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感謝の対義語は当たり前の話

感謝の対義語は当たり前。慣れてくるといろんなことが当たり前になってしまう。でも、今生活してることや、今過ごしてることっ今一緒にいてる家族、友達、パートナーって本当に当たり前になのか?当たり前すぎてそれすらわからないこともある。もう言わなくてもわかるやろって思っていても、相手には伝わらない。結局他人だから察してとか、わかるでしょっていうのはできないことなんだなって最近改めて思いました。いなくなって気づくようでは遅い。こんなに大事だったんだって。それはいることが当たり前になっていたから。感謝しないと。当たり前じゃないから。一緒にいてくれてありがとうってちゃんと言わないといけないなって。長くいればいるほどいえなくなるけどちゃんと言わないとお互いのことなんてわからないもんな。

言いたいことは言わないとと思うけど、私はあんまり言えない性格で
(大事なことはあんまりちゃんといえない、なんでここだけ大人しいのか不明。他のことなら言えるのに)
、溜めて溜めて爆発してしまう。小出しにしようと思うけどなかなかいえない。

これはきっと相手はきっとこう思ってるに違いない。って自分で勝手に判断落ち込んでしまう。相手のことなんて何にもわからないのに。わかる方法は相手に聞くしかないのに。相手は絶対怒ってるって思っていても実際怒ってないことも多い。勝手に推測して判断して落ち込む。これぐらいしてくれて当たり前なのにしてくれないのなんでなんとか。これも全部自分の中の価値観のせい。自分の当たり前は他人の当たり前じゃない。他人の当たり前の自分の当たり前じゃない。当たり前って思ってる時点で感謝がないね。そんなことわかってるのにできない私がいてます。勝手に怒って悲しくなる私がいてます。今日も健康で過ごせてありがとう。いつも一緒にいてくれてありがとう。いつもnote見てくれてありがとう。色々感謝できる人になれるように頑張ります。そうすると無駄に怒ることはなくなる気がする。

どうせ過ごすなら楽しい方がいい◡̎⃝

今日も最後まで読んでくれてありがとうございました。

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