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第四話


幸せな生活が一転

◉夫の独立とバブルの崩壊


バブルの終焉が見え始めたころ、
夫は会社を退職し知り合いと事業を始めたのです。

ちょうどその頃、会社時代の顧客に株取引のことで
裁判ざたが起こってしまったのです。
結局示談になり、こっちもできるだけの補填をする
ということで当時持っていた不動産、財産を
すべて手放すことになってしまいました。

バブル崩壊と共に我が家の生活も
一転してしまったのでした。
この出来事に祖父のことを思い出しました。
何度も同じような風景を
私は見てきたような気がします。
人生とはおもしろいものです。
因果応報とでも言うのでしょうか。
そのため結婚以来ずっと
専業主婦をさせてもらっていた私も
「生活費を稼がないと」
と一念発起して50年続く老舗の空調会社で
事務員として働くことになったのでした。


当時私の年齢は50歳。
50歳の新入社員。
テレタイプの時の初々しさはありませんが、
私には生活がかかっていたのです。

◉阪神淡路大震災


私も働き、夫の会社もやっと軌道に乗り始めて
やれやれと思っていたその瞬間に
あの大震災がやってきたのです。
そうそれは阪神淡路大震災だったのです。
せっかくの事業が暗礁に乗り上げてしまい、
夫の会社も、お客様の会社も
大打撃を受けてしまったのです。

阪神淡路大震災 (写真提供:神戸市)


それでも何とか持ちこたえて
コツコツと再建しつつある中
やっと元に戻ってきたと思った瞬間
今度は、夫が肺がんになってしまったのです。
試練は中々終わってくれません。
夫は、借金だけは自分で会社は後輩に
引き継いでもらうという選択をしたのです。
夫はどこまでもいい人でした。


せっかくでき始めた蓄えが
またすっからかんになってしまったのです。

実家の母に泣き言をいったこともありました
「何で私ばっかりこんな目に…」
「人生というのはプラスマイナスゼロだと
お母さんは思う。人生いい時もあるけど
どこかで苦労をするの。
みちこはその波を知らずに過ごせて
良かったなと私は思って来たけれど
そのマイナスが今、あなたにやって来たのよ」
と言われました。

確かに、戦中戦後もひもじい思いをすることなく
過ごしてきた私。
結婚後もお金で苦労することは無かった私。
この時が人生における一番の試練だった
のかもしれません。

幸い夫は治療の効果により、
病院と仲良くさせてもらいながら
ぼちぼちと主夫をしております。


代わりに私がバリバリ働いて。
いつのまにやらすっかり立場逆転。

一端の事務員から始まって、会社の経理を中心に
事務方を一手に引き受けるようになり併せて社長秘書。
77歳まで役員も務めさせてもらいました。

先代社長が亡くなって、事務方を解る人がいなくなり
現在新社長を教育中です(笑)。

もはや母親の気分の83歳。
この引き継ぎを最後のお役目と思って、
奮闘しております。

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☆〈プロローグ〉 ◉私とは ◉太平洋戦争勃発 
◉日本への引き上げ ◉引き上げ船 ◉祖父の死と父の帰還

☆〈第一話〉 ◉子供時代 ◉高校時代

☆〈第二話〉 ◉大学受験 ◉初めての挫折

☆〈第三話〉 夫との出会いと結婚 
◉夫との出会いエピソード ◉結婚生活

☆〈第五話〉 副業に挫折で83歳の私の稼ぎ方とは 
◉ネットワークビジネスに挫折した私 
◉ネットワークビジネスの問題点

☆〈追伸〉


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