
どう伝えようか、なんて考えなくて良かった。
理由も考えなくて良かった。
心の中にある想いは、その5文字に凝縮して乗せることができる。
お見舞いに、と買ってきたカーネーションに目を遣る。
花が僕たちを優しく見守ってくれているような気がした。
僕たちは、生かされている。
花を見ながら、その奥に佇む静かな何かに向けて、ありがとう、と言ってみた。
色んな方のnoteで創作も楽しそうだなあ、と思ってきたので、シロクマ文芸部の企画に応募してみます😆
小牧幸助様
素敵な企画をありがとうございます✨✨✨
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