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第十一の粘土板 遥かなるウトナピシュティム、大洪水と箱舟

 ウトナピシュティムは、妻を呼んで椅子を用意させた。ギルガメシュは、話が長くなりそうだと思い、勧められるまま椅子に座った。庵の裏庭で、木の机を挟んで二人は座り、互いに見つめ合った。神性が高く、神々に匹敵すると感じられた。人ではあるが、人ではない。
 ギルガメシュは、遥かなるウトナピシュティムに言った。
 「ウトナピシュティムよ。そなたを眺めていると、そなたの姿は、我がそなたであっても違いはない。あるいは、我がそなたであっても違いはない。我はそなたを闘志に満ちた者と考えていた。しかるにそなたは椅子に背をもたれて、為す事を知らぬ。語りたまえ、いかにして尽きる事がないズィを求め、神々の集いに加わったかを」(注49)
 ウトナピシュティムはギルガメシュに向かって言った。
 「ギルガメシュよ、これまで語られた事がない秘事を明かすとしよう。そして神々の秘密について話そう。シュルッパクの町は、そなたも知っている町だが、ユーフラテスの河岸に位置している。それは古い町で、古の神々が住んでいた。そして洪水が起きたのだ」(注50)
 その話は聞いた事がない。ギルガメッシュが生まれる遥か昔の事だろう。
 「そこにいたのは神々の父たるアヌ、神々の助言者たるエンリル、神々の代表者ニヌルタ、神々の水路監督者エンヌギ、ニニグク、そして水神エアも共にいた。神々は、自らの言葉を葦屋に向けて叫んだ」(注51)
 いずれも古い神々だ。大洪水前の世界では、力があったのかも知れない。
 そしてウトナピシュティムは幾分、演技掛かった声で言った。
 「葦屋よ、葦屋よ、壁よ、壁よ、葦屋よ、聞け。壁よ、考えよ。シュルッパクの人、ウバラ・トゥトゥの息子よ。家々を打ち壊し、その木材で、箱舟を造れ。持物を諦め、汝のズィを求めよ。家財を諦め、汝のズィを救え。全ての生き物の種子を船へ運び込め。汝が造るべきその箱舟は、その寸法を定められた通りにしなければならぬ。その合間とその奥行は等しくせねばならぬ。アプスーを覆い被せる様にせよ」(注52)
 ギルガメシュは、アスプーを見た事がない。だが冥界にある原初の深淵と聞いている。
 「その時、私も神々の声を聞いたので、エアに向かって言った。見よ、エアよ、貴方が言われた事を私は謹んで行います。だが私は、町の人々や長老達に何と答えましょうか」(注53)
 どうやら水神エアが、ウトナピシュティムの個人神である様だった。
 「エアは口を開いて私に語り始めた。お前は彼らに話すがよい。エンリルが私を心よく思わぬ事を知ったので、私は貴方達の町には住めなくなったし、エンリルの領地に私の足を置く事もできない。アプスーへ行き、エアと共に住むのだ。彼はお前達に豊かさを降り注いでくれるだろう。鳥や魚の隠れ場所などをもたらすだろう。国土は豊かな実りをもたらすだろう。お前達に穀物を降り注ぐだろう。曙光と共に、土が私の周りに集められた」(注54)
 エンリルが洪水を起こすので、ウトナピシュティムは箱舟を造って、逃れようとした様だ。
 「小さい者達は、瀝青を持ち、大きい者達は、必要な物全てを運んだ。五日目に私は箱舟の骨組みを築き上げた。その表面面積は一イクー、その四壁の高さはそれぞれ十ガル、その覆い板の幅はそれぞれ十ガル。私は箱舟に形を付け、その姿を描き出した」(注55)
 ガルとは長さの単位で、肘から中指の先までの長さ(肘尺)を十二倍にした単位だ。一ガルは、成人男性約三人分の身長となる。十ガルともなれば、約三十人分の長さになる。
 四壁が十ガルで、蓋をした板の幅が十ガルならば、大きな正立方体となる。文字通り箱舟で、いわゆる船の形はしていない。巨大な木の箱だ。そこに人や動物が入る様だ。
 「箱舟の中に六つの覆い板をつけ、七つの場所に床面を分けた。その床面を九つに分けた。木栓を床面の真ん中に嵌め込んだ。私は船柱を探し求め、入用なものを足した。六シャルの瀝青を私は竈へ注ぎ込んだ」(注56)
 箱舟には七掛ける九で、六十三の隔壁で分けられた小部屋がある事になる。
 「三シャルの瀝青を箱舟の内部へ注ぎ入れた。三シャルの油を籠運び達が運び込んだ。別に一シャルの油を防水用に費やし、二シャルの油は、漕ぎ手が貯えておいた」(注57)
 箱舟の外面と内側に、防水用のアスファルトを塗った様だ。
 「私は人々のために牛を殺した。羊も日ごとに殺した。葡萄の汁、赤葡萄酒、油、それに白葡萄酒を、スープを、人々に飲ませた、川の水も、まるで正月の様に、たらふく飲める様に、塗油の袋の口を開いて私の手に注いだ。第七日目に箱舟は完成した」(注58)
 脱出のため、長い航海に備えて食料を確保した様だ。
 「箱船の進水は困難だった。重心を下げるため、床板を動かさなければならなかった。やっと船体の三分の二が水中に入った。私の持物の全てを床板に置いた。私の銀の全てを床板に置いた。私の金の全てを床板に置いた。私の持てるズィあるものの全てを床板に置いた」(注59)
 船底に重しを置いて、水上で船の重心が高くなるのを防いで、船を安定させた様だ。
 「私は家族や親族を全員、船に乗せた。野の獣、野の草木、全ての職人達を船に乗せた。シャマシュは時を定められた。そして宣言した。朝には喜びの陽射しが、夜には苦しみの雨を降らすのならば、箱舟に入って戸口を塞げ」(注60)
 いよいよ町から出るため、人々が箱舟に乗った。そして洪水が起きるのを待つばかりとなった。四角い箱舟はユーフラテス川に浮かんでいる。そしてウトナピシュティムは言った。
 「ついにその時はやってきた。私は天気の様子を眺めた。天気は凄まじかった。私は船へ入り、入口を塞いだ。船に瀝青を塗り籠める者、船乗りプズル・アムルに命じて、中味もろとも船体から引き離した。光輝く頃になると、空の果てから黒雲が立ち上がった」(注61)
 黒雲が来て、雷雨が迸る。箱舟は増水した川に浮かび、揺れている。
 「アダドは、その只中で神鳴をならした。シュルラットとハニシュは真っ先を行く。先触れとして山々を、国々を行く。ネルガルは、船柱をなぎ倒す。ニヌルタは進み行き、水路を溢れさせる。神々は、炎を取り上げ、国土はその輝きによって燃えさかる」(注62)
 アダトは天候を操る神の一人で、エンリルの配下だ。シュルラットとハニシュは、アダトの使いで、風神雷神と言ったところだ。
 「アダドに対する恐れは、天の頂にまで達した。彼こそ光を闇へ戻した者、広い国土は、壷の様に打ち壊され、一日の間台風が吹いた。吹きつのり、速さを増し、戦いの様に、お互いを見る事もできず、人々は天からさえ見分けられなかった」(注63)
 大洪水となり、激しく揺れる箱舟の中で、人々は互いに抱き合った事だろう。
 「神々は洪水に驚き慌て、退いてアヌの天へと登って行った。神々は犬の様に縮こまり、外壁に身を潜めた。イシュタルは女の様に叫び喚いた。声よき神々の寵姫であるイシュタルは、高らかに声を張り上げた」(注64)
 あまりの洪水に、神々でさえ恐れた様だ。ウトナピシュティムは、その時、女神イシュタルが思わず口走った事を伝えた。
 「見よ、古き日々は粘土に帰してしまった。わらわが神々の集いで禍事を口にしたからだ。なぜ口にしたのだろう。わらわの人間達を滅ぼす戦いを言い出したのだろう。わらわこそ人間達を生み出した者であるのに、魚の卵の様に彼らは海に満ち満ちたのに」(注65)
 大洪水は神々でさえ、動揺させた様だ。
 「神々は、彼女と共に泣いた。彼らの唇はすっかり乾き、六日六晩に渡って、風と洪水が押し寄せ、台風が国土を荒らした。七日目がやって来ると、洪水の嵐は戦いに負けた。それは軍隊の打ち合いの様な戦だった。海は静まり、嵐は治まり、洪水は引いた」(注66)
 ようやく嵐は過ぎ、水面は凪いだ。だがまだ水は引いていない。
 「空模様を見ると、静けさが占めていた。そして全ての人間が粘土に帰っていた。平屋根と同じ高さに草原があった。蓋を開くと光が私の顔に射した。私は漕ぎ下り、座って泣いた。涙が私の顔を伝わって流れた。私は水平線の果てに岸を認めた。十二の場所に陸地が現れた。ニシル山に箱舟は留まった。ニシルの山は、箱舟をとらえて動かなかった」(注67)
 水が引き始めると、箱舟は山に乗っていた様だ。
 「一日目も二日目もニシルの山は、箱舟をとらえて動かさなかった。三日目も四日目もニシルの山は、箱舟をとらえて動かさなかった。五日目も六日目もニシルの山は、箱舟をとらえて動かさなかった。七日目がやって来ると、私は鳩を解き放してやった」(注68)
 鳥を放って帰って来なければ、近くに陸地がある事になる。
 「鳩は立ち去ったが、舞い戻って来た。羽を休める場所が見当たらないので、帰ってきた。私は燕を解き放してやった。燕は立ち去ったが、舞い戻って来た。羽を休める場所が見当たらないので、帰ってきた。私は大烏を解き放ってやった。大烏は立ち去り、水が引いたのを見て、ものを食べ、ぐるぐる回り、カァカァ鳴き、帰って来なかった。そこで私は四つの風に鳥の全てを解き放し、犠牲を捧げた」(注69)
 とうとう人が住める陸地を見つけた様だ。
 「私は山の頂きにお神酒を注いだ。七つの酒盃を私は置き、その台の上には葺と杉の木と香木テンニンカを置いた。神々はその香りをかいだ。神々はその好ましい香りをかいだ。神々は蝿の様に犠牲の施主の許に集った。さてそこに女神イシュタルがやって来て、アヌが彼女を喜ばすために造った、立派な金銀細工を取った」(注70)
 犠牲を捧げれば、神事となる。そしてウトナピシュティムは、天空神アヌの言葉を伝えた。
 「神々は我が首にかかる宝石ほどにも忘れもしない。この日々を心に留め、決して忘れはしまい。神々よ、犠牲の方へ来て下さい。エンリルは犠牲の方へ来てはならぬ。なぜなら考えなしに洪水を起こしたからだ。そして私の人間達を破滅に委ねたからだ」(注71)
 だが結局、大気神エンリルがやって来て、箱舟を見ると、エンリルは腹を立てた様だ。神々に対する怒りで満たされ、エンリルはこう言ったとウトナピシュティムは説明した。(注72)
 「生き物が助かったというのか。一人も生きてはならなかったのに」(注73)
 すると神々の一柱ニヌルタは口を開いて、勇ましきエンリルにこう言ったらしい。
 「エア以外の誰がそんな事をたくらもう。エアだけが全てを知っていたのだから」(注74)
 水神エアも口を開いて勇ましきエンリルにこう言った様だ。
 「勇ましい貴方が、なぜ考えなしに洪水を起こしたのだ。罪ある者には彼の罪を、恥ある者には彼の恥を、だが彼のズィが絶たれぬよう寛大たれ。彼が逐われぬように我慢せよ。洪水を起こす代わりに、人間を減らすようライオンを立 ち上がらせればよかったのに。洪水を起こす代わりに、人間を減らすよう狼を立ち上がらせればよかったのに。洪水を起こす代わりに、国土が旱魃するように飢饉を起こせばよかったのに。洪水を起こす代わりに、人間を打つためにイルラを立ち上がらせればよかったのに。大いなる神々の秘密を、明らかにしたのは私ではない。ウトナピシュティムに夢を見せたら、彼は神々の秘密を解き明かしたのだ。さて今や彼のために助言をしてやるべきだ」(注75)
 大洪水とウトナピシュティムの不老がなぜ結び付くのか、いよいよ説明される。
 「そこでエンリルは、箱舟の中へ入って行った。私の手を取って私を乗船させた。私の妻を乗船させ、私の傍らに跪かせた。祝福するために私達の間に入り、私の額に触れた」(注76)
 驚いた事に、ウトナピシュティムを不老にしたのは、大気神エンリルだった。
 「これまでウトナピシュティムは人間でしかなかった。今よりウトナピシュティムとその妻は我ら神々の如くなれ。ウトナピシュティムは遥かなる地、川々の河口に住め」(注77)
 ウトナピシュティムは言った。
 「こうしてエンリルは私を連れ去り、遥かなる地、川々の河口に住まわせた」(注78)
 どうやら、ここがその地であるらしい。以来、ここに住み続けて、庵を開いて構えている様だ。庵の裏庭が、忘れ去られた園と似ているのは、ウトナピシュティムが大洪水前の世界から生きているからか。あるいは元々この地が古いのか。 だが話を聞く限り、不老ではある様だが、不死とは言っていない。そういう意味では、神々とは違う。神性が高い人間に過ぎない。
 「その絶える事がないズィは、手に入れる事ができるのか」
 ギルガメシュはウトナピシュティムに改めて尋ねた。エンリルがウトナピシュティムの額に触れて為した事であるならば、神々にしかできない事かもしれない。
 「……できる。だが誰でもそれを手に入れてよいものではない」
 ウトナピシュティムは静かに答えた。その眼差しは深く、どこまでも底が見えない。どうやら直接、神々の力を借りなくても、できる方法がある様だ。
 「ならばそれを我に授けてくれないか」
 沈黙が訪れた。庭の草木がリルに揺れ、聞き慣れぬ鳥の声がした。
 「不老となってどうする」
 「この地上に留まって、人間達を守る」
 ウトナピシュティムはギルガメシュを見た。それは旅の間、ずっと考えていた事だった。
 「……どうやら本気の様だが、一体何から人間を守るというのか」
 ギルガメシュは答えなかった。それは可能性の一つだ。そういう道もあるのではないかと言う。大いなる天にも、大いなる地にも、神々がいる。ならばこの地上に、神々に等しい存在がいてもおかしくはないではないか。この地上に、永遠の楽園を造る事も可能ではないか。
 「そなたはこの私を見て、それでもなお望むのか――いや、待て」
 ウトナピシュティムは妻を呼んで、傍らに立たせた。決して老いない女性というものは、初めて見た。改めて見たが、美しくない。これは違う。生きているとは言えない。
 ウトナピシュティムの妻は、ギルガメシュに向かって言った。
 「花が美しいのは生きているからです。生きている花の赤の鮮やかさは、生きている花にしか現れません。その赤の鮮やかさは、生きている事に由来するからです」
 生きていないものは、美しくないという事なのか。つまり、死ぬものが美しいのか。
 「大洪水前の世界には、とても長命な人々がいた。だが不老不死ではなかった。それでも多くは正気を長く保っていられず、記憶が乱れ、混乱して、破滅した者がいた。ましてはこの地上で、不老になるという事は、どういう事になるのか分からないのか」
 ギルガメシュは、ふとアシャグの事を思い出した。大量の蠅を纏い、あの全身を目だらけにした首のない三本足で三本腕の魔だ。自らも世界も呪い過ぎた果てに、死後、三界のいずれにも身の置き場もなく、永遠に世界の狭間を彷徨っている。
 「だがそなたが不老で、正気を保っているのは、何か秘密があるからだろう」
 ウトナピシュティムは答えなかった。ギルガメシュは言った。
 「我が神性を侮るな。眠りに関係する事だろう。人は眠りで記憶を整理する。だが眠れぬ人が正気を失っていくのに似て、不老は膨大な記憶の蓄積で、記憶の整理が追い付かなくなる。長命な者共が正気を失う道理よ。だがそなたは秘密の眠りでその限界を破った――違うか」
 ウトナピシュティムは答えなかった。
 「沈黙もまた然りよ。我に不老を授けよ。そして時を超えて生きる眠りの秘密も授けよ」
 「……そう言って、魔に堕ちた者を知っている。大洪水前の世界の友人だ」
 ウトナピシュティムは悲哀に満ちた顔をした。ギルガメシュは爽やかな微笑さえ浮かべた。
 「この地上に永遠の楽園を築き、神々にも手を出させないと言ったのだろう」
 その考えは、手に取る様に分かる。だが我は違う。我は異なる。そんな愚かな事はしない。ウトナピシュティムはギルガメシュを見た。その眼差しは揺れている様にも見えた。
 「目的は単純だ。故に揺らぎはない。我が友エンキドゥと共に在る事。それだけだ」
 ウトナピシュティムは、それが不老とどう結び付くのか、分からないという顔をした。
 「冥界でエンキドゥの影を絶やさせやしない。我が地上で健在である限り、我は不滅の名声を打ち立て、我が友エンキドゥを誰にも忘れさせやしない」
 初めてウトナピシュティムに笑みが零れた。
 「そうか。それが望みか。では試練を与えよう。不老である事は、そなたが考えている以上に忍耐を要する――これはその一つだ。見事、試練を乗り越えてみせよ」
 ギルガメシュは威風堂々と答えた。
 「望むところだ。我は絶える事がないズィを見つけ、神々さえ集い集めてみせよう」
 ウトナピシュティムは、ギルガメシュに向かって言った。
 「愚かな。誰がそなたのために、神々を集いに呼びよせると言うのか。そなたが求めるズィをそなたは見つけられるのか。そうであるならば、六日六晩起きて眠らずにいてみよ」(注79)
 ならばギルガメシュは、眠らずに起き続けてみようと思った。だが疲労のため、すぐに眠りが雲の様に彼の上に漂った。ウトナピシュティムは彼の妻に向かって言った。(注80)
 「ズィを求めるこの英雄を見よ。眠りが雲の様に彼の上に漂っている」(注81)
 彼の妻は、遥かなるウトナピシュティムに向かって言った。
 「愛おしい我が夫よ、その人が目を覚ます様に触れて下さい。やって来た道を無事に帰って行ける様に。出発した市門を目指して彼の国へ帰れる様に」(注82)
 ウトナイシュティムは彼の妻に向かって言った。
 「ずるいのが人間だから、彼はお前をだますかも知れない。さぁ、彼にニンダを作ってやり、枕許に置くがよい。そして彼の眠った日々を壁に印付けよ」(注83)
 彼女は彼にニンダを作ってやり、それを枕許に置いた。そして彼の眠った日々を壁に印付けた。彼の最初のニンダは干からびてしまった。第二のニンダは悪くなり、第三のニンダは湿り、第四のニンダは皮が白くなり、第五のニンダは色が変わり、第六のニンダは焼きたてであった。第七のニンダがまだ炭火の上にある時、ウトナピシュティムが触れると、目を覚ました。ギルガメシュは、遥かなるウトナピシュティムに言った。(注84)
 「眠りに襲われたと思ったら、そなたが我に触れて、起こしたのか」(注85)
 ウトナピシュティムは驚くギルガメシュに向かって言った。
 「ギルガメシュよ。そこに行ってニンダを数えてみなさい。そなたが眠った日の数が分かるだろう」(注86)
 最初のニンダは、違うものになってしまった。第二のニンダは悪くなり、第三のニンダは湿り、第四のニンダは皮が白くなり、第五のニンダは色が変わり、第六のニンダは焼きたてであった。第七のニンダがまだ炭火の上にある時、ギルガメシュは目を覚ましたのだった。(注87)
 ――我は試練に落ちたのか。まるで冥界のエンキドゥの様だ。これでは笑えん。
 失望したギルガメシュは、遥かなるウトナピシュティムに向かって言った。
 「ウトナピシュティムよ、こんな試練で我に一体何ができると言うのか。どこへ行っても、影が我の身体を堅くしっかりと掴んでいる。我の寝室には、死が座っている。そして腰を下ろして座る所には、どこでも死の影が待っている」(注88)
 ギルガメシュの様子を見ると、ウトナピシュティムは、船頭のウルシャナビを呼んだ。
 「ウルシャナビよ、船着場がお前を喜ばず、渡り場がお前を侮る様に、岸伝いに行く者は、その岸から追放せよ。お前がここに連れて来た者は身体中垢だらけだ。その身体の立派さが、表皮のお陰で台無しだ。ウルシャナビよ、彼を洗い場に連れて行け。水で彼の垢を雪の様に洗わせろ。表皮を投げ捨て海に運び去らせよ。彼の身体の立派さが現れ出る様に。彼の頭のパルシグを新しいものと変えよ。彼の裸身を覆うように外衣をつけさせよ。彼が彼の町に辿り着かん事を。彼が彼の旅を成し遂げん事を。彼の外衣は古びず、全く新しくならん事を」(注89)
 ウルシャナビは、ギルガメシュを洗い場に連れて行った。水で垢を雪の様に洗った。彼は身体の垢を落とし、川が垢を運び去った。彼の身体の立派さが現れる様に、彼は頭のパルシグを新しくした。彼は裸身を覆う様に外衣を身に着けた。ウルシャナビは言った。(注90)
 「彼の町に辿り着かん事を。彼が彼の旅を成し遂げん事を」(注91)
 ギルガメシュは身を清めると、改めて麻の長衣を纏った。ウトナピシュティムは、ギルガメシュを見た。その眼差しは深く、悲しげにどこか遠くを見ていた。
 「見送ろう。そなたの旅路が無事であらん事を」
 ギルガメシュは、絶える事がないズィを、手に入れられなかった事を理解した。
 そしてウルシャナビと共に小舟に乗った。小舟は波に乗り、進み出た。船着き場で見送るウトナピシュティムの妻は、傍らに立つ彼女の夫に言った。(注92)
 「愛おしい我が夫よ、ギルガメシュは骨折りの苦労をしてやってここまでやって来ました。彼の国に帰るために、一体何を彼に与えるのですか」(注93)
 その瞬間、脳裡で星が瞬いた。これを聞いたギルガメシュは直ちに竿を取り、小舟を岸辺へと向けた。遥かなるウトナピシュティムは、ギルガメシュに向かって言った。(注94)
 「そなたは骨折りの苦労をしてやってきた。そなたの国へと帰るために何を与えようか。ギルガメシュよ、隠された秘密を明かそう。神々の秘密について話そう。神々が川々の河口に、私を住まわせたのは理由がある。ここには大洪水で沈んだ忘れ去られた園がある。私はその番人で、ここの水底にある草は、蔦の様な古い草だ。この水底の古い草は、ズィを新しくして、時を超える不老の眠りを齎す。その草の棘はバラの様に手を刺すだろう。そなたの手がこの草を得るのならば、そなたは絶える事がないズィを得るだろう」(注95)
 ギルガメシュはこれを聴くやいなや、小舟の水取口を開き、重い石を紐で両脚に結び付けた。そして川に飛び込み、水底の古い草を見た。草を取ったが、それは手を刺した。重い石を両脚から解き放した。水は岸辺へと押し返した。船頭ウルシャナビに向かって言った。(注96)
 「ウルシャナビよ、この草は特別な草だ。人間はこれで以ってズィを新しくするのだ。我はこれをウルクに持ち帰り、この草を食べさせよう。その名は、シーブ・イッサヒル・アメルと言う。我も食べて若い頃に戻るとしよう」(注97)
 ウルシャナビは何も答えず、遠ざかって行く遥かなるウトナピシュティムを見ていた。ギルガメシュも岸辺を歩く二人を見た。手を振っていた。何故かその姿はとても悲しかった。
 ――これで本当に、絶える事がないズィを手に入れたのか。旅は本当に終るのか。
 水底の古い草は手の中にあった。こんなものを食べれば不老になると言うのか。ではあの試練は何だったのか――落ちるためか。いや、それでは、何のため受けたのか分からない。
 二十ベール行って二人は食事をした。三十ベール行って二人は夜の準備をした。するとギルガメシュは、冷たい泉を見つけた。彼は泉の中へ降りて行って水浴をした。すると蛇が、草の香りに惹きよせられた。蛇は水から出て来て、草を取った。そしてギルガメシュが戻って来ると、蛇は抜け殻を残して姿を消していた。ギルガメシュは座って泣いた。彼の頬を伝って涙が流れた。やはり運命は許さなかった。彼は船頭ウルシャナビの手を取って言った。(注98)
 「ウルシャナビよ、全ては虚しい。何のために我は骨折ったのだ。誰のために我が心血は使われたのだ。結局、我には恵みが得られなかった。蛇に恵みをやってしまった。もう二十ベールも流れがそれを運び去ってしまった。水取口を開き、合図として置かれたものを見たからには我は退こう。そしてこの小舟を岸に残そう」(注99)
 二十ベール行って二人は食事をした。三十ベール行って二人は夜の準備をした。懐かしいウルクが見えて来た。旅立ってから一体どれくらい時が経ったのか。そして辿り着いた時、ギルガメシュはウルクの城壁を見て、船頭ウルシャナビに向かって言った。
 「ウルシャナビよ、ウルクの城壁を登れ。基礎を調べ、煉瓦を改めよ。煉瓦が火焼き煉瓦でないかを。また七人の賢人が、その基礎を置いていないかを。一シャルが都、一シャルが果樹園、一シャルがイシュタル神殿の境内だ。三シャルと周辺がウルクを包み込む」(注100)
 ギルガメシュは、ウルクに凱旋すると、ウルクの子らを前にして、決意をした。いつか来る自らの死よりも前に、語るべき言葉を全て起こし、一つの物語として、ウルクの子らに伝える事だ。結局、ギルガメシュは人として生まれ、人として死ぬ――それだけだ。

                         第十一の粘土板 了

『我が友エンキドゥ~いつかのどこかの誰かのための物語~』
補遺の粘土板 ギルガメシュの死 12/12話


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