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妊娠中、珠洲市で震度6強

今回初めて!お題に沿って記事を書いていこうと思います。
「#もしもの備え」という言葉を見て、すぐに思い出したのは去年、妊娠中に珠洲市で体験した震度6強の地震でした。



夫と共に石川県珠洲市

私は、妊娠してからも記者として働いていました。しかし、妊娠6カ月目にして医師から「切迫早産」と診断されました。先生曰く、切迫早産とは「赤ちゃんがまだおなかの外に出る準備が整っていないのに、産まれてきてしまう危険がある状態」のことらしく…。
記者として歩き回って取材するなんて、もってのほか!
自宅で絶対安静を言い渡されてしまいました。
当時、夫も仕事をしていたので、お互いに単身赴任をしていたのですが、診断を受けて一緒に住むことになりました。
夫が仕事をしており、住んでいたのが石川県の珠洲市です。


2023年5月5日

4日に夫が私を迎えに来てくれ、5日の午後には、荷物と飼育していたペットの魚を運び終えました。本棚も整理し終わったし、ちょっと休憩。重いおなかをさすりながら、ベッドに座った瞬間。体が上にふわっと持ち上がったのを覚えています。本棚やテレビ棚が一斉に倒れ、遅れて携帯のアラームが鳴りました。慌てておなかを抱え、ベッドの上でうずくまりました。
‥‥
揺れがおさまったので目を開けてあたりを見渡すと、部屋は数秒前に見た状態とは全く異なっていました。皿は割れ、棚の中身はすべて飛び出し、私が連れてきた魚たちは残らず水槽から飛び出て本棚の下敷きになっていました。さっき、「一休みしよう」と思わなかったら下敷きになっていたのは私だったかもしれない…。
冷汗が止まらず、胎動が痛いくらい激しかったのを覚えています。

地震が起きたときに落ちた時計

大きなおなかを抱えて避難所へ

とりあえず、床に散らばっていたお菓子とバスタオル、マスクを慌ててリュックに詰め込み、最後にペットボトルのジュースを入れました。
でこぼこ隆起し、陥没している道路や崩れた家屋を尻目に、近くの公民館に身を寄せました。

避難していた高齢者の方たちと、公民館にあった座布団を一緒に並べて、布団の代わりにし、横になりましたが、全然落ち着きませんでした。高齢者の方たちの方からも、ひっきりなしにささやき合う声やため息が聞こえてきていたのを覚えています。

いつもはきれいなで穏やかな海です。潮が引いていてゾッとしました。

あれも、これもない。

避難して数時間。おなかが張って、痛くなってきました。切迫早産と診断されてから飲むように言われていた薬も、倒れた棚の下敷きになってしまっていたので、持ってこれませんでした。
仕事で外に出てしまっていた夫に連絡を取ろうにも、携帯の充電がありませんでした。…充電器も忘れてしまいました。
着替えはもちろん、妊娠中のおなかを支える必需品「腹帯」の替えも家においてきてしまいました。

とりあえず食料と水だけあれば良いだろうと慌てて家を飛び出したために、足りないものが多く、とても困ったのを覚えています。
そしてとにかく、ずっと心に余裕がありませんでした。

妊娠中だったのにも関わらず、防災の意識が欠けていたせいで、おなかにいた我が子もきっと不安だったと思います。
防災バッグを準備しておくことの大切さが本当に、本当に身に染みました。


もしもの備えに絶対必要なもの

避難所で、私は一番「心の余裕」が足りませんでした。「ものが足りない」という焦りが不安に直結していたのだと思います。

私はこの体験から、もしもの備えに絶対必要なのは、「自分の心に余裕ができるもの」だと考えました。言ってしまえば、人それぞれ必要なものが違うということです。

私は妊娠しており、なおかつ切迫早産だったので、薬と腹帯があれば安心でした。
今だったら、子育て中なのでオムツとミルクがあればひとまず安心!
じゃあ、もう少し子供が大きくなったら?
自分が高齢者になったら?

防災バッグを完璧に、今すぐ作るのはぶっちゃけ面倒ですよね…。
そんな人でも、自分に必要な「もしもの備え」は何か、考えるところからでも、今日やってみませんか?

自分にとって安心できるものが一つでも手元にあれば良い。…自分にとって必要なものが詰まったオリジナル「防災バッグ」なんてあったら、何かあった時に絶対に心強いこと間違いありません!


2024年1月1日

私と夫は出産と同時期に珠洲から県外へ引っ越しましたが、珠洲にも、輪島にもたくさんの知人、友人がいました。
私はもう記者ではないので、現地に行って話を聞くことができません。
報道を見て、生きていてくれることを祈ることしかできませんでした。

また、珠洲にも、輪島にも、必ずみんなに会いに行きたいと思っています。







     


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