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自分自身は特殊であると思ってるの話


どうも私たちは他人が客観的に見るよりも、自分自身のことを特殊であると考えていまう傾向にあるようです。
例えば、同僚がうまくやってる話を聞かされた時に、「自分の場合は事情が特別だ」と考えたら、本を飲んでも、「教科書的な一般のことはわかるけど、自分のような特殊なケースにはあてはめにくい」特に他人から「こうしたほうがいい」など指摘されると「自分の場合は違う」と感じて反論したくなる性質があるようです

柔らかい頭の作り方  細谷 功

私たちは自分のことをどうしても特殊だと思ってしまう。いい意味でも悪い意味でも他人とは違う。普通のひとではない。特別な人になりたいんだ。あなたとは違うから。など。他人のことは客観的に見れるのに自分のことになると全く客観的に見れなくなるもの。自分には当てはまる、当てはまらないとか勝手に決めてしまうと色んな可能性も無くなってしまう気がする。
(元々自分の視点でそれもよくわからん判断してるからな。)
自分に当てはまらないからやらないとか、話聞かない。それは私とは違うのでとかそんな思い込みで可能性をなくしてしまうのは勿体無い。やってみて話聞いてみてからでも判断するのは遅くないかもしれない。自分の判断ってあんまり当てにしない方がいいのかもしれないし。他人からの助言ほど当たるものはない。
(あのひと辞めた方がいいよって言うことはほとんど当てはまってるし。恋は盲目で見えてへんしな)

円滑に人間関係を築くには、「人は自分と同じように特殊な存在でオンリーワンな存在であることを認識していくことで人間関係がうまくいく」そうである。
あなたならできるとか、そんな大変な思いをあなたはされてきたのですね。とかだってみんな自分が特殊だと思ってるから、私一般人で普通なんですっていう人は聞いたことないし、多分いないと思う。だからみんな特殊で特別でオンリーワンな存在だと思ってる。「あなた」を強調してあげることが大切だし、本当に私のことを思ってくれてるってなる。
私は相手の名前を呼ぶことを意識してる。名前ってみんな一番好きだし、呼ばれると私は嬉しいから、名前を無駄に読んでると思う。でもそれで怒られたことはないし、怒ることもない。名前を呼ばれるってことも自分が特殊って思われるから嬉しいのかもしれないですね。

どうせ過ごすなら楽しい方がいい◡̎⃝
最後まで読んでくれてありがとうございました

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