みちこ

Facebook、Instagramに加えてブログをスタート。チャレンジャーな83歳。…

みちこ

Facebook、Instagramに加えてブログをスタート。チャレンジャーな83歳。山あり谷ありの人生録とともに生涯現役を目指す私の思いがあなたの心に触れたらうれしく思います。

最近の記事

追伸

先日、長年連れ添った最愛の (最後くらい最愛と付けておきます) 夫が旅立って行きました。 昨年から少し体調を崩しておりましたが あの悪運の強い夫。 結婚しても麻雀にゴルフと私と息子を まるでシングルマザーの様に陥れた夫。 そうかと思えば罪滅ぼしと思ったのか 優しく様々な所へ連れて行ってくれた夫。 何度も窮地に陥る中、どん底から這い上がってきた夫。 自分が一番苦しいのに 全財産を叩いて周りの人を助けた夫。 人一倍働き者で優しく 誰よりも責任感が強かった夫。

    • 第五話

      副業に挫折で83歳の私の稼ぎ方とは?◉ネットワークビジネスに挫折した私 社員旅行で利用していた旅行会社の営業部長さん。 長年の付き合いで、家のことなんかも話すようになって 夫の病気のことを話していた そんなあるとき 「ガンに良いよ」 とサプリを勧められた私。 今振り返ると無知というのは本当にこわいと考えます。 しかしその時は藁にも縋る思いで 言われるままに概要書面にサインしている 私がいました。 おまけに 「権利収入が入るよ」 って何やらおいしい、そして怪しいことも お

      • 第四話

        幸せな生活が一転◉夫の独立とバブルの崩壊 バブルの終焉が見え始めたころ、 夫は会社を退職し知り合いと事業を始めたのです。 ちょうどその頃、会社時代の顧客に株取引のことで 裁判ざたが起こってしまったのです。 結局示談になり、こっちもできるだけの補填をする ということで当時持っていた不動産、財産を すべて手放すことになってしまいました。 バブル崩壊と共に我が家の生活も 一転してしまったのでした。 この出来事に祖父のことを思い出しました。 何度も同じような風景を 私は見てきた

        • 第三話

          夫との出会いと結婚◉夫との出会いエピソードなぜだかわかりませんが 先に父がその証券会社の課長と友達だったのです。 その父がまた余計なことをやらかしたのです。 あの高校時代の長い長い巻き手紙を 思い出させる出来事。 「うちのみちこに、誰かいい人いないか」 私のいないところでそんな勝手な行動に出た父 そんなこととはつゆしらず、 テレタイプに勤しむ私のもとに 「わしの部下にいいのがいるよ」 と紹介されたのが6歳年上の今の夫だったのです。 最初は何のことだかわからなかったのですが

          第二話

          ◉大学受験国語は全くだめでしたが、 当時好きだった体育か社会科の 高校教師になりたいと思っていた私は 教育系の大学を志望していたのでした。 社会科では特に歴史が好きだった私。 仁徳天皇陵古墳の写真をみて 感動したのを覚えています。 あの独特なフォルムを見た私は 「いつかこれを見てみたい。」 と興奮したのを覚えています。 それをクラスメートに話したら 「そこに行ってその形が見られるか」 なるほどと思った私がそこにいました。 確かに上から見た写真。 行ってもそんな形で見られる

          第一話

          ◉子供時代家業は色々あったようですが、 自分の中では普通の小中学生だった気がします。 まあまあ優等生でしたよ。自称(笑) 日本舞踊と習字を習っていた私。 日本舞踊は花柳流。 熱心にお稽古しました。 引き上げ船の中でも踊った私。 もしかしたら私は踊るのが好きかもしれません。 長年通うスポーツクラブでもエアロビクスにハマるBBA そのせい? お習字の先生に 「字が踊っているね」 って言われたことを思い出します。 篆書みたいな大きな字を書くのが好きでした。 大阪に長く住み

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          本日5月17日 私はめでたく83歳。 (83歳 何がめでたいww) 好奇心だけは若い方に負けない。 まだまだイマドキを学びたい。 そう思いながらネットを学んで、 ネットで仕事をしているおばあさんです。 自宅でネットで働いています。 そして、なんと今でも現役会社員! なぜ83歳にもなってそんなことができているのか? その方法とは? 私のこれまでの長い人生とともに、 みなさんにお届けできたらと思っております。 ◉私とは私、みちこは1941年5月 満洲国奉天省 奉天市(現在の中国

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