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玄奘、アジャンターを視察

 滞在の最後の頃、インド中部に向かった。玄奘、アジャンターを視察だ。
 切り立った崖の洞窟を利用する形で、修行用の仏教寺院が作られている。
 玄奘は知らないが、ヨルダンにあるペトラ遺跡の入口と似ていた。
 玄奘は拝礼して、中に入った。修行僧がいた。少ない。衰退していた。
 この時代より、少し後になると、アジャンター石窟寺院は放棄される。
 玄奘は、この施設が使われていた頃、最末期に訪問した唐僧だ。
 暗闇の中、燭台の明かりが揺れている。玄奘は中を見て回った。
 ――これはいかんな。ちょっとおかしい。どういう事だ?
 仏像画なのに、性愛を連想させるものが多くある。インド的変容だ。
 玄奘はアジャンター石窟群を出ると、エローラ石窟群に向かった。
 ここも同じだった。というか、バラモン教やジャイナ教の寺院もあった。
 仏教もあるが、インドの他の宗教もある。天竺の三教が入り乱れている。
 ――こっちの方が酷いな。仏道修行もあったものではない。
 修行僧たちは暗闇の中で、性愛を妄想していたのか?意味が分からない。
 壁画を見た。赤い男性像と青い女性像が抱き合って肌を重ねている。
 ――堕落だな。天竺では仏教の衰退が始まっている。
 玄奘はアジャンター・エローラの両石窟寺院を見て、そう判断した。
 思えば、インドとは元々、こういう世界だった。
 それも仏教が出現して、革命的に変わったのだ。
 玄奘は、サンスクリット語の学習のため、様々な文献を渉猟した。
 例えば、詩人カーリダーサの『シャクンタラー姫』も読んだ。
 この恋愛劇で天女(アプサラス)とのガンダルヴァ婚なるものも知った。
 玄奘は知らないが、西方のギリシャ神話でも、よく似た話がある。
 実はインド・ヨーロピアン言語と言って、北欧神話まで共通性がある。
 玄奘は、サンスクリット語の世界を歩きながら、インド世界を彷徨った。
 大叙事詩『マハーバーラタ』の『バガヴァッド・ギーター』も読んだ。
 バラモン教のサンスクリット語の古い経典『ウパニシャット』も読んだ。
 これらの文献にも、法(ダルマ)の概念や仏陀の概念は、存在していた。
 古い時代、インド・ペルシア的な世界観の中で、共通して存在していた。
 だが仏教に先行して、世界宗教ゾロアスター教がペルシアで成立した。
 この時ペルシアがインドから分かれた。元々両者は古い時代兄弟だった。
 だから聖典『アヴェスター』には、インド的な痕跡が少し見られる。
 そしてインドでも後発で、仏教が成立した。こちらも世界宗教になった。
 予言されていた仏陀が現われて真なる法を説いたのだ。これは救世主だ。
 特に革命的だったのが、仏教はインドのカースト制の外側に立った事だ。
 僧団(サンガ)と呼ばれる比丘・比丘尼の集団を作り、世間と分けた。
 この僧団の中ではカースト制度は持ち込まれない。非インド的世界観だ。
 だから、最下層のカーストの者でも、出家を認められれば、自由だった。
 出家すれば、生まれた時に定められたカーストの階級から外れる。
 インドのカースト制度は、バラモン教の転生輪廻の教えと一致していた。
 そこでは前世の因果の結果、今の階級にいるのだと、説明された。
 だが仏教では仏道修行する事によって、この教えから抜け出せるとした。
 正確には、自分のカルマを知る事で、来世を選択できるようになる。
 これが仏教がインドで革命的だった理由だ。人々はそこに救いを感じた。
 仏教は、他教の教え、仏教以前の教えによって、上手く補強されている。
 これらの教えが外側に広がっている事によって自然と浮き上がって来る。
 歴史的必然というか、連続性の中からの進化・発展が見られる。
 これもインドで仏教が広がった理由だろう。インド世界全般に広がった。
 先にインド的世界観が広がっていた地域ほど、仏教を受け入れ易かった。
 また古くから『マヌ法典』で、悟りの道が示されていた。梵我一如だ。
 アートマンとブラフマンの合一こそ、修行の目標で、悟りだった。
 玄奘が生まれた唐にはない話だ。だが仏教が伝来しその普遍性で広がる。
 現に民族を超えて広がっていた。ソグド人経由で漢の時代に伝来した。
 ソグド人は、インド人でも、ペルシア人でもない。中国人でもない。
 ソグド人はソグド人だ。西域に広がる胡人だ。天竺・波斯・中華を結ぶ。
 ペルシア東部から北西インド、それから西域全般にまで広がっている。
 言語感覚が冴えた天性の商業民族だが西域経由で仏教を世界宗教にした。
 この中から胡人僧、鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)が出る。(注170)
 インド・ペルシャ・中国の間に立つソグド人特有の言語感覚が抜群だ。
 天才的な翻訳僧で、日本の仏教は、ほぼ鳩摩羅什教と言ってもいい。
 後発の玄奘は、先行する鳩摩羅什を、巨大翻訳事業で撃ち落そうとした。
 だが後世、玄奘の翻訳より、鳩摩羅什訳が選ばれる事の方が多かった。
 彼らは二大訳聖と言われるが、軍配は鳩摩羅什に上がったと見ていい。
 玄奘は長安で、鳩摩羅什の翻訳に疑問を持った事が旅の始まりでもある。
 仏典の原典を知りたいという欲求が芽生えた。これは正当な欲求だ。
 だがそこには、微かではあるが、鳩摩羅什に対する対抗心もあった。
 これは後年、玄奘の歩む道を狂わせ始める。翻訳に影響が出る。
 だが玄奘のインド理解が影響している。基本的に彼は、中華の人だった。
 
 ナーランダ僧院の師シーラバドラから連絡があった。
 近く、烏荼国(ウドラ)で、仏教の公開討論会があると言う。
 大乗が激しく批判されており、ナーランダから僧を出すと言う。
 玄奘は、天竺での修行の完成を見るため、出る事にした。議論はこうだ。
 俗に、小乗は阿羅漢を目指し、大乗は菩薩を目指すと言う。
 菩薩は阿羅漢より、位が上だから、大乗が優れているという経論がある。
 だが小乗から反論があった。曰く、阿羅漢なくして、菩薩なしと。
 たちまち巷で、激しい論戦となった。小乗側は論客さえ立てた。
 玄奘は、ナーランダ僧院から大会出場の依頼を受け、考えた。
 空と無我が分からないと、慈悲が出て来ないので、菩薩にはなれない。
 だが阿羅漢は反省だけでなれる。八正道で到達できる。個の完成だ。
 阿羅漢向は三日でなれる。三日坊主だ。阿羅漢果は三年の修行を要する。
 菩薩は阿羅漢を越えた境地なので、到達は難しい。空と無我だ。
 無我と空は、それぞれ存在と時間だ。世界の仕組みだ。つまり全体だ。
 世界が分からない者に、全体が分からない者に、他者に対する、衆生に対する、世界に対する慈しみ、慈悲が出て来る余地はない。つまり、世界性の問題だ。
 世界性がない者に使命感、人類愛が出て来る余地もない。情熱とは世界性だ。その人の世界性が、山よりも高く、海よりも深ければ、菩薩になれる。
 古代北インド最後の統一王朝であるヴァルダナ朝の大王、戒日王(ハルシャ・ヴァルダナ)(注171)が、無遮大会(むしゃだいえ)を開いた。大乗仏教に対する非難の反論だ。18日間、皆の前で柱に文言を張り出し、反論していく公開討論だ。
 玄奘は、皆の前で堂々と空と無我を説いた。実は、殆どの人が空も無我も、分からなかったので、反論は出なかった。迂闊に反論できない。小乗は18日間、沈黙した。
 結果的には、玄奘の一方的な勝利だった。一撃で全ての反論は沈黙した。
 これを以て、玄奘が優れていると見る事もできるが、小乗側も情けない。
 せめて一太刀浴びせたらどうか?小乗も大乗も、どちらも必要なのだ。
 結局、玄奘の悟りが少し怪しい方向に行くのはこの辺りも関係している。
 大乗も小乗も乗り物、舟だ。小舟であれば、一人で漕いで川を渡れるので、自己完結する。だが大舟であれば、どうしても、他者と関わる必要がある。社会だ。
 一切衆生救済とは、この大舟に乗ったつもりで、悠々と川を下る――なんて都合のいい展開ではない。この社会という大舟はすぐに座礁する。だからより大変だ。
 そして玄奘は巨大翻訳事業を構想し先行者を倒して世界を救わんとした。

 玄奘が天竺を出発するその日、戒日王が駆けつけた。
 「……もう帰られるのか?まだまだもっとゆっくりしていけばいい」
 「いや、そろそろ帰らないと……」
 馬列に積み上げられた仏典と仏像の山を見た。過積載だ。
 「……おや、ちょっと積み過ぎで馬が苦しそうだ。象を渡そう」
 戒日王がパンパンと手を叩くと、一際大きな巨象が一頭やって来た。
 「これは見事な象ですな」
 玄奘も感心した。これなら馬何頭分か、荷物を運べる。
 「……これで帰りは安心だ。使いの者も付けよう」
 象使いの者が、上から軽く挨拶をした。思わず玄奘も目礼する。
 「……師はここに残って、隊列だけ唐に向かって出発すればいい」
 「そういう訳にも参りませぬ」
 唐に帰ったら、すぐに巨大翻訳事業を立ち上げないといけない。
 「……そうなのか?インドに残って、大乗を説いてくれないか?」
 戒日王はそう言ったが、玄奘は帰りの約束を言った。
 「西域で帰りに教えを説くと約束した国があります」
 高昌(トルファン)だ。実はもう滅びているが、玄奘は知らない。
 「……そうか?でも少しぐらいゆるりとされよ。インド中の王も呼んだ」
 戒日王がそう言うと、玄奘はビックリした。それは困る。
 それから、あれよあれよと数日が経ち、インドの王様が沢山来た。
 「……さぁ、王たちの茶話会(さわかい)だ。盛大に師を囲もうぞ」
 戒日王がそう音頭を取ると、玄奘の周りに、インドの王たちが集まった。
 「どうか早く唐に帰して下さい……」
 玄奘はお願いしたが、酒でも入っているのか、王たちは騒いでいた。
 すると、女の童がふと現界していた。それとなく玄奘を抜け出させる。
 「……こっちです。急いで下さい。早く早く」
 それから、玄奘は王たちの茶話会を抜け出すと、天竺を出発した。

注170 鳩摩羅什(くまらじゅう、クマーラジーヴァ)(344~413年) 僧 クチャ
注171 ハルシャ・ヴァルダナ(590~ 647年) 北インド王 詩人 天竺

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺050

『玄奘、西天取経の旅に出る』 玄奘の旅 1/20話


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