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番外編:想定外はいつも隣…⑦

母との面会を終え、兄も埼玉へ戻っていきました。
2月最初の日曜日、午前中、仕事を終え、スマホを見てみると着信が…。
着信画面に「日赤」とあるのを見た瞬間、
いつも通り、一気に鼓動が早まりました。
「なに?」
「何があったの?」
「日曜日に何?」
これもいつも通り…。
様々な想像が、頭の中を駆け巡りました。

急いで、電話をかけ直しました。
担当看護師さんに繋がるまでドキドキが止まりませんでした。
すると、電話口の看護師さんから返ってきた声は、
私の心配に反して、明るい声でした。
「実は、明日からコロナの規制が一部緩くなり、
個室に限り面会が出来るようになるかもしれません。
個室が空いたら、お母様、移されますか?」

それは、以前から頼んでいたことでした。
明日から面会できるようになるかもしれない!
さっきまでの、嫌なドキドキは一気に吹っ飛び、
私を包んでいた重たい空気も、あっという間に消え去りました。
「はい、よろしくお願いします。教えて頂き、ありがとうございます。」
看護師さんにお礼を伝え、電話を切りました。

嬉しいことは続きました。
翌朝、日赤のケアワーカーの方から電話があり、母の転院が決まりました。
2月13日、月曜日とのことでした。
転院先は、先日、家族面談を行った病院で、
我が家からは徒歩でも行ける場所にあります。
ホッとしました。
そして、面談の時に話に出ていた「経鼻栄養」のことが
一気に現実味を帯びてきました。
「ぜったいにやってもらおう!きっと上手くいく!」
私の良くも悪くもある「お気軽」な部分が、そう言っていました。

その日の午後、病院へ行き、面会してきました。
面会時間は30分。
ナースステーションで、名前を記入し、検温をしました。
初回だったので、部屋まで案内してもらいました。

明るい個室で、母は目を開けていました。
右腕には、中心静脈点滴、鼻には酸素カニューレ、そしてモニター。
母は、ボーッとした感じではありましたが、
声を掛けると、「あー、あー」と時折、声を出していました。

30分だけ面会が出来るようになったこと。
転院が決まったこと。
経鼻栄養という方法があること。
転院先の担当医が母の好きなイケメンなこと。
兄とお節料理を食べたこと。
母が漬けた梅を兄が持って帰ったこと。
親戚が母のことを心配してくれていること。

いろいろなことを伝えました。
持参したフランキンセンスのエッセンシャルオイルを使って、
母の手のひらや、顔をマッサージし、伸びてしまった髪をブラシでとき、
ついでに頭部も指でマッサージしました。
足元も気になったので、布団をめくって驚きました。
カサカサに乾燥し、ジュクソウこそ出来てはいませんでしたが、
際限なく、皮がボロボロ剥がれてきました。
足を動かすことで、その角質(皮)が剥がれ、
布団の上にボロボロと散らばっていました。
温かいお湯につけてあげたい…そう思いました。
でも、それは叶わぬことなので、翌日からボディーバターを持って行き、
塗りたくってマッサージしていたら、少し改善したように思えました。

30分は、あっという間です。
毎日毎日、面会に訪れました。
意外にも、私以外に面会に訪れる家族はいないようで、
面会者が記名をするノートには、私の名前ばかりが並びました。

水曜、面会に訪れると、なんだか部屋が静かな気がしました。
あれ?
ふと気づくと、ベッドの側にあったモニターがなくなっていました。
鼻の酸素カニューレも外されていました。
調子いいの?

肝心な母の様子はというと、これは相変わらずでした。
目を開けたかと思うと、あっという間に眠ってしまったりする日もあれば、
妙に力強く手を握り返してくる日もあったり…。
面会最終日となる日曜日は、30分の間、ずっと起きていてくれました。

転院が決まったことは、もちろん良いことなのですが、
あちらの病院は、いまだに面会が許されていません。
母にこうして会えるのは、残すところ翌日の移動時のみです。
そのことも伝え、何度も握手をして、最後の面会日を過ごしました。

2月13日、転院の朝、約束の時間より早めに病院へ出向き、
会計など様々な手続きを終え、介護タクシーで転院先病院へ向かいました。
今回は、ストレッチャーのまま乗れるタイプの車でした。
入院中、母は病院指定の寝間着で過ごしていたため、
この日、私が持って行ったパジャマにカーディガンという姿でした。
母は、眠っていました。
移動時間は、ほんの10分ほどです。
転院先の病院では、コロナのため面会が出来ないため、
もう、母と話すことは出来なくなります。
私は、なんとか母の目を覚まそうと、手を握り、話しかけていました。
何度か目は覚ますものの、またすぐに眠ってしまう…そんな状態でした。

病院へ到着し、受付を済ませ、待合室で待っていました。
ストレッチャーに寝かされたままの母も一緒でした。
ふと、母を見ると、目を覚ましていました。
自分の置かれた環境の変化に気づいたのでしょうか?
ついさっきまで、すぐに目を閉じてしまっていたのとは違い、
ずいぶん長いこと、目を開け、あちこちを見ているようでした。
「おかあさん、病院へ着いたよ。今日からここに入院するんだよ。
しばらく会えないけど、頑張ってね!」
耳元でそう伝え、いつも通り、手を握っていました。

少し経つと、担当の看護師さんがみえ、病室へ運ばれて行くことに…。
「では、これから病室の方へお連れしますので」と、
看護師さんが言われたので、もう一度、母に声をかけました。
「大丈夫だよ。私は大丈夫。」
それは、常に私のことを心配している母の気持ちを思って掛けた言葉です。
ずっと目を開けていた母に、小さく手を振り別れました。

その後、ケアワーカーの方に連れられ、再び、担当医と面談しました。
先日の面談の時に提案された経鼻栄養を試したいと伝えました。
先生は、何故か少し笑いながら「やってみますか?わかりました。」
と、言われました。先生の、その笑いが何だったのか…。
生きることに貪欲であることなのか、諦めが悪いことについてなのか…。
でも、そう思われても構いません。
はい、私は諦めが悪いのです。
なので、私も笑顔で「よろしくお願いします」と、答えました。

その後、介護士の方、看護師の方、とも面談を行いました。
普段、母がどんな生活をしていたのか?
どんな音楽が好きで、どんなテレビを見ていたかとか、
趣味とか、特技とか…。
演歌とかは好きではなく、時代劇も見ない。
福山雅治さんと、郷ひろみさんが好きで、嵐も好き!
テレビは「相棒」とか「科捜研」が好き!
そんな話をすると、相手の方はかなり驚いてみえました。
きっと、思ってもみない回答だったのでしょう。
なんせ、96歳のお婆さん(母はこう呼ばれるのが嫌いです)ですから。
「うかがって良かったです。驚きました」と笑顔で言われ、
和やかな雰囲気で面談を終え、私は帰宅しました。

こちらの病院では、まだ面会が許可されておらず、その代わりに
タブレット面会が実施されています。
タブレット面会は、予約制で、1週間に1回ということで、
帰宅後、さっそく電話を入れ、18日3時に予約しました。

2月14日、転院翌日の昼過ぎ、病院から電話がありました。
担当医からの電話で、経鼻栄養の処置を行ったとのことでした。
血液検査の結果、腎臓と肝臓の機能が落ちていて、
これは中心静脈によるとも考えられるので、
本来ならば、最初は中心静脈と経鼻栄養を併用して行い、
徐々に経鼻栄養へ切り替えてゆく予定だったが、
一度、中心静脈ではなく、普通の静脈点滴を実施するとのことでした。
こちらとしては、先生のお任せするしかないので、
ただ、「よろしくお願いします」としか言えません。

が、その後に告げられたことは、思ってもみなかったことでした。

「実は、入院患者さん全員に検査を行うのですが、
お母さん、コロナ陽性でした。」

えっ!?
まさかの言葉でした。

「ただ、熱もなく、風邪の症状もないのですが、判定された以上、
隔離ということになり、限られた回数しか病室に出入りできないため、
治療が少し遅れることをご了承ください」とのことでした。

えっ!?
コロナ感染!?

高齢で、しかも基礎疾患があり、ましてや身体が弱っている状態での感…。
どうなの?
どうなっちゃうの?

そんな思いが一気に脳裏に駆け巡ると同時に、
えっ?じゃあ、私は?

転院するまで毎日30分の面会をしていた私はどうなの?
耳が遠い母に話しかけるために、いつも思いっきり近づいていたけど…。
えっ?私は大丈夫?

すぐさま、熱を測ってみましたが平熱。
でも、症状が出ない人もいるので、調べなくては!
いろいろ調べて、まずは抗原検査キットを購入しました。
日本製であること、精度が高いことを条件に、ネット購入したので、
到着は2日後。
その間、出来るだけ外に出ないようにしようと思い、
すでに会う約束があった方には、キャンセルさせてもらいました。

2日後、届いた検査キットで調べたところ、
「陰性」。
念のため、もう一度、調べてみましたが、やはり「陰性」。

ホッとはしましたが、いったい母はどこからもらったのでしょう?

「何か変わったことがあれば、電話でお知らせします。」と、
言われていましたが、その後、病院からは、何も連絡がないまま
1週間が過ぎていきました。

何も連絡がないのは、大丈夫だということ。と、自分自身に言い聞かせ、
毎朝、仏壇に手を合わせ、母の回復を願っていました。

2月21日午後、母の様子を聞くために病院へ出向きました。
転院した日の面談で、患者の様子を知りたいときは、
電話では答えられないと聞いていたし、
日赤でも、訪ねてゆくと担当の看護師さんが、
その日の様子を話してくれたからです。

受付で用件を伝え、待っていると、
看護師さんがみえましたが、何も聞くことはできませんでした。
担当医からしか、病状は話せないとのことで、担当医は不在でした。
ガッカリした様子が、彼女に伝わったのからでしょうか、
「私からお話しすることは出来ないのですが、
何かあれば、すぐにご連絡するので、
連絡がないと言うことは、大丈夫だとお考えください。
担当医には、連絡するように伝えておきます」とのことでした。

翌22日、朝、先生から電話がありました。
今朝のことです。

コロナによる隔離期間が今日で終わるので、明日から通常治療に入ること。
経鼻栄養によるトラブルは今のところなく、徐々に量を増やしていくこと。
腎機能、肝機能の数値も改善されてきていること。
タブレット面会も予約可能になること。
コロナに関しては、発熱もなく、何も症状はなかったとのこと。

どれもこれも嬉しいニュースばかりでした。
まだまだ楽観視はできないことはわかっていますが、
今日は、この知らせがことさら嬉しく感じました。

今日、2月22日は、母の誕生日です。
今年初め、延命という決断を下さなければ、
迎えることが出来なかった誕生日。
そう思うと、とても感慨深いものがあります。

今日、母は無事に97歳を迎えることが出来ました。
お母さん、誕生日おめでとう!








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