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好き、嫌いの反意語は無関心。成功、失敗の反意語は行動しないの話

「好き」の反意語は「嫌い」。でも、好き嫌いも対象者へ関心があるという意味では同意語になるらしい。そしてその反意語は関心がないから「無関心」になる。
嫌いな人ってすごく嫌いだけど、なんか目についていまう。言動とか全て、することなすことイライラしてますます嫌いになる。でもこれってその嫌いな人への関心めっちゃない?どんなけ見てるねん、ってぐらい見てる。
職場でも揚げ足とるように小さいことまで指摘してくる人、意地悪なひと、暇なんか、他にやることあるやろって言いそうになりますが。
(心の中では思いっきり言ってますけどね。たまに口から出ることももちろんあります)
そこまで行動を見てくれて関心持ってくれて嬉しいわ
(心にもないこと言うな)
私なら嫌いな人は関わりたくないから関わらない、できるだけ話さない、すーっていく。だから好きの反対は無関心になるのはすごくよくわかります。関わっていいことないし、その人に嫌いっていう感情すら持ちたくない。一緒の世界にいたくないなって。シャットダウン。

好きな人への関心と同じぐらい、嫌いな人への関心あるって逆にすごいなって思います。それだけパワーを使ってるってことやもん。まぁ無駄なパワーやけど。それなら好きな人へに使ったほうがみんな幸せに過ごせるのにな。

これと同様に「成功」「失敗」は行動してるという同意語とするなら、「何もしない」が反意語になる。ずっと成功も失敗もしない状態が続いてるから。成功も失敗も行動しての結果。行動しないとずっと結果はない、成功も失敗も。失敗の言い訳したくないから行動しない人は絶対成功もしない。
でも大体人がやろうとしてくることにいたもんつけてくる人って何にもしてない人が言ってくる。
「そんなんやめとき」「絶対成功しないって」「意味ないって」「今のままでいいと思う」とか何にも行動してないほどそんなことを言ってくる。やってもないくせに勝手に言わんといて。せめて成功とか、失敗した経験者が言ってくれたら理解できるのに。経験者は多分そんなこと言わない。とりあえずやってみたらって言ってくれると思う。だってその人は行動した人やから。
とりあえずやってみよう精神の私は人の意見は基本ききません。
(聞かへんのかい)
だって聞いても否定しかされへんから。自分の決めたことは自分で責任をとるから。とんでもない犯罪とか詐欺とか巻き込まれそうにならへん程度なら自責で行くほうが楽ちん。他責することは楽やけどなんにも面白くない。自責で行くから覚悟もあるし本気でできる。
どうせ過ごすなら楽しい方がいい◡̎⃝
最後まで読んでくれてありがとうございました。

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