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大切な人を自殺で亡くして思うこと⑤

それから私はやっと、自分が元気になることに少しずつ許可を下ろせるようになりました。なんとか水を飲み、少しでも食べて、自分が生きることを助けました。自分よ、母の子よ、アツ子さんの娘さんよ…元気を取り戻して、この物語の続きを楽しい方に作っていってあげよう。それをがんばろう。そんな思いでいるうちに、徐々に顔を上げられるようになったのです。それまでは、自分が回復することすらひどく冷酷なことだと思えていましたが、それがひっくり返ったのでした。

そこから今日まで、何かを楽しむことを自分にゆっくりと許してきました。音楽を聴くことがなぜか難しかったのですが、それも楽しめるようになりました。

私は、この命を謳歌することが自殺遺族としての自分の務めであり、人の子としての生涯の義務だと思っています。私はこのようにして、あえて自分にタスクを課すことが、ひたすら自由で責任もなく暇であるよりも、心の回復に役立つということを体験しました。

私は母が亡くなったことで、親の死というものがどれほどのインパクトを持つものなのかを身を持って知りました。それを知らなかったそれまでの自分は、死にました。だから言いようによっては生まれ変わったということでもあり、生まれ変わって目が覚めたら、自分は実に、本当に、改めて、先祖を持つ存在だった、人の子という存在だった。という感覚でした。それが、親が死んでみなければ本当にはわからないことだったのです。母が残して自分の手に渡してくれたものを、粗末にしてはいけないと思いました。

私はこのような経過をたどって、母を亡くしてから数ヶ月をかけて、激しい落ち込みから、食べたり寝たりができるようになり、ゆっくりと身体の感覚が戻り、これを書こうと思えるところまできました。

そのあいだ、家族と、妹には命を救われたと言っても過言ではないほどの淡々とした献身的な助けをいただきました。それから、友人のたでひろこさん、大島ケンスケさん、それから前夫にも無償の救助をしていただきました。みんな、本当にありがとう。

妹の励ましの中で最も印象に残ったのは、LINEで送ってくれたこの一言でした。

”人はみな、可哀想なところを漂わせて生きているものだから…”

それを読んだときに、本当にそうだと思いました。誰がどんなに嬉しそうにはしゃぐ姿だって、100年経ってから見てみたら、きっと微笑ましく、また同時に、なぜか哀れなものなのです。あらためて深く深く、我ら人間って、愛しく、また哀れな存在なのだと思いました。私はこのとき、心の底から、母や自分がこれまでもこれからも、哀れな存在であっても良いのだと思いました。

私たちは、完璧に元気で、憂いもなく、やる気しかなくて、毎日キラキラ嬉しいことしかないような、そんな生物ではないのですね。みなどこかに哀れむべきものがあります。それが自然というものですね。

自然は私にとって、厳しく、哀しく、切なく、微笑ましく、儚く、力強く、一言で表すことのできないものです。そんな自然界にあるこの世のなにもかもが、切り離すことのできない縁でつながっています。その中で起きたことについて原因の追及をしたら、どこまでも果てしなく、キリのないものですもんね…

だから、私は自然にかえった母のことを、哀しく、切なく、微笑ましく、儚く、力強い、一言で表すことのできない、私にはわかり得ないものだと思うことにしました。母の人生は幸せだったし悲しかったし嬉しかったし、哀れだったし、自然のように奥深くて、私にはわかり得ないもの。それが答えだと思うことにしました。そうしないと、無限に質問が湧いてきてしまうから。

おっかあ、足りない愛しか向けられず、何もしてやれず、そばにいたのに孤独にして、助けられず、本当にごめん。おっかあ、悲しくてまださようならとは言えないけど、元気で生きるよ。食事を作ってくれて、お弁当を作ってくれて、いろいろ縫ってくれて、なにもかもぜんぶ、ありがとう。この世で誰よりも大切だった最愛の母に、心底からのありがとうを伝えたい。そして、本当にごめんねと、自分は大丈夫だと、今後の自分ことは任せてくれと、伝えたい。おっかあの子は、人生を楽しめるやつだからさ。悲しむだけじゃ終わらないからよ、心配しないでくれな。そんな思いを忘れずに、できる限り、誰かを労って生きていこうと思います。

私は、大切な人を自殺で亡くされて自責の念に苦しむ方に、元気を出そう、とは言えません。簡単に元気なんか出ない。なんなら、一生元気なんか出すものかと思ってしまうのだから。それに、悲しむなとも言えないし、その大切な人の死について、関わりのないことだとか、自分のせいではないと考えられるようになろうとも言えません。自分のせいだという思いが、どうしても心から消せないものだと思います。

でもそれは、そう思いたくなくても、心がひとりでにそう考えてしまうことだから、あなたがおかしいのではないと伝えたい。そんな自分の反応を、仕方ないと考えて、許してあげてほしいのです。

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)