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【短編小説】灯台へ(冒頭試読)

【あらすじ】
――「これが愛なんだよ」わたしの愛を定義したのは彼女自身だった。
絵を描くことが好きな会社員・知佳は、性に奔放な大学時代の先輩・尚美さんを慕い続けていた。
2人はドライブや読書会などで頻繁に会う仲の良さで、尚美さん自身も知佳との関係のことを「ひとつの檻のなかに閉じ込められた双子の魂」と呼ぶほどだった。
しかし、あるとき尚美さんは男遊びを止めて、ある男性と結婚してしまう。
尚美さんの結婚式で、つい想いを告げてしまった知佳は、夜の街に繰り出すが……。

 十二月の凍てつくような夜気のなかで、その火は小さく揺れていた。
 頬の輪郭が柔らかに照らし出され、火を映す瞳はわたしを見ていなかった。尚美さんはそれを煙草に点けると、すぐに口元から離しながら煙を吐き出した。
「いる?」
 わたしは首を振った。かつて尚美さんにもらって吸い始めた煙草を、わたしは大学卒業とともに止めていた。それなのに、この感情は変わらないままだった。
 寂れた海辺にはほとんど灯りがなく、西の空に浮かぶ月も流れる雲に覆われがちだった。どこまでも広がる暗い海はときおりその光を映して、潮風にたゆたい揺れた。
「あれ、何だろう?」
 水平線近くに、白く光るものがあった。ゆっくりとこちらに向かって動いているようにも見えた。
「船か何かじゃないですか?」
「なんだ、星かと思った」
「あんなところに星があったら、溺れてますよ」
 途中でひどく照れくさい台詞だと気が付いて、語尾が規則的な波の音にさらわれていく。
「えっ、なんて言った?」
「いえ、なんでもないです」
 星も溺れるのだろうか。落ちた星が海に沈んでいくのをわたしは想像した。白い尾を引きながら真っ直ぐに落ちていくのだろうか、それともすぐに燃えつきて見えなくなってしまうのだろうか。
 しばらく、堤防の脇を黙って並んで歩いた。捨てられた空き缶か何かを蹴ったのか、足元で乾いた音を立てた。下の浜辺ではいくつもの薄い波が崩れ続けて、深く呼吸をすると磯の匂いが胸に染みた。
「寒い。そろそろ車に戻ろうか」
 わたしは頷いた。白い息が漏れる。
 こんな風に、尚美さんは時折ふらりと夕方にやって来て、わたしをドライブに誘うことがあった。行先は様々だ。その晩のように寂しい海辺に行くこともあれば、工業地帯の賑やかな灯りを見に行くこともあった。ひたすらに車を走らせるだけのこともあった。
「こんな綺麗な場所、わたしばっかり誘って、彼氏と一緒に行かないんですか?」
 いつか車窓から夜景を見ながら、ふと疑問に思って訊いてみたことがある。
「まあ彼氏と綺麗な場所に行ってる暇があったら、セックスしたいかな」尚美さんはへへと笑って、アクセルを踏みこんだ。「なーんてね。知佳ちゃんと行くのが、わたしは一番楽しいよ」
 彼女の運転は荒っぽく、乱暴でせっかちだった。時々、わたしまだ死にたくないですとこちらが申告しなければ、平気で時速百四十キロは出してしまう。
「こないだセがさ」
 尚美さんが言う「セ」というのはセックスフレンド──セフレ──のフレンドが抜けた存在のことだ。尚美さんはセフレと友達関係になることをあまり好まなかった。あくまでもセックスの相手としての関係を望んでいたからだ。高速道路の人工的な光が次々と後ろへ流れていくなかで、わたしはいつものように相槌を打った。
「やってる最中に『俺のこと好き?』って訊いてきて、本当にぞっとしたんだよね」
「なんて答えたんですか?」
「『はあ?』って答えたら、『いや、そういうのじゃなくて、友達として』ってまごまごしてた。それで、『えっ、友達だったんですか?』ってなって。でも結局、友達になることにしたよ」
「なんか良い話じゃないですか」
「でもさ、友達とセックスするのって、なんとなく気持ち悪くない?」
「どうだろう。わかんないですね」
 尚美さんは「ふーん」と何やら感心しながら、ウィンカーを出して、左に大きくハンドルを切った。
「知佳ちゃんは、最近なんか恋愛面の進展ないの?」
「いえ、特に何も」
「彼氏候補とかいないの? 好きな人みたいな?」
 轟音を立てて、改造バイクが反対車線を走っていった。
「なんていうか、好きって何なんでしょうね?」
 喉に何かが引っ掛かったような声が出た。実際、この感情にどんな名前を付ければいいのか、わたしにはわからない。それに名前を付けた瞬間、汚してしまうような気がしていた。
「えーっ、何その疑問? まあ学生時代はなんかそんなこと色々話したっけ。知佳ちゃんはさすが哲学者だからなあ」
「そんなこと言っても、何も出てこないですよ」
「ちぇ、つまんないの」
 そうやってくちびるを尖らせる仕草は、彼女を急に少し幼く見せた。

(つづく)

委託取りやめとなりました。
最新情報はこちら

残部僅少ですが文学フリマ東京38にて委託頒布します。

400円(文庫/50ページ)
出店名:奔人会
ブース:Y-03(第一展示場)

※筆名変更前の川瀬みちる名義の既刊本になります
※一部組版ミスあり

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